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神を近くに感じられない原因
見よ、主の手が短くて、救い得ないのではない。その耳が鈍くて聞き得ないのでもない。ただ、あなたがたの不義があなたがたと、あなたがたの神との間を隔てたのだ。イザヤ59:1,2(口語訳)
わたしたちは神を近くに感じられないときがあります。どこに神がいるのかわからない。
その原因を聖書はわたしたちの不義つまり、わたしたちの罪にあるとしています。
罪とは一体、何でしょうか。
罪ってなに?
すべて罪を犯す者は、不法を行う者である。罪は不法である。1ヨハネ3:4(口語訳)
ここを見ると、法を犯すことが罪であるとしています。現代日本でもそうですよね?
しかし、聖書はただ単に犯すことだけでなく、それに目を向けただけで、思っただけで罪であるとしています。
つまり、「殺してはならない」という法はただ殺さなければいいというのではなく、心の中で「殺すことを考えること」また「ばか者ということ」も含まれるのです。(マタイ5:21-28)
さらにこの法にはもう一つポイントがあります。
もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである。ヨハネ14:15(口語訳)
愛ゆえにこの法を守るのです。やらなければいいという消極的なものではなく、愛ゆえにというより積極的な姿勢がここに出ています。
つまり何かをした、しないということではなく、どこを向いているのかというのがとても大切なのです。
罪への傾向
しかし、わたしたちは神の方を向かない性質があります。罪へとひかれる、罪への傾向があるのです。パウロはこう言いました。
すなわち、わたしの欲している善はしないで、欲していない悪は、これを行っている。もし、欲しないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの内に宿っている罪である。ローマ7:19,20(口語訳)
これがわたしたちの弱さです。
では、神様はそんなわたしたちになんと言われているのでしょうか。次回、学びましょう!