休息と回復【健康と癒し】#7

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今回の記事のテーマ

ロマリンダ大学のある前途有望な医学生が疲れ果てていました。彼は朝4 時に起き、夜中まで勉強し、厳しいカリキュラムについていこうと努力しましたが、無駄でした。どんどん遅れるばかりでした。

「絶望の中で、彼は教授に助けを求めた。教授は目先のきく人で、トムに毎晩、少なくとも7 時間睡眠をとり、何でもよいから、毎日30 分、活発な運動をするように助言した。トムはあまり乗り気でなかったが、……ともかく言われた通りにやってみることにした。いずれにせよ、ひどく落ち込んでいた彼には失うものは何もなかった。驚いたことに、2 週間すると、彼の成績はよくなり始めたのである。その年の暮れにはクラスで3 番になり、首尾よく研修を終えることができた」(「私は疲れました」『ハーディング・ライフスタイル・シリーズ』3 〜4 ページ、英文)。

私たちもトムと同じです。肉体的、精神的、霊的、社会的に最適な健康を享受するためには、私たちはみな、毎日、毎週、休息を必要とします。

時間がない

私たちの多くは緊張とスピードに満ちた世界に住んでいて、限られた時間内に多くのことを成し遂げるように求められています。マザー・テレサは次のように言っています。「今日の世界が混乱し、これほど苦しんでいるのは、家庭と家庭生活に愛がなさすぎるためだと、私は思います。子供たちのための、お互いのための時間がありません。お互いに楽しむ時間がありません」

一部の国では、先に行くこと、お金を儲けること、成功することが、結婚生活や家族、さらには健康よりも重要であると考えられています。もちろん、一生懸命に働くこと、最善を尽くすこと、自分と家族を養うことは大切です。聖書も、怠け者を戒めています(箴6:9、13:4、II テサ3:10)。しかしながら、私たちはよいものを過度に重視するあまり、自分や自分の愛する者たちを犠牲にする危険があります。いつも仕事ばかりで、ほとんど家にいないために、家族が犠牲になっているのに、「自分は家族のために働いているのだ」と言い張る父親がいます。

問1
創世記2:15 を読んでください。罪が侵入する前から、神は人間のために働くことに関してどのような計画を持っておられましたか。

初めから、堕落以前の世界においてさえ、人間が働くことは神の意図されたことでした。そして、労働を離れて休むこともまた、神の意図されたことでした。特に、命の木から離れて数千年後の今、堕落した存在である私たちは、自分の肉体には限界があること、したがって休息は欠かすことのできないものであることを覚える必要があります。

問2
マルコ6:30 〜32、45、46 を読んでください。これらの聖句は、どのような仕事、またどれほど重要な仕事をしていようとも、私たちには休息が必要であることについて何を教えていますか。

イエスと弟子たちは休息の時間をとりました。私たちも毎日の休息を必要とします。長期にわたって十分な睡眠をとらないでいると、いつかは肉体的、感情的に悪い影響が出てきます。どれほど若く、壮健な人であっても、私たちの体は休息を必要とします。不節制なライフスタイルは、遅かれ早かれ、悪影響をもたらします。

休息の必要 

私たちはみな休息が必要であることを知っています。私たちの体はしばしば、はっきりとした兆候によって休息の必要を知らせてくれます。たいていの場合、体の出す兆候に従えば、十分な休息を取ることができます。しかしながら、私たちは毎日の仕事や雑事に追われて、体の言うことに素直に従いません。体の出す兆候に素直に従っていたなら健康であったはずなのに、病気で倒れるまで休息を取らない人が何と多いことでしょう。

遅かれ早かれ、私たちはみな何らかのかたちで休息を取ることになります。重要なのは、休息をとる最も良い方法を学ぶことです。

問3
あなたの体は休息の必要性に関して何らかの兆候を示していませんか。あなたは素直にそれに従っていますか。

すべての生物は、消耗(しょうもう)されたものを回復するために、休息の時間を必要とします。回復という言葉は、「もとの状態に戻る行為」を意味します。形容詞になると、たとえば「元気づける」薬というように用いられます。

「自然の快い回復を与えてくれる睡眠は、疲れたからだを元気づけ、翌日の務めに備えさせてくれます」(『家庭の教育』364 ページ)。

私たちは自分の限界を認めるべきです。私たちは自分自身の力で自分の働きを成し遂げることができません。神は恵みをもって私たちの働きを助けると約束しておられます。規則的な休息を通して、私たちは主から体力をいただき、新たな力をもって御業のために働くことができます。

問4
出エジプト記23:12 を読んでください。休息が必要であることについて、どんな理由があげられていますか。

ここで、「元気を回復する」と訳された動詞は、動詞としては旧約聖書に数回しか出てきません。それは、「命」または「息をするもの」という意味の、しばしば「生きたもの」(創2:7 英訳「魂」)と訳されているごく一般的な名詞の、いわば動詞化したものです。とすると、私たちは休息することによって、さらなる命と息、魂を受けることができるということになります。したがって、休息は私たち人間にとって基本的、根本的なものであって、休息を必要とする自分自身を否定することは自分自身の基本的な人間性を否定することになります。

神にある休息

問5
マタイ11:28 〜30 を読んでください。イエスはここで、私たちに何と勧めていますか。あなたはこの約束を生活の中で実際に体験していますか。

イエスがここで提供しておられる休みは肉体的な休み以上のものです。それは魂の休みです。私たちはキリストが与えてくださる完全な休みを経験する必要があります。深い眠りは肉体的な休みを与えてくれます。休暇は感情的な休みを与えてくれます。しかし、霊的な休み、心の奥底にある苦悩からの解放はどこから来るのでしょうか。

イエスは御自分のもとに来るすべての人に霊的な休みを与えてくださいます。この休みはどのようなものでしょうか。

それは、善行によって受け入れられようとする人間の苦闘にともなう苦しみや罪悪感からの解放をもたらします。私たちは、自分自身の不完全な業ではなく、イエスの完全な業のゆえに神に受け入れられるという約束のうちに安んじることができます。イエスの恵みと聖霊の改変力によってイエスに屈服するとき、クリスチャンは休みを与えられます。正しい者は信仰によって生きます(ハバ2:4、ロマ1:17、ガラ3:11)。

人間の努力は、神が私たちに求められる高い標準をとうてい満たすことができません。感謝すべきことに、イエスが罪のための代価を払ってくださったこと、イエスの義──私たちの内にはないが、信仰によって私たちのものとされる──が私たちを覆うことは、私たちに永遠の命が与えられることの保証です。イエスの完全な生涯と犠牲は、私たちのただ一つの希望です。イエスにあって、私たちの魂は休みを得ます。

イエスは罪に悩む人たち、人生の重荷を負って苦しむ人たちに語りかけておられます。イエスは私たちの悩み、私たちの重荷を知っておられます。私たちがどのような状況にあっても、イエスの慈しみと思いやりに信頼して、それらをイエスの足もとに降ろすように仰せになります。イエスに信頼することを学ぶとき、私たちの疲れ切った魂に休みが与えられます。

私たちには、心を神に向けることのできる時間と場所が必要です。祈りと聖書研究、キリストについての瞑想は平安と回復をもたらします。

私たちが励ましと希望に満ちた、静かな細い声を聞くのは、このような個人的な礼拝の場においてです。このようにして、人生の重圧と緊張から離れるとき、私たちの魂は聖霊によって回復されます。

日ごとの休み

創世記1 章を読んでください。創造の7 日間、夕と朝が1 日の区切りとなっています。神は、規則的に体を元気づけ、回復するために、労働と休息が一定の周期で巡ってくるような自然のリズムを設けられました。

人間の体は日ごとの休みを必要とします。睡眠不足がさまざまな否定的な影響を及ぼすことが、研究によってわかっています。それには、糖尿病、肥満、成績不振、交通事故、けが、死、精神異常が含まれます。飛行機のパイロット、航空交通管制官、専門医学実習生の勤務日は厳格に管理されていて、勤務時間の長さと休憩の長さが正確に決められています。まだ電灯のなかった時代には、人間は自然に暗い間は眠り、明るい間は働くようになっていました。科学の進歩した今日、私たちは健康を害するまでに働くことのないように注意する必要があります。

人間には概日(がいじつ)リズムというものがあって、人体はほぼ24 時間周期で活動し、1 日の決まった時間に特定のホルモンを分泌することが科学的にわかっています。このことはエレン・ホワイトの次の言葉を裏づけるものです。「睡眠は夜中以後よりも以前のほうがはるかに価値を持つ。12 時以前の2 時間の熟睡は、12 時以後の4 時間にまさる」(『原稿集』第7 巻224 ページ、英文)。

睡眠実験室で行われた研究によれば、異なった種類の睡眠(ノンレム睡眠とレム睡眠)が必要であることがわかっています。大人は6 時間から9 時間の睡眠を必要とします。日中に眠気がなく、頭がすっきりしているようなら、睡眠が足りていると言えます。

17 時間から19 時間覚醒している人は、酩酊(めいてい)している人と同じレベルの活動しかできません。

問6
熟睡する上で大切な要素をいくつかあげてください。たとえば、次のような要素をあげることができます。

・毎日、運動をする。
・部屋の温度を適温に保つ。
・就寝2 〜3 時間前の飲食を避ける。
・就寝前の緊張や興奮を避ける。
・アルコールや睡眠薬、カフェイン飲料を避ける。

週ごとの休み

問7
創世記2:1 〜3 と出エジプト記20:8 〜11 を読んでください。これらの聖句は休息の基本的な意味についてどんなことを教えていますか。

神は創造の業を終えた後、第7 日に休まれました。ここで用いられている「安息なさった」というヘブライ語は「安息日」(シャバット)と同じ語から来ています。このことから、第7 日安息日とそれから来る安息が創造そのものと密接な関係にあることがわかります。私たちには十分に理解できないことですが、この聖句は神御自身が安息日に休まれたことを示しています。

問8
イエスは、「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない」と言われました(マコ2:27)。文脈に沿って考えると、これは何を意味しますか。

細かい規定や規則に捕らわれがちですが、安息日が私たちの祝福のためにあることを決して忘れてはなりません。それは神が与えてくださった素晴らしい賜物を瞑想し、楽しむための日です。それは神の慈愛について瞑想する時間です。安息日は、私たちが神の愛を認めていることの永遠のしるしです。安息日の祝福は、私たちがそれを守ることによって「キリストにある安息」について語るだけでなく、真の、具体的な方法で、その安息を表現することができる点にあります。それによって、私たちは自分自身の業でなく、キリストの御業による救いに信頼していることを表明するのです。

あらゆる霊的祝福に加えて、安息日はその週の労苦と悩み、緊張と疲労から解放される時間を与えてくれます。安息日は、私たちが罪悪感なしに、心からくつろぎ、安らぎ、緊張をほぐされるための神の方法です。安息日は私たちの体と魂に必要な休みを与える方法です。

今回の記事のメッセージ

「与えられた時間内にたくさんの仕事をしてしまおうと、たいへんな努力をし、もう休まねばと思いながらまだ働き続けるような人々は、決して得をしません。彼らはいわば借金しながら生活しているのです。将来必要な活力を浪費しているのです。そしてそんなにも向こう見ずに使い果たしてしまった活力がいざ必要になると、それが不足しているために失敗してしまいます。体力はなくなり、知力は衰えています。損をしたことに気づきますが、それが何かわかりません。いざという時が来たのに、体力は使い果たされてしまっています。健康の法則を犯す者はだれでも、程度の差こそあれ、いつかは苦しまねばならないのです。神がわたしたちに与えてくださった体力は、人生のさまざまな時期にそれぞれ必要なのです。絶えず過重な負担をかけることによってこの力を不注意に使い果たしてしまうと、いつかは失敗者となってしまいます」(『家庭の教育』428 ページ)。

*本記事は、『健康と癒し』からの抜粋です。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会新共同訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
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『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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