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みなさん、こんにちは! キリスト教の大学に通っているりんごです。



キリスト教系の大学に通っている人はキリスト教や聖書、礼拝に触れたりする機会も多いのではないでしょうか。



このシリーズでは、友だちが「聖書のこれってどういうこと?」と聞いてきた質問やわたしが疑問に思ったことを大学生の視点から見てみます!
みんな罪びと?
さて、第一回目の今回は、「罪って何?」というテーマです。みなさんも疑問に思ったことはありませんか?
聖書の授業や礼拝のお話しの中で「罪の中にいるわたしたちをイエス・キリストが十字架で処刑されたことで救ってくださった」とか「罪から悔い改めましょう」などといったことを聞いたことがあるかもしれません。
でも、その罪ってなんでしょうか?
罪というと、犯罪などの社会的に悪いこと、たとえば殺人や窃盗などの犯罪のイメージがあると思います。
しかし、なんと聖書は、人間はみんな罪びとだと言っているのです。
三浦綾子さんの『塩狩峠』に出てくる「義人なし、一人だになし」という有名な言葉もあります。これは「人間には正しい人は一人もいない」という意味です。
聖書のさまざまなところで、はっきりと私たちが罪びとであると書かれています。
でも、わたしが初めて罪びとという言葉を聞いたとき、思いました。



私はそんな罪びとと言われるようなことしていない!
みなさんはどうですか?
でも、わたしの「罪」というものの認識は、聖書で言っている「罪」とは違いました。
最初に罪を犯した人たち
では、聖書で最初に罪を犯した人たちのことを見ていきましょう!
聖書で描かれている人間の中で初めて罪を犯したのは、創世記に登場するアダムとエバという夫婦です。


この2人は神さまが初めて創造した人間でした。
創世記2章6節には、神さまが人間を創造する様子が描写されています。
神さまに造られ、エデンの園の中で神さまと幸せに暮らしていた2人でした。
ところがある日、へびにそそのかされ、神さまに「この園で自由に暮らしていいが、これだけは食べてはいけないよ」と言われていた木の実を食べてしまいます。
神さまとの約束を破った2人はエデンの園から追放されてしまいました。
この出来事がきっかけとなり神さまと人間は離ればなれになってしまったと言われています。そして、アダムとエバが神さまとの約束を破ったことが、初めて人間が神さまに対して罪を犯した出来事でした。
へびがそそのかした理由って?
では、なぜへびは2人のことをそそのかしたのでしょうか。
これはへびがサタン、つまり悪魔だったからです。サタンは神さまと人間を引き離そうとしたのです。
そして、このサタンも神さまに対して罪を犯した一人でした。サタンはもともとルシファーという名の天使でしかも、天使の中でも美しく聡明で神さまの右腕ともいえるような天使であったのにもかかわらずです!
イエス・キリストに嫉妬したルシファーは、イエスさまに対して反乱を起こします。そうして、ルシファーは天使から悪魔になってしまいました。
ルシファーが神さまに対して罪を犯した結果、神さまと離れ、好き勝手に生きるようになったのです。そして、アダムとエバを誘惑したように、サタンはわたしたちをどうにかして神さまと引き離そうとしています。
結局、罪ってなに?



神さまから離れて、自己中心的に生きることが罪なのかな?
そんなふうに、わたしはこの2つの聖書のエピソードを聞いて思いました。
罪とは、神さまから離れて、他の人や神さまに対して、自己中心的な行動や思いを持つこと。
そう言われると、罪と聞いて、最初にわたしたちがイメージした殺人や窃盗なども、自己中心的な思いが起こすものであることに気づかされます。
それだけでなく、わたしたちがふだんの生活するなかで、どうしても自己中心的な行動をしてしまうことがあると思います。わたしもよく自己中心的な行動を取ってしまいます。



これから授業で「罪」と聞いたら、自己中心的なことを思い浮かべてもいいかもしれません!
アダムとエバ、そしてルシファーは神さまから愛されていたのにもかかわらず、罪を犯しました。
神さまとの約束を勝手に破ったアダムとエバや、愛されていたのに嫉妬して反乱を起こしたルシファーは、神さまが示している道から外れて、自己中心的に生きる道を選びました。
しかし、その罪を神さまはゆるし、そこから助けて下さるのです!
このことは次回見てみましょう。今回はここまでにしたいと思います。さようなら!