神の摂理
旧約聖書、創世記37章以降から最後まで続くヨセフ物語は、まさに神さまの摂理です。その摂理とは、わたしたちは、自分の人生で、さまざまな出来事が起こります。苦難であったり、或いは、至福なひと時であったりします。
しかし、その背後では、すべて神さまが導かれ、用いられる。どのような結果も自分にとって最善であったと受け止めることができるようになる。これが神さまの摂理です。
創世記に出てくるヨセフは、10人の兄たちから妬まれ、エジプトへ奴隷として売られてしまいます。家族の関係が崩壊してしまいました。しかし、その責任は父親ヤコブにありました。
12人の息子たちの中でヨセフだけを溺愛していたからです。兄弟たちは、ヨセフの存在が非常に目障りだったのです。
ヨセフの信仰
ヨセフは家族から引き離され、エジプトで奴隷として、とても苦しい孤独な生活が始まりますが、その困難な状況で神さまと出会い、ヨセフの人生を豊かに導いてくだっていることに気づくのです。
どのような状況の中でも、神さまが共にいて下さっている、ということを信じました。
そして、20年ぶりに不思議な方法で兄弟たちとの再会をエジプトですることになったヨセフは、自分をいじめていた兄たちにこのように語りました。
創世記45章5節をみてみましょう。
「今は、わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです。」
ヨセフ自身が非常に苦しい生活を強いられたのは、ヨセフの家族を救うために、崩壊した関係を修復するために、神さまご自身がエジプトに送られたのだ。それは、神さまの摂理だったことをしっかりと認めたのです。
新約聖書、マタイによる福音書10章29節―31節を見てみましょう。
「二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」