【すぐわかる聖書講座#12】神はどこに?【人間の本性/罪】

この記事は約2分で読むことができます。

目次

神を近くに感じられない原因

見よ、主の手が短くて、救い得ないのではない。その耳が鈍くて聞き得ないのでもない。ただ、あなたがたの不義があなたがたと、あなたがたの神との間を隔てたのだ。イザヤ59:1,2(口語訳)

わたしたちは神を近くに感じられないときがあります。どこに神がいるのかわからない。

その原因を聖書はわたしたちの不義つまり、わたしたちの罪にあるとしています。

罪とは一体、何でしょうか。

罪ってなに?

すべて罪を犯す者は、不法を行う者である。罪は不法である。1ヨハネ3:4(口語訳)

ここを見ると、法を犯すことが罪であるとしています。現代日本でもそうですよね?

しかし、聖書はただ単に犯すことだけでなく、それに目を向けただけで、思っただけで罪であるとしています。

つまり、「殺してはならない」という法はただ殺さなければいいというのではなく、心の中で「殺すことを考えること」また「ばか者ということ」も含まれるのです。(マタイ5:21-28)

さらにこの法にはもう一つポイントがあります。

もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである。ヨハネ14:15(口語訳)

愛ゆえにこの法を守るのです。やらなければいいという消極的なものではなく、愛ゆえにというより積極的な姿勢がここに出ています。

つまり何かをした、しないということではなく、どこを向いているのかというのがとても大切なのです。

罪への傾向

しかし、わたしたちは神の方を向かない性質があります。罪へとひかれる、罪への傾向があるのです。パウロはこう言いました。

すなわち、わたしの欲している善はしないで、欲していない悪は、これを行っている。もし、欲しないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの内に宿っている罪である。ローマ7:19,20(口語訳)

これがわたしたちの弱さです。

では、神様はそんなわたしたちになんと言われているのでしょうか。次回、学びましょう!

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会新共同訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

関連コンテンツ

よかったらシェアしてね!
目次