節制【健康と癒し】#9

この記事は約11分で読むことができます。

目次

今回の記事のテーマ

かつての彼は高名な裁判官でしたが、アルコール乱用の犠牲者となった今は、極貧の中で生活していました。この恐ろしい中毒は彼から名声を奪っただけでなく、家族と生活をも奪い、そのためにやむなく裁判官の法衣を浮浪者のぼろ服に換える羽目になりました。名声と繁栄に満ちた人生がこのような悲劇的な結末を迎えることになろうとは!

2007 年には、新聞各紙は水を飲みすぎたために死亡した、ある若い女性の無益な死についての悲しいニュースを掲載しました。

水を飲みすぎた? そうなのです。ある放送局が行ったコンテストに参加して、彼女は大量の水を飲み、その日のうちに死亡したのでした。検屍(けんし)の結果、水中毒(水あたり)が原因であることがわかりました。水は生命に欠かせないもので、通常は無害ですが、大量に飲むと死亡することがあります。

今週は、過剰を成功と考える時代にあって、節制の大切さについて考えます。上記の例話は、健康によくないものは完全に排除し、健康によいものや習慣はほどほどに用いるべきことを教えています。多くの場合、節制はとかく忘れがちな重要な要素です。

真の節制とは何か、主が私たちに節制を望まれるのはなぜか、といったことについて学んでみましょう。

聖書に出てくる最初の酔っ払い

あなたは何を遺産として残したいと思いますか。もっと特定すれば、あなたはどんなことのゆえに死後も名を残したいと思いますか。お金持ちで、人気があり、政治的な権力を持っていたことですか。真に価値あることは何だと思いますか。

手のひらの上にお金が落ちてきているイメージ画像

聖書には、遺贈財産を残した人物が何人も出てきます。ある人はよい遺産を、ある人は悪い遺産を、ある人はそれらの入り混じった遺産です。

ノアに注目してみましょう。ノアが最もよく知られているのは、たぶん、最初の、しかしあまり成功しなかった伝道者として、でしょう。ノアは120 年にわたって伝道しましたが、(人間の)回心者はほんのわずかで、それもみな直系の家族だけでした。しかしながら、ノアについての神の見方は非常に積極的なものでした。罪と悪に満ちた大洪水前の世界にあって、「ノアは主の好意を得た」(創6:8)。

問1
ノアはどのようにして神の好意を得ましたか。それは、なぜでしたか。創6:9、22、7:1

問2
ノアは忠実で、従順な人物で、神の命令をすべて実行しましたが、私たちのためにもう一つの物語が記されています。創世記9:20 〜27 を読んでください。このあさましい物語から、どんな教訓を学ぶことができますか。

ノアは聖書に出てくる最初の酔っ払いとして知られています。主のために数々の貢献をし、重い責任を負わされ、重用された人物が、このように堕落したことは悲しいことです。

頭脳は意思疎通の経路であって、理性や判断力を鈍らせる毒物や薬物によって汚染されることがあってはなりません。ノアの経験は、どんなに優秀で、強く、忠実な人間も誘惑や明らかな罪を免除されるものではないことについての警告であり、見本です。飲酒はもちろん、よいことではありませんが、ノアは少し飲みすぎたようです。ノアでもこのように堕落することがあるとすれば、私たちの場合はなおさらです。

アルコールの現状

21 世紀の最初の10 年間、アルコールは毎年、180 万人の死と何らかの点で関連があります。これは世界の全死亡者数の3.2 パーセントにあたります。痛飲(男性では4 杯から5 杯を、女性では3 杯から4 杯を立て続けに飲むこと)は未成年者や若い人たちの間で急速に広がっています。この傾向には、減少の兆しがありません。アルコールは中毒や泥酔(でいすい)、依存、その他の化学作用を通して体に悪影響を及ぼします。

問3
アルコールの害に関連して、聖書はどんな教えや経験、警告を載せていますか。士師13:2 〜8、箴20:1、23:31 〜35、イザ5:11、エフェ5:18

興味深いことに、アルコールが胎児に及ぼす否定的な作用(胎児期アルコール症候群)が明らかになるずっと前に、サムソンの母は妊娠期にアルコールを取ることに対して警告を受けています。ソロモンもアルコール、特にぶどう酒とビールの影響に対して警告しています。彼は自分の観測と、たぶん経験にもとづいて、アルコールがどのように人の態度を変え、後悔に追いやるかを描写しています。イザヤは酔っぱらった祭司が犯す過ちを如実に描くことによって、ほかの著者によってなされた警告の正当性を追認しています。パウロもアルコールに関して警告の言葉を記しています。

アルコールについての聖書の描写は、たいていの場合、不適切で、望ましくない態度について述べたものであって、その警告となっています。

アルコールを拒絶する男性の画像

「身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子(しし)のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています」(Iペト5:8)。アルコールの使用は悪魔の最大の罠の一つです。肉体と精神にとって毒となるこの危険な薬物の使用によって、これまで、どれほど多くの人が滅びてきたことでしょう。この危険な罠を、少しも妥協することなく、完全に避けることができれば、それは私たち自身と愛する者たちにとってどれほどよいことでしょう。

アルコールは「心の良薬」か

1970 年代初頭から、ぶどう酒やアルコールが心の健康に及ぼす恩恵について盛んに取りざたされてきました。この問題に関するフランスの研究については、一般の、また専門の出版物がさまざまなことを書いています。近年、フランス国民に関する資料とその後の追跡調査について詳しい分析を行った結果、理論そのものに重要な疑問が投げかけられるようになりました。アルコール飲料製造業に携わる既得権占有者たちが、この問題をめぐって大騒ぎしているだけなのです。多くの教会員は、自分たちはアルコールを飲む習慣がないために健康でないなどとは思っていません。

アルコールが若い人たちの健康にとって明らかに有益であるという報告は全くありません。アルコールが中年の人たちの心臓血管に明らかに有益であるという主張も、最近の報告によって大いに疑問視されています。

アルコールの恩恵を支持する研究においては、以前に酒を飲んでいた人たちが自制グループ(非飲酒者)に含められています。この中にはアルコール関連の病気のために飲酒をやめた人たちがいて、この自制グループは概して、飲酒者よりも健康ではありませんでした。この研究の欠陥を修正し、データ再分析の結果、ほどほどに飲むことも全く飲まないことに比べて特に健康上の恩恵がないことがわかりました。また、被験者グループの更なる詳しい調査では、ほどほどに飲むグループの人たちで、もともと健康であったと答えた人たちは自制グループとはほかの点で異なっていました。彼らは食事に気をつけ、定期的に運動し、社会的・経済的に上流階級に属し、健康管理に留意していました。こうした生活環境が健康と長寿に関係があることはよく知られています。これらの研究に見られる恩恵は、ほどほどに飲むことにではなく、その他の生活上の習慣によるものでした。 疫学者以前に、これらの毒物の恐ろしい害について警告する健康のメッセージを与えられている私たちは幸いです。広範囲におよぶアルコールの危険な影響と引き換えに、実際には存在しない健康上の恩恵を追い求めることは非常に危険です。こうしたアルコールの危険な影響は、運転能力や判断力の低下から、トラウマ(心的外傷)や暴力、事故、家庭内暴力、肝硬変、がん、中毒、さらには痴呆(ちほう)による破滅にまで及びます。

わずか1杯のアルコールでさえ、神経機能を損ない、アルコール依存への引き金になることがあります。とりわけ重要なのは、アルコールが私たちの健全な判断と聖霊に応答する能力を鈍らせることです。アルコールが原因で失敗や破滅を招いている人が私たちの周囲にいくらでもいます。

万事に節制する

「節制」という言葉は時代遅れのように見られるときがあります。私たちはよく、この言葉を酒やタバコに関連した運動・組織に結びつけて考えます。これらの運動のもとで作られ、私たちの初期の教会によって歌われた古い歌があったのを思い出します。それは、若い婦人たちにタバコを噛んで、吐き捨てるような下品な習慣をやめるように奨励するものでした。このような話は今ではほとんど笑い話になっています。

節制について語ることは避けたほうが賢明だと、考える人たちがいます。しかし、私たちが節制について語り、教えるのを怠っている間にも、かつては「世の中」だけの問題だとされていた事態に飲み込まれる人が教会の中に現れてきています。

問4
ペトロII の1:5 〜9 を読んでください。これらの言葉は、私たちの生活のすべての側面、特に健康上の習慣にどのように当てはまりますか。どうしたらこの勧告を生活の中で実践することができますか。

節制とは、単にタバコを吸わない、違法薬物を使用しない、酒を飲まない、あるいは茶やコーヒ、清涼飲料を飲まない、といった問題ではありません。というのは、たとえ体によいものであっても、取りすぎると問題を引き起こすことがあるからです。

あなたは働きすぎていませんか。適正な時間を守っていますか。神と家族、レクリエーション、運動、奉仕のための時間を割いていますか。 

睡眠時間は足りていますか。寝る間も惜しんで、働いていませんか。反対に、あなたは眠りすぎていませんか。寝過ぎは寝不足と同じく、健康によくありません。

食事はどうですか。豚肉はもちろん、鳥肉も食べないかもしれませんが、食後、食卓から立ち上がるのが辛いくらい、料理を積み上げていませんか。

日光が身体によいことはわかります。しかし、日光に当たりすぎると皮膚がんになる危険があります。運動も大事です。運動はやり過ぎても身体によくありませんが、多くの人は運動不足です。セックスも、神の賜物であるとはいえ、度を越すと、副作用があります。

エレン・ホワイトは節制の本質を次のように要約しています。「真の節制は、有害なものを全く使用せず、健康的なものを適度に使用することを教える」(『希望への光』292 ページ、『人類のあけぼの』下巻211 ページ)。

代価を払って買い取られた

現代人の多くは、自分の体は自分のものだから、自分の好きなように扱ってもよい、と考えています。ある人はまた、自分の好きなように生きても、傷つくのは自分だけであって、他人を傷つけるわけではない、と言うかもしれません。しかし、このように考えることは全くの誤りです。

問5
だれかの不節制はどんな意味であなたやあなたの知り合いを傷つけますか。もっとはっきり言えば、あなたの不節制はほかの人をどのように傷つける可能性がありますか。

聖書は住まいとしての体の重要性について述べています。この住まいは私たち自身の恩恵のため、思想、計画、行動のためだけのものではありません。私たちの身体は、実際のところ、神の神殿なのです。何という特権、また責任でしょう。私たちは自分の体よりも、自分の家を手入れすることに気を配っている場合があります。

問6
私たちが自分の体を大切にすべきなのはなぜですか。次の聖句はこの重要な問題に関して何と教えていますか。私たちが目的のない宇宙の力の偶然の産物でなく、神によって創造されたことを前提にして考えてください。ヨハ2:19 〜21、Iコリ6:19、20、10:31

イエスは御自分の体を神殿にたとえておられます。パウロはこのテーマを強調・敷衍(ふえん)して、自分が自分自身のものではないと言っています。「あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい」(Iコリ6:19、20)。

私たちは無限の代価を払って贖われました。十字架とその意義について瞑想するときに初めて、私たちは神の前における私たち自身の価値と重要性を理解することができます。それによって、私たちが霊的、肉体的に自分自身を管理するために負っている聖なる責任を理解することができます。

神は天を空(から)にして、私たちの贖いのためにイエスの血が流されるのをお許しになりました。私たちは自分自身のものではありません。私たちは贖われ、神に属する者、すべてを神に負う者となりました。これには、自分の体を忠実に管理することも含まれます。

今回の記事のメッセージ

多くの国で肥満が問題になっているにもかかわらず、大食が奨励され、実際に行われています。食事、肥満、運動不足からくる2 型糖尿病が10 代の若者の間ですら深刻な問題になっています。インターネットとポルノに傾倒することによって、暴力と性的虐待が増えています。タバコは相変わらず全世界で年間500 万人以上ともいわれる予防可能な死亡の最大の原因となっています。タバコの箱には警告文が書かれていますが、多くの人はこれを無視しています。情報は実行しない限り、何の抑止効果ももたらしません。

神はさまざまな方法を通して、私たちが健康で、幸福で、清められた者となるための一貫した指針を与えてくださっています。この勧告に従う人たちは幸いです。

「聞け。あなたたちの神、主に信頼せよ。そうすればあなたたちは確かに生かされる。またその預言者に信頼せよ。そうすれば勝利を得ることができる」(代下20:20)。 「食事の習慣が健康や品性や、この世での有用性や、また永遠の運命とどれほど深いつながりがあるか、それを自覚している人は本当に少ないものです。食欲はつねに道徳的、知的力に従わせなくてはなりません。体が精神に仕えるべきであって、精神が体に仕えるようであってはならないのです」(『家庭の教育』429 ページ)。

*本記事は、『健康と癒し』からの抜粋です。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会新共同訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

関連コンテンツ

よかったらシェアしてね!
目次