ワールド・ベースボール・クラシック
2023年3月 8日から22日(日本時間)にかけて第5回ワールド・ベースボール・クラシックが開催され、「侍ジャパン」の愛称で親しまれている日本代表が2009年以来3大会ぶり3度目の世界一に輝いたことが大きな話題となりました。
準決勝であるメキシコ戦で見せたドラマのようなサヨナラ勝ち、そしてメジャーリーグを置く野球大国である強豪アメリカに食らいつき、優勝を手にした彼らの姿から多くのことを学ばされたように思います。
どんな競技においても強いチームを作るためには個々の選手の技術や経験が鍵になります。しかし、各選手の技術力が高いというだけで強いチームができるわけではありません。
今大会、初戦から無敗のまま世界一を手にした侍ジャパンの強さの秘訣は「繋ぐ力」にあると言います。それは監督やコーチ、そして選手間の信頼関係によって生まれたものではないでしょうか。

わたしはぶどうの木
さてある晩のこと、イエス様は彼の弟子たちにこう言われました。
わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。 (ヨハネによる福音書15章4節、5節)
ぶどうの木である「わたし」というのはイエス様ご自身のことで、ぶどうの枝である「あなたがた」とはイエス様の弟子たちのことを指しています。
今日、私たちは滅多にぶどうの木を見ることはありませんが、イエス様は弟子たちにとって慣れ親しんでいたぶどうの木を通して、イエス様ご自身と弟子たちとの関係を示されたのです。
イエス様は優しく、また非常に賢い方ですね。これはイエス様が語れた数多くの譬え話の中でも特に美しく、また今日多くのクリスチャンに親しまれている聖書の言葉です。
なぜなら「あなたがた」とは当時の弟子たちだけでなく今日を生きる私たちのことも指しているからです。それはイエス様と私たちとの強く、そして豊かな繋がりを意味しています。
ぶどうの木をうまくイメージできなければりんごやみかんでも良いです。当然ですが、果物というのは木の幹から送られる栄養を枝伝いに取り入れながら実を膨らませます。つまり、クリスチャンとは、日々神様から送られる栄養を受け取って実をつける存在であるというメッセージが込められているのです。
これを日々の糧(かて)と呼んだりします。折れてしまった枝自らが実をつけることはありません。ですからイエス様は、「わたしを離れては、あなたがたは何もできない」(同5節後半)とおっしゃるのです。

実とは何か
では、ぶどうの枝として象徴されている私たちがつけるべきこの「実」とは何を意味しているのでしょうか。
それは一番に信仰です。
私たちは、イエス様と繋がることで豊かに信仰を育むことができます。その実、つまり信仰が大きくて豊かなほど、イエス様との関係も大きくまた豊かであるということになります。
しかし、私たちはいつも同じようにイエス様と関われるわけではありません。
学生であれば勉強や部活、社会人であれば仕事や家事、子育て、そして人間関係など、忙しくまた複雑に事が絡み合う日々に翻弄されるあまり、イエス様を見失ってしまうことがあります。
多くの人が、様々な事情で祈ることや聖書を読むことの少ない日々が続くと、イエス様を遠くに感じるようになると話します。イエス様と思うような関係に至れず、自分はいつの間にか切り取られた枝のようになってしまったのではないだろうか、と。
安心してください。
ぶどうの木であるイエス様は、先ほど読んだ5節後半にあるように、私たちがイエス様を離れては何もできないことをよく知っておられるので、私たちを見捨てるようなことは決してなさいません。
むしろ、私たちを信じ、イエス様自ら繋がろうとしておられるのです。まず木の幹があり、枝、そして実りという自然界がもたらす摂理のように、どんな時もまずイエス様が私たちを覚えてくださっていることを常に覚えて感謝しましょう。
ヨハネによる福音書15章をもう少し読み進めていくと、次の聖句に出逢います。
あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。(同16節)
イエス様は私たちの人生の監督のようなお方です。私たちはこの世にあって様々な問題を抱え混乱していますが、イエス様と繋がることによって必要な助けは必ず与えられます。イエス様と繋がるために、私たちはイエス様にお祈りすることができます。
「愛するイエス様。
あなたが日々、私との繋がりを求めておられることを感謝します。
私がイエス様を忘れてしまっている時も、あなたは私を覚え、いつでもご自分に頼れるように耳を傾けておられることを信じます。
どうぞ、ぶどうの木であり、また人生の監督であるあなたの示す繋ぐ力をお示しください。そしてあなたからの栄養をいっぱい吸って、今日も元気に生きることができますように。
愛するイエス様の御名によってお祈りいたします。アーメン。」