不安になる兄たち
旧約聖書、創世記50章からヨセフ物語のお話しです。
さて、父ヤコブが亡くなり、遺言どおりにエジプトではなく、約束の地カナンにある先祖たちが眠るお墓に葬られました。
すると、10人のヨセフの兄たちは、父ヤコブの死によって、ヨセフが自分たちにエジプトに奴隷として売ったことの恨みをはらし、復讐するのではないかと不安になりました。
生前、父ヤコブが、兄たちがヨセフした仕打ちことを赦してほしい、とヨセフにお願いしていたことを確認させて、完全に赦してもらえるようにお願いしました。
ヨセフは兄たちをもうすでに赦していたのですが、父ヤコブの死によって、ヨセフが豹変して、復讐するのではないか、心配していたのです。ヨセフは赦されていることを確信することができなかった兄たちに対して、悲しみ、そしてそのことで涙を流しました。
兄たちがすでに赦されていることを十分に理解していなかったからです。
そのような不安の中にある兄たちに対して、ヨセフは創世記50章19節―21節でこのように語りました。
「恐れることはありません。わたしが神に代わることができましょうか。あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。どうか恐れないでください。このわたしが、あなたたちとあなたたちの子供を養いましょう。」
ゆるしの関係
ヨセフは兄たちを完全に赦していることを伝え、そして優しく慰め、安心させたのです。
ヨセフはエジプトに奴隷として売られたことを、恨むどころか、すでに赦し、神さまが苦難の道から家族を救うことになった神さまの導きに心から感謝していたのです。
ヨセフの物語は赦すことの大切さを教えてくれます。
わたしたちがすべてを赦すことは、現実には非常に難しいことです。
わたしたちは、自分の力で完全に人を赦すことができない存在です。
聖書の神さまに問題をお任せし、そして、委ねるときに、不思議なことに人を赦すことが少しずつできるのです。なぜなら、聖書の神さまは、まことの赦しの神さまだからです。