【すぐわかる聖書講座#3】3だけど1?【三位一体】

この記事は約2分で読むことができます。

目次

三位一体が出てくる箇所

はじめに神は天と地とを創造された。創世記1:1(口語訳)

聖書は神の存在の証拠よりも神の行為を説明することに多くの時間を費やしています。神の行為の一つひとつは、神が人格的な方であることの証拠です。

つまり聖書の神は何かふわふわしたものでも、集合意識みたいなものでもなく、私たちと同じように人格を持たれ、考え、行動され、悩まれ、苦しまれるお方なのです。

聖書の神についてはこのように言われています。

イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である。申命記6:4(口語訳)

聖書の神は「唯一の主である」と書かれている一方、このようにも表現されます。

父と子と聖霊の名によって…… マタイ28:19(口語訳)

ここでは「父」「子」「聖霊」と3つ出てきます。唯一なのに、3。3だけど1。どういうことなのでしょうか。

この質問を考えていく前に、私たちが覚えておかなければならないのは、人間に神を理解することはできないということです。しかしヒントはあります。

「唯一」とは?

「唯一」はヘブライ語で「エハッド」で「一つ」という意味ですが、そこに複数の意味合いのある言葉です。また「唯一」「エハッド」は創世記2:24ではこのように使われています。

それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。創世記2:24(口語訳)

ここで出てくる「一体」は先ほどの「唯一」と同じ単語「エハッド」が使われています。「一体」とは、夫婦として家族として、経済的にも肉体的にもあらゆる面において、「一つ」となることです。

結婚したからといって合体して2人の人が1人になることはなく、またまったく別々に歩いていくこともないわけです。2人であり、1つである。

「父」「子」「聖霊」の神も同じように、3つであり、1つなのです。目的と向いている方向、そして思いにおいて一つなのです。では、それぞれどのようなお方なのでしょうか。 まず「父なる神」から見ていきましょう。次回、学びましょう!

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会新共同訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

関連コンテンツ

よかったらシェアしてね!
目次