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信じる意味はあるのか?
十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力である。1コリント1:18(口語訳)
多くの人が持っている疑問は「神を信じたところで何になるのか?」ではないでしょうか。
自分はそこそこいい人だし、お金はないけれども、ものすごく困ってもいない。人生は悪いことも多いけれど、だからと言って絶望するほどではない。「神を信じたところで何になるのか」。
神を信じたからといって、お金持ちになるわけでも、人生でいいことがどんどん起こるわけでもない。「神を信じたところで何になるのか」
「救いとは、現状から目を背けたい人が描くまさに絵に描いた餅ではないか」。
この疑問に答えるためには、そもそもの「救い」の意味を考える必要があります。
「救い」とは何か?
見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとってくださる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである。黙示録21:3-4(口語訳)
ここは天国の描写の場面で、4回「神と人が共にいる」ことが強調されて繰り返されています。「救い」や「天国」という言葉で私たちが思い浮かべるのは、悲しみや痛みがないとか永遠の命などです。しかし、ここを見るとそれらはただのおまけであることがわかります。
「救い」はそもそも、お金持ちになることでも、幸せになることでもない。それらの私たちが思い浮かべる「救い」は天国においてさえ、おまけに過ぎないものなのです。
「救い」とは「神と人が共にいること」です。
先ほどの質問の「神を信じたところで何になるのか?」言い換えれば「神を信じたメリットは何か」という質問は、出発地点が間違っていると言えるでしょう。
私たちがすべき質問は「聖書の神と共にいることが天国であると言い切れるのか」という質問です。すべてがおまけに見えるほどの「聖書の神」とはどのような方なのでしょうか?次回、学んでみましょう!