失われた『生きる意味』

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ジャパンブランド

みなさんは「ブランド品」は好きですか?

ブランド品はやや値段が張りますが、品質が良く、安心して長く使い続けることができるといった良いイメージがあると思います。

つまり、ブランド=信頼性が高いという考え方です。

今日、世界中にはたくさんのブランドがありますが、中でもジャパンブランドと呼ばれる日本製の商品は世界各国から高い評価を集めてきました。そこには日本人の持つ細かさをはじめ、人に見られていなくても手を抜かずに高みを目指すという職人気質が込められているからではないでしょうか。

筆者自身がそうであるように、今でも「日本製」と聞くだけで安心する方々も多く、商品にもわざわざ日本の国旗までつけて日本製をアピールするほどの強さを誇っています。

中でもそんな日本の優れた技術が盛り込まれているものといえば、やはり生活家電ではないでしょうか。冷蔵庫、エアコン、電子レンジ、テレビに洗濯機など、今日の私たちの生活にこれらの家電は欠かせなくなりました。

強みが弱みに!?

国内外問わず、そんな生活家電メーカーシェア台数のトップを誇る国が日本でした。日本製の家電は質が高く、購入後の補償も充実しており、省エネ、また丈夫ながらその美しいデザインに多くの人の信頼を勝ち得ています。

しかし近年、そんな日本製の生活家電のシェア台数が伸び悩んでいるという統計を目にしました。特に冷蔵庫と洗濯機においては中国製のハイアールがシェア台数のトップを占めており、今やなんと日本のメーカーは5位にも入っていません。

その大きな理由として、日本製の生活家電の一番の強みであったはずの高性能かつ多機能という部分に原因があったのです。

中国に住むある農家のお話です。その農家はジャガイモを生産しており、収穫時期になると毎日のように収穫した大量のジャガイモを洗う必要がありました。そんな農家を営む人が日本製の洗濯機を買ったそうですが、彼の期待に反してその洗濯機はすぐに壊れてしまったそうです。

なぜでしょうか?

彼はジャガイモを洗うために日本の洗濯機を利用したからです。洗濯機は普通、洋服を洗うためのものなのでそこに野菜を洗うなんて今の日本では考えられませんが、需要と供給が一致しなかったという良い例です。

つまり、洗濯機が提供するはずの高性能かつ多機能さが、単に何でも洗えればいいという単純な求めに合っていなかったというお話です。

生きる本当の意味

どんな機械でも、丈夫でたくさんの機能が備わっていること自体は素晴らしいことです。そういった意味で、現在は大変便利で住みやすい世界になったことを感じさせてくれます。

しかし、消費者側の需要に合わせられなければ、どんなに高性能な物を作っても売買には繋がりません。これは私たちの生活の中でも頻繁に起こっていることではないでしょうか。

たとえば、スマートフォン。年々新しいモデルが発売される度に多くの人が買いに急ぎます。カメラ機能をはじめ、バッテリーの持ち、通信速度など、どこまで進化し続けるのだろうと思わせるほど、どのモデルも優れています。

しかし、一歩下がって考えてみてください。携帯電話が普及した当初、人々が携帯電話に期待していたことはメールと電話が基本で、強いていえば写真を撮ることや音楽を聴くぐらいの機能で満足していたと思います。それがいつしかスマートフォンと呼ばれるようになり、動画鑑賞やゲーム、映画並みの撮影から編集までもがこれ一台でできるようになってしまいました。

文明の発達により人々の生活環境が改善され、前述した通りそれに伴って進化していくことは当然です。

しかし、私たちはなんのためにこの地球で生きているのかをしっかりと理解しておかなければなりません。なぜなら、今日の私たちの生活はありとあらゆるものに囲まれているため、便利さを追求するあまり簡単に生きる本当の意味を見失ってしまうからです。

管理するために生きる

聖書は、私たちが生きる意味と目的を次のように記しています。

神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」神は言われた。「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。」創世記1章27〜30節(新共同訳)

聖書は、人間を含めすべてのものが神様によって造られたことを明らかにしています。それだけでなく、神様は私たち人間にこの世のすべてのものを与えるとおっしゃっているのです。食べるもの、住む場所、すべてです。中でも注目すべき箇所は、28節の最後の言葉である「支配せよ」という言葉です。

「支配」と聞くと、私たちはどうしても権力によって従えるという印象を持つと思いますが、これは「管理せよ」という意味において理解することもできます。つまり、神様は私たちが豊かに生きていくためにこの世のすべてを与える代わりに、この世界を大切に管理するようにという目的を持って私たちを創造されたのです。

私たちにできる管理

しかし、現在の世界はどうでしょうか。他国への侵略、森林伐採や大気汚染による環境破壊などによって地球は人間によって破壊され続けています。人間は、神様が愛を持って造られたこの世界を進化に基づく偶発的なものと考え、自分だけものにしようと歴史を動かしてきました。文明の競争が激しさを増す中にあって、私たちは日々の生活の中でどのようにこの地球を「管理」することができるでしょうか。それはゴミの分別やゴミ拾い、禁煙、花や植物を育てること、極力自転車や徒歩で移動することなど、身近にできることはたくさんあります。そしてこの世界を創造し、私たちのためにすべてを備えてくださった神様に感謝することで、私たちは文明に頼ることなく生きる意味を取り戻すことができるのです。

愛するイエス様。創世記に書いてある通り、あなたが私たちのためにすべてを創造し、そのすべてを私にくださったことを感謝します。この世界は様々な優れたもので満ち溢れています。しかし、それらによって単に便利になることを一番に考えるのではなく、どうすればあなたがくださったこの地球を大切に管理できるかを教えてください。愛するイエス様の御名によってお祈りいたします。アーメン。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会新共同訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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