*本記事は、白石尚『そこが知りたいSDA57のQ&A』からの抜粋です。
*本記事は、白石尚『そこが知りたいSDA57のQ&A』からの抜粋です。
聖書は週の第七日、すなわち土曜日を聖なる日、神を崇め礼拝を捧げるべき日と定めていると理解しているからです。創造主は人間が神に背き罪に堕ちる前に、人類の祝福のために安息日と結婚の制度を定められました。聖書には、創造週の第七日目に天地創造を完成されたとき「神はその第七日目を祝福し、この日を聖であるとされた。それは、その日に、神がなさっていたすべての創造のわざを休まれたからである」(創世記2:3)と記されています。
人間がなぜ神を覚え礼拝を捧げるかといえば、「天と地と海と水の源を創造した方を拝め」(黙示録14:7)と天使が呼びかけているように、神が天地の造り主だからです。神と人間のあり方を定めた十戒の第4条には「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない‥‥それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された」(出エジプト20:8,9,11)と、この日を創造主を覚える聖なる日とするように命じられています。新約聖書においても、主ご自身「いつものとおり安息日に会堂に入り、朗読しようとして立たれた」(ルカ4:16)とあるように、それが習慣であったことがわかります。
聖書には、一見安息日を否定するかのような安息日をめぐるキリストとパリサイ人との論争が記されていますが、それは人の祝福のために造られた安息日を、人間が作りだした規則によって重荷にしていた当時の宗教家たちや彼らの守り方についての論争であって、安息日そのものの是非についてではありませんでした。
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『口語訳』 ©︎日本聖書協会
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