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献金とは

教会の礼拝に行くと、献金があるよね? あれって、支払わないといけないの?



いい質問だね! 献金について、今日は考えてみよう!
教会の礼拝に参加すると、献金というプログラムがあります。多くの場合、献金を集める担当の人たちが席をまわり、献金を集めます。
献金は義務なのか、どれぐらいをささげれば良いのか、なぜお金を払わなければならないのかなど、戸惑ったことがある方もいらっしゃるかもしれません。
特に、2022年には世界平和統一家庭連合(旧統一教会)による献金を巡るトラブルが大きなニュースとなりましたので、教会の献金に対して、不安や戸惑いを覚えるのはなおさらのことだと思います。
ある辞典は、献金についてこのように説明しています。
献金とは、恩恵を受けたことに対して、神への感謝として捧げる金銭を指す。
『新聖書辞典』(いのちのことば社)453頁
この説明のとおり、献金は「会費」や「参加費」のように、義務として支払うものではなく、わたしたちの必要を満たしてくださっている神様への感謝として行います。
献金の目的
感謝の表れとして
先ほど触れたように、献金は神様への感謝のささげものです。聖書には、このように記されています。
各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。コリントの信徒への手紙二 9章7節(新共同訳)
聖書は、献金とはお金をささげる行為という以上に、感謝の心をささげる行為であると言います。礼拝では、私たちの日々の生活を支えてくださっている神様に、その感謝の想いを込めて献金をささげます。
神への信頼の表れとして
「わたしはお金があまってしまって、困っている」という方は、きっとほとんどいないでしょう。
お金がいくらあっても、経済的な不安はついてまわります。
そのような社会で生きるわたしたちに対して、物質主義に陥ることなく、神が必ず生活の必要を満たしてくださることを信頼してささげるようにと、神はわたしたちに促しています。
献金をささげるということは、神が私たちの生活を必ず満たしてくださるという信頼を表明する機会となります。神は聖書の中で、神にささげる者に対して、必ず必要を満たしてくださることを約束しています(マラキ書3章10節参照)。
聖書の神を知らない人のために
献金の主な用途は、教会の運営と伝道(布教)です。
伝道はいうまでもなく、まだ聖書の神を知らない方々にお伝えすることですが、教会を運営する大事な目的の一つは、その地域にあって、聖書に記されている神と、その神がわたしたちに告げ知らせようとしている素晴らしいメッセージを伝えることにあります。
献金は、一人でも多くの方に、聖書の神と聖書の素晴らしいメッセージを伝えるために、用いられます。
礼拝での献金への対応
これまで、献金の概念について説明してきました。それでは、教会の礼拝に参加して、献金箱が回ってきたら、どのように対応すればよいのでしょうか。
先ほど引用した聖書の言葉にあるように、もし献金をささげることに抵抗があるならば、献金をささげる必要はありません。
周りの人もそのことをとがめることはありませんので、次の人に献金箱を回してください。
しかし、もしあなたが神の存在を少しずつ実感し、その神様に感謝の応答をしたいと思うようになったら、喜びをもって献金をささげてみてはいかがでしょうか。
また具体的な献金の金額については、決まった額はありません。先ほど引用した聖書の言葉にあるように、ご自身で決めた通りにおささげください。
「献金の額が少ないと失礼なのでは」とか、「献金が多い方が信仰的なのではないか」などと考える必要はありません。
神への感謝の応答として、ご自身がお決めになった金額をおささげいただきたいと思います。