誠実──健全と聖潔【健康と癒し】#10

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今回の記事のテーマ

その日、説教者は騒々しい子供たちに少々うんざりしていました。しかも、悪いことに、それは自分の子供たちでした。ついに牧師は説教をやめて、子供たちに、説教が終わったら罰を与えると言い渡しました。子供たちはもちろん、会衆もみな静かになりました。説教が終わり、礼拝が終わり、楽しい昼食の時間になりました。一同は楽しい、和やかなひと時を過ごしました。幸せな安息日でした。

その晩、牧師の家族は幸福感にひたっていました。そのとき、小さな娘が、たぶん解放感からでしょう、牧師の父親のところに来て、こう言いました。「お父さん」。父親は答えました。「何だね」。「お父さんは今日、私に罰を与えると言ったけど、何もしなかった。うそついたのね」

正直であることは、口にすることよりも実行することのほうがはるかに難しいようです。どんなに「厳格な」人でも、よほど注意していないと、簡単に妥協してしまいます。ましてや、「ささいなこと」になると、なおさらです。

今週は、誠実の問題を取り上げ、それがさまざまな領域において私たちの生活に与える影響について考えます。

荒れ野のイエス

妥協することはじつに容易です。特に、年をとるにつれて、人は若い頃のように善悪をはっきりと区別することをしなくなります。私たちはこちらで少し、あちらで少し、と譲歩し、新しい考えを受け入れます。時がたつと、またこちらで少し、あちらで少し、と譲歩し、新しい考えを受け入れます。時がたつと、さらにこちらで少し、あちらで少し、と譲歩し、新しい考えを受け入れます。このようにして、気がついてみると、今まで想像もしなかった立場に、自分が立っているのです。妥協とはそのようなものです。

異なる境遇の二人が握手しているイメージ画像

ときには譲歩することも必要かもしれませんが、私たちは譲歩すべきでないことについてまで譲歩してはいないでしょうか!

問1
マタイ4:1 〜11 を読んでください。イエスは荒れ野でサタンの誘惑に遭われましたが、サタンはそのときどんな3 つの方法を用いてイエスに接近しましたか。イエスはどのようにしてこれらの誘惑を拒絶されましたか。このことは私たちに何を教えていますか。

サタンにとって、イエスは難攻不落の城壁でした。どんな方法を用いて攻撃しようとも、イエスは決して妥協されませんでした。中国の万里の長城が何世紀にもわたってそうであったように、イエスは難攻不落でした。いや、それ以上でした。なぜなら、万里の長城が破られたことがあるからです。どのようにして、でしょうか。だれかが門番を買収したからでした! たった一人の門番が自分の務めを怠ったために、すべての事業、すべての石造建築、すべての石が無駄になったのでした。

妥協することはじつに容易です。サタンは私たちの食欲、私たちのうぬぼれ・高慢、所有欲、その他あらゆる方法を用いて、私たちに罪を犯させ、誠実を捨てさせ、イエスから離れさせようとします。私たちはサタンの策略を知ると同時に、神の約束にすがり、悪の道に足を踏み入れないように警戒する必要があります。絶えず神の力にかたく信頼し、すすんで自己を捨てることによって、私たちは勝利することができます。

誠実を貫く

この世の中には、私たちを道徳的妥協に導くような多くの誘惑があります。出張した社員が旅費を水増しする。インターネットでこっそりポルノをのぞき見る。子供が親にうそをつく。税金をごまかす。暴飲暴食をする。……あげれば、きりがありません。

問2
次の記事を読んでください。彼らは道徳的誠実に背くことを容易にさせる状況に置かれました。彼らはそれを断固として拒んだのですが、どんな点で背くことは容易だったでしょうか。これらの記録から何を学ぶことができますか。特に、これらの誘惑の背景について、妥協させようとする圧力について、ありえる言い訳について考えてください。

・創世記39:6 〜12
・サムエル記上24:1 〜10
・ダニエル書6:1 〜10

正直なところ、私たちは多くの取引において不正を行っているか、そうでなくても何らかの言い訳をしていることを認めざるをえません。たとえうそをつかないにしても、完全に真実を伝えているとは言い切れません。正直であることは必ずしも状況の改善にはつながらないと信じているかもしれません。そのような態度は人生の多くの領域において見られます。正直を貫く代わりに方便を用いたことがないでしょうか。そうしたくなるのはなぜでしょうか。

信仰生活と誠実

ある青年が小型のエンジンとトレーラーのついたプレジャーボート(遊覧船)を買いました。外見はまだ立派で、中古だったので、比較的安く買うことができました。新しいボートに乗ってみたくなったので、彼は友人を誘い、ボートを船着き場まで運び、そこから乗り出しました。船は快調に走り、一行はオンタリオ湖の沖にある小さな離島に到着しました。

彼らは船を岸に引き揚げ、島を探検してから、家に帰るために船に戻りました。ところが、少し走ったところで、船底から水が入ってきて、船は沈んでしまいました。3 人は水の中に投げ出されましたが、幸いすぐに救助されたため、大事に至りませんでした。いったい、何が起こったのでしょうか。じつは船底の板が一枚腐っていて、それが船を引き上げたときに裂けたことがわかりました。たった一枚の板が船を沈没させてしまったのです。

私たちの人生にも、同じようなことが起こります。あらゆる点で堅実で、忠実で、安全だと思っていても、たった一つ主にゆだねていないこと、執着している罪があると、取り返しのつかない道徳的、霊的、肉体的な災難に巻き込まれるのです。

問3
エフェソ3:14 〜21 を読んでください。パウロはここで何と教えていますか。このことは私たちの道徳的誠実さとどんな関係がありますか。私たちはどうしたらこれらの約束を生活の中で体験することができますか。

これらの聖句の中に、多くの約束が与えられています。聖霊は内側から私たちを力づけてくださいます。聖霊は、美容整形でなく心臓手術のように私たちの内側から働いて、私たちを造り変えてくださいます。この変化は信じることによって、神の愛を体験することによってもたらされます。神は私たちの生き方が完全に変わることを求められます。神は、私たちが「神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされる」ように望まれます。パウロは自助的なニューエイジ(新時代主義)哲学、つまり私たちが自分の内にある力を引き出すことについて教えているのではありません。「わたしたちの内に働く」力とは、私たちが求め、思う以上のことをかなえてくださる神の力のことです。問題は、神によって導かれているか、それとも肉の性質に支配されているか、です。

性的誠実

問4
ロマ1:26、27、コリントIの6:15 〜18、テサロニケIの4:3、ユダ7 を読んでください。これらの聖句は今日の私たちに何を教えていますか。

若いミーガンは大学に入りました。彼女にとって、長いあいだ家庭を離れるのは初めての経験でした。彼女は性的不道徳について教えられ、聖書や教会の教えも知っていましたが、実際にそのような状況に置かれるまでは、誘惑の恐ろしさを知りませんでした。そのようなことが悪であって、自分が人生に求めているものでないこと、神が自分のためによりよい道を備えてくださることを、彼女は知っていました。初めのうちは、彼女も気丈(きじょう)に振る舞い、誘惑に抵抗していました。そのうち、ゆっくりと、しかし確実に、一歩一歩、妥協していきました。初めのうちは、強い罪悪感がありました。しかし、徐々に、以前ほど感じなくなっていきました──自分が不治の性病にかかっていることを知るまでは。そのとき初めて、彼女は自分の過ちの現実を悟ったのでした。

聖書を手に持ちながらも頭を抱え座り込む人の画像

性的不道徳は悪です。それは罪であって、罪は私たちと神との関係、また隣人との関係を損ないます。同時に、現代にあっては、それは深刻な肉体的危険をともないます。ヘルペスからエイズに至るまで、肉体的な破壊をもたらすようなさまざまな性病の原因になるからです。これらの病気から自分自身を守る最も確実な方法は、性的不道徳に関する聖書の原則に従うことです。性的快楽は結婚関係にある男女のためにあります。それ以外は神の計画に反することであって、悪です。しかも、それは深刻な肉体的結果をともなうことがあります。

肉体的な面だけではありません。いかに不公平であるとはいえ、特に性的不道徳の被害を最も受けやすい女性にとっては、感情的な代償は大変なものです。

婚外交渉を避けることが最善の選択であることは、たいていの人が認めるところです。

今日、特に関心事となっているのが、インターネットの普及によってかつてない広がりを見せているポルノの問題です。この恐ろしい災難によってどれほど多くの人生が犠牲になるかは、神だけがご存じです。犠牲になっている人にも救いはありますが、多くの人は羞恥心のためか、必要な助けを求めようとしません。

信じるところに従って行動する

パウロはローマ12:1、2 で、自分自身を礼拝として完全に主にささげなさいとクリスチャンに勧めています。体と心と霊が一つの統一体として主にささげられています。そのためには、統一体の各部分が完全でなければなりません。

純粋な心の重要性は認めても、自分の体については無関心な人がいます。すでに見たように、これは聖書の立場ではありません。私たちの体は神の賜物であって、それゆえに神によって自分の体を大切にするように命じられているのです。

統一体であるためには、私たちの行為が信仰を反映したものとならねばなりません。今日、健康的な生き方の原則が多岐にわたることについては、議論の余地がありません。医学は私たちが何年も前から知っていたことについて教えています。運動は体の健康にとって重要です。このことを知っていながら運動することを怠るなら、私たちは完全性を欠いていることになります。きれいな水と適度の日光は健康に有益です。これらのことを知っているゆえに、私たちはそれを実践するように求められています。

肥満が多くの国に広がっている時代です。暴飲暴食の危険を否定する人はまずいません。体重を気にしている人は特にそうですが、私たちは何を、どれくらい食べるべきかを自分で決めねばなりません。タバコが世界で最も恐ろしい殺人者であることは、ほとんどの人が知っています。アルコールやマリファナ(大麻)からコカインに至るまで、薬物の使用は何百万という働き盛りの人々の生活を奪ってきました。新鮮な果物と野菜、穀類を推奨しているのは預言の霊だけではありません。政府の農業省でさえ、脂肪分の多い食肉の消費を減らすように奨励しています。私たちは菜食のよさを知っているのですから、菜食を心がけるに越したことはありません。

「真の宗教と健康の法則は一致する。健康を損ない、魂を堕落させ、聖なる真理を心に印象づけることを妨げる罪深い欲求の充足をやめる必要を説くことなしに、人々の救いのために働くことは不可能である。すべての習慣と行いを注意深く点検し、体の健康を害し、心に暗い影を投げかける行為を直ちにやめるように、人々に教えねばならない。神は御自分の証人たちに人々の前につねに高い標準を掲げるように望まれる。彼らは教訓と模範によって自らの高い標準をサタンの偽りの標準の上に高く掲げねばならない。サタンの標準は従う者たちの肉体と魂を不幸と堕落、病と死に導くものである」(『健康に関する勧告』480 ページ、英文)。

今回の記事のメッセージ

「世界で最も欠乏しているものは人物である。それは、売買されない人、魂の奥底から真実で、正直な人、罪を罪とよぶのに恐れない人、磁石の針が南北を指示して変わらないように、良心が義務に忠実な人、天が落ちかかろうとも正しいことのために立つ人、──そういう人である」(『教育』54 ページ)。

「私たちがなすべき働き──厳しく、真剣な働き──がある。私たちのあらゆる習慣と好み、傾向は生命と健康の法則に調和するように教育されねばならない。この方法によって、私たちは最高の肉体的条件を満たし、悪と善を識別する知的明晰(めいせき)さを持つことができる」(『食事と食物に関する勧告』28 ページ、英文) 

「私たちの危険は欠乏からではなく豊かさから来る。私たちは絶えず度を越す誘惑にさらされている。神に奉仕するための力を確保しようと望む者たちは、自分の賜物の使用に関して厳しく節制し、有害で堕落的なあらゆる放縦(ほうじゅう)から完全に遠ざかる必要がある(『食事と食物に関する勧告』29 ページ、英文)。

*本記事は、『健康と癒し』からの抜粋です。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会新共同訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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