聖書に出てくる「アッシリア帝国」ってなに?

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「アッシリア帝国」ってなに?

「アッシリア帝国」ってなに?

古代メソポタミアで軍事大国として君臨したアッシリアはその戦争、壊滅の手段、残忍さで知られていました。「アッシリアの捕囚にだけはなるな」が当時の言い伝えとして残っています。彼らは捕虜とした者の耳をそぎ、手足を切り、目をくり抜き、体に傷をつけて恐怖感を与えました。王の宮殿の柱、天井には捕虜の皮膚を剥(は) いで貼り付けるという残酷さが、れんがで造った城壁や彫刻に、克明に刻まれています。こうして征服した民族が決して反乱、報復、謀反(むほん) を企てないようにと徹底的な屈従を意図したのでした。

もう一つは征服した民族を他民族と混合させる雑婚政策でした。民族主義や愛国心を起こさせないために、自分がどこの国に属するかとの意識を希薄にさせたのです。こうしてアッシリアへの敵愾(てきがい) 心や独立心、反抗勢力の結集を殺(そ) いだのです。

アモスが活躍したころ、アッシリアはチグリス川のほとりの小国でしたが、前745年にティグラト・ピレセルが王位につくや、急速に勢力を伸張し、以降シャルマナサル、サルゴン、センナケリブ、エサルハドン、アシュルバニパルと絶頂期を迎えました(6人の王の名前は旧約聖書に出てきます)。イスラエル(首都サマリア)はアッシリアによって前 722年に滅ぼされました。

*この記事はレオ・R・バンドルフ『アモス書―主を求めて、生きよ』の抜粋です。

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