ポルノからの解放ー健全な思考への回復【心が愛で満たされるとき】#6

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ジョエルのいやし

30歳の時、ジョエル(仮名)は、ソフトウェア会社の高い報酬と揺るぎない地位を手にし、プロとして成功していました。彼はまた広範な能力、特にコンピューターの専門知識を活かして教会に奉仕する、活動的なクリスチャンでした。教会の若い女性と結婚に至るかもしれないようなすばらしい友情を築き上げていましたが、彼女の方は自分のタイプではないと判断し、彼との付き合いをやめたのです。それでジョエルは困惑し、自信を失い、他の人に求愛する気持ちにもなれませんでした。

ジョエルの問題は色欲によって悪化しました。職場やその他の場所で出会う女性たちのことを、性的に空想する習慣が身についてしまったのです。好きな女性と普通の会話をした後には、ほとんどいつでも性的関係を想像し、時にはマスターベーションに至っていました。

ジョエルはこういうことでかなり気詰まりになっていました。クリスチャンとして、自分が経験していることは人間関係や性的関係のための神のご計画ではないと感じていましたし、そうすることを望んでいたわけでもありません。ジョエルは、時折、この問題について祈っていましたが、解決しませんでした。カウンセリングを受けようかとも思いましたが、彼の問題はあまりにも恥ずかしい内容で、おいそれと話せるようなものではありません。それでも結局、大学院でカウンセリングの学位を得ていた大学時代のルーム・メイトに話すことにしました。ジョエルは正式なカウンセリングを望んではいませんでした。ただ、口の堅い人と自分の重荷を分かち合い、問題解決のための何かヒントを得たいと思ったのです。

最初、ジョエルは自分の関心事を話すのは難しいと思いましたが、結局、その友だちにすべてを打ち明けることになりました。2時間の会話でジョエルはほとんど話し尽くし、詳細に至るまで彼の問題を説明しました。彼はまた、かつてのルーム・メイトが不思議そうに自分を見たり、自分の異常な行為を裁いたりしないどころか、親友として喜んで助けたいという態度を示してくれたことにも驚きました。この会話を通してジョエルは大きな安らぎを覚えることができたのです。

暗い部屋で男性がスマホの画面を見ているイメージ画像

二人は2か月の間に5、6回会いましたが、ジョエルはその結果に満足でした。また、親友が用いた手法にも大いに感動しました。その手法には、聖霊の力をカウンセリングのプロセスに引き込むことも含まれていたのです。ジョエルにとって、世俗的カウンセリングの欠点の一つは、セラピストが、このような行為は誰も傷つけていないのだから罪悪感を覚える必要はない、とジョエルを説得しようとすることでした。信仰者であったジョエルの親友は、心理療法における霊性を重んじており、会話中にいつもお祈りをしました。

かつてのルーム・メイトと会う中で、ジョエルは何を学んだのでしょうか。彼が学んだのは、行動の前、最中、後に抱く思考パターンがこの上なく重要である、ということでした。こういった思考パターンを頻繁に経験すればするほど、習慣がより深く根付くようになることも理解できました。ですからジョエルは、継続的に自分の思い、気持ち、感情を意識する必要がありました。

ジョエルに出された宿題の一つは、毎日の出来事や思いと同様、自分自身の内に起きる最も顕著な気持ちや感情を記録していくことでした。それからジョエルと友だちのセラピストは、ジョエルの感情や思いの意味と、それらがジョエルの問題とどう関わり合っているかを見極めようとしたのです。好色な思いを止めるためには、その思いに至らせるような、状況、人間、思考などの刺激を特定する必要があることを、ジョエルは知りました。

水面下の問題

ジョエルはまた水面下の問題について学びました。好色な思いとマスターベーションは、より深い問題が表面に表れたものでした。例えばジョエルは、自然で、くつろいだ形で女性の友だちを相手にすることに困難を覚えていました。彼はまた、あらゆる人と自然に関わることのできない個人的な不安を抱いていることも自覚したのです。中心的な問題は、ガールフレンドに拒絶されたためか、女性に拒絶されることを非常に恐れていることでした。人を退屈させたと思っては、「自分はなんてつまらない男なんだろう」と自身に言い聞かせることも繰り返していました。すべてこういった問題には注意と行動が必要なので、ジョエルは、友だちが「自己教示(self-instruction)」と呼ぶ戦略を学びました。ジョエルは自分についての悲観的で非現実的な思いや信念を捨て、彼と友だちが納得できるもので置き換える必要がありました。友だちのセラピストは、性的な空想が後に続かない、ごく自然な形で女性の友だちと肯定的な会話をするという宿題もジョエルに出しました。ジョエルは自信と技術を身につけるために、その友だちとこういった出会いを予行演習することさえしたのです。

メモをとりながら会話しているイメージ画像

最後に、ジョエルは一生感謝できるものを学びました。彼は、絶えざる頻繁な祈りによって神に依存することを学んだのです。ジョエルは一時間毎に鳴る腕時計を持っていました。そして時計が鳴り出すと、一呼吸おいて短い祈りをささげ、大小さまざまの具体的な祝福と闘いに勝利する力を神に感謝しました。多くの異なる場所や状況において時間が来れば鳴り出す腕時計のおかげで、ジョエルはいつも祈ることができました。彼は、家族、友だち、共労者、彼が好色の眼で見ていた女性たち、さらには生活の中で出会う見知らぬ人たちのためにも、祈り始めたのです。当初、これはカウンセリングの課題でしたが、その後も彼は実践し続けています。

ジョエルが従った日課の多くは、「認知行動療法」として知られる心理療法で広く用いられているものの一部です。認知行動療法を支える基本理論は、人々が情緒的に不安になるのは、出来事や状況によってではなく、考えの整理の仕方によるのだ、というものです。この心理療法のアプローチには、思考(認知)と所作(行動)の二つの基本要素があります。ジョエルは彼の思考と行動の両方を変える必要がありました。要点は、ひとたび思考を変えたら、行動も自然に変わるということです。

「認知行動療法」を実践している人たちは、肯定的で理にかなった物の見方は、個人の領域、対人関係の領域、業績の領域などあらゆる領域で、より良い心的状態、より良い結果を生み出せると信じています。彼らはまた、人々の思考が肥大化したり、絶望的になったり、偏ったり、歪んだりすると、機能不全に陥る可能性が高いと考えています。

思考と所作の関係、および個人がそれを制御できるということは、仕事、家族、友情、ストレスの強い出来事などさまざまな状況や、精神衛生のあらゆる重要な領域にあてはまります。さらに、私たちの霊的な生活は、私たちの考え方によって著しい影響を受けます。聖書は私たちに、思考と活動、善と悪の結びつきについて教えるとともに、思考を制御し、それをキリストへの従順に従わせること(2コリント10の5)が私たちの責任であることを思い起こさせてくれます。本章の残りにおいて、思考の重要性を私たちに気づかせ、必要な変化をもたらす神の支援を見いだせる聖書の訓戒や物語から、教訓を得たいと思います。

人は思うがごとく……

ホワイト夫人の書き物から編集し、一九八五年に出版された信仰書『キリストを映す(ReflectingChrist)』には、「あなたが考えていること、それがあなたです」①という記事が載っています。それはコリントの信徒への手紙二10章5節の注釈で、元々は1905年8月23日号の『サインズ・オブ・ザ・タイムズ』に掲載されたものですが、そこには私たちの思考が魂の闘いにとってどんなに重要であるかという、説得力のある記述が含まれています。ここにその幾つかをご紹介しましょう。

オフィルの金の延べ板以上に貴重なものは、正しく思考する力です。思考を正しく制御することに高い価値を置く必要があります。そうすることによって救い主のために働く備えをすることになるからです。私たちの思いをキリストに集中させることが、人生における私たちの平和と幸福に必要なことです。人は思うがごとくなるのです。

あらゆる不純な思いが魂を汚し、道徳的な感覚を鈍らせ、聖霊の印象を消してしまいます。それは霊的な視力を曇らせるので、人間は神を見ることができないのです。

回心させる神の力は、心を変え、思考を洗練し、浄化します。思考をキリストに集中させ続けるために断固とした努力がなされなければ、生活に恵みが現れることはありません。理性は霊的な闘いに携わらなければなりません。

私たちは、純潔な思いが持つ魂を高貴にする力と、悪い思いが持つ破壊的な影響力とを、絶えず感じ取る必要があります。私たちの思いを聖なるものの上に置くようにしましょう。清純で真実な思いを抱きましょう。どの魂にとっても唯一の防衛手段は正しい考え方だからです。私たちの思想を管理し、陶冶するために、神が私たちの手の届くところに置いてくださったあらゆる方法を活用すべきです。私たちは思いをキリストの思いと調和させるべきです。キリストの真理が私たちの身体、魂、霊を清める時、私たちは誘惑を乗り越えることができるようになるでしょう。

思考は行動を決定します。良い行為も悪い行為も、外からではなく、心から出てきます。マルコによる福音書7章には、思いが第一、行動は二の次という順序を強調しておられるイエスの物語が記されています。イエスは、ファリサイ人や律法学者たちが手を洗う儀式に大変関心を寄せていることに気づかれました。彼らは、イエスの弟子たちがよく手を洗うのを忘れ、儀礼上清くない手で食べ物を食べているのを批判していました。イエスは彼らに妥当な見方を突きつけられたのです。昔の人たちの言い伝えを固守して、時には十戒を破っていることについて彼らを強く非難されました。例えば、自分のためにお金や動産を取っておく目的で、これらの宗教指導者たちは、「それはコルバンです」と宣言しました。これは、彼らの両親がどれほど困窮していても、手続き上、両親と富を分かち合うことができなくなる「法的な」方法でした。しかし実際には、彼らは第五条の戒めを破っていたのです。

イエスは、外から人々の中に入ってくるもの、例えば礼典律による手の清めをしそこなうことが人々を道徳的に不浄にするのではない、と繰り返し説明なさいました。むしろ、「中から、つまり人間の心から、悪い思いが出て来るからである。みだらな行い、盗み、殺意、姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである」(マルコ7の21~23)と。このようしてイエスは、私たち全員が内から出てくる行為の申し開きをすることになり、その際には、決して環境や状況や過去の経験のせいにできないことを明らかにされたのです。

また別の機会に、イエスは木と実の関係についての実例を用いて同様の認識をさらに強調なさいました。「木は、それぞれ、その結ぶ実によってわかる。茨からいちじくは採れないし、野ばらからぶどうは集められない。善い人は良いものを入れた心の倉から良いものを出し、悪い人は悪いものを入れた倉から悪いものを出す。人の口は、心からあふれ出ることを語るのである」(ルカ6の44、45)。

夫婦がカウンセリングを受けているイメージ画像

あるご夫婦のカウンセリングをしていた時、私は彼らから学ぶとともに、私の療法の戦略をいくつか彼らと分かち合う機会がありました。ご主人には怒りを抑えられないという問題がありました。ほんの少しの衝動によって狂人のように声をあげ、時には奥さんと子どもたちの身体を荒々しく揺さぶるのです。この男性はささいなことで腹を立ててしまうのを認めていましたし、その恐ろしい、非クリスチャン的で、野蛮な行為を治したいと思っていました。彼はそれについて祈ってきましたが、少し経つとまた悪い行為をしてしまうのです。彼は助けを必要としており、奥さんが彼を支えるようになっていました。

私がこのご夫婦に説明したのは、私たちは全的に神に依存しているけれども、入手できる手段は何でも用いる必要があり、そうすれば神が残りのことをしてくださるということでした。気分を制御できるように保つことや、爆発する前に怒りを和らげることがいかに大切であるかを、私たちは話し合いました。この男性は怒りの原因を突き止め、それを意識して行動する必要があるとともに、爆発寸前であることを警告する「前駆指標」の合図を見つける必要もありました。

そのようなものを特定するのに男性は苦労しましたが、奥さんの方は苦労しなかったようです。いつ彼の怒りが込み上げてくるか、そして程なく自制心を失うかを、彼女はわかっていました。次にお会いした時、お二人は一つの発見について話してくれたのですが、その発見はすでに試験済みで、効果があったといいます。これはいたずらのようなもので、ご主人の怒りが込み上げてくるのを奥さんが察知したならいつでも、彼の目をまっすぐに見て、穏やかな口調で「100ペソ」と言うのです。二人はこの無意味な言葉を、ご主人が自分を客観視し、怒りのプロセスを遮断し、自制心を取り戻す合図にしよう、ということで合意したのでした。

クリスチャンの枠組みの中では、これは初期治療──正しい方向への一歩──にすぎません。最終的な解決は、聖霊のご支配のもとにある人生を送る時に与えられます。「霊に従って歩む者は、霊に属することを考えます。肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和であります」(ローマ8の5、6)。

心をかき乱す思い

人が思い悩む時、私たちはそれを言い当てることができます。「顔は魂の鏡である」という言葉は、広く知られ、よく使われるスペインの諺です。ダニエル書4章には、地の果てからも見える巨大な木についてのネブカドネツァルの夢の話があります。その木は切り倒され、枝や葉っぱ、実は散らされ、切り株と根っこだけが残ります。この夢は、獣の心に変えられると、まったく動物のごとく私たちを振る舞わせる人間の心をも描いています。預言者ダニエルはその話を聞いた時、「驚いた様子で、しばらくの間思い悩」(ダニエル4の16)みました。ダニエルの顔は彼の感情をあらわにしていたに違いありません。なぜなら、非常におびえていた王もしばらく自分自身について考えるのをやめ、ダニエルに注意を向け、「恐れずに言うがよい」と言ってダニエルを励ましているからです。

苦悩に満ちた思いは、ダニエルの苦悩のように一時的で、すぐに解消されないと、不適応な行動に至ることがあります。そういうわけで認知行動のアプローチでは、間違った思考を避けることが重要であるとしているのです。しかし私たちはまた、認知行動のアプローチが強調しないこと、すなわち同様に、行動と外部状況が間違った思考を引き起こすかもしれないという事実を認識する必要があります。それゆえ、悪を避けるというクリスチャン的アプローチは、内的なものと外的なものを両方とも含むべきなのです。

テレビゲームを遊んでいるイメージ画像

アイオワ州立大学のクリストファー・バーレットとカンザス州立大学のクリストファー・ロードヘッファーは、攻撃的な思考と感情へのコンピューター・ゲームの影響を研究しました。② 被験者として選ばれた74人の大学生男女は、三つのゲーム──『砂漠の嵐ゲーム』〔暴力的で現実的〕(注・湾岸戦争を題材とした特殊部隊アクションゲーム)、『スター・ウォーズ』〔暴力的だが非現実的〕、『激しいテニス』〔暴力的でない〕──のうちの一つをするよう、無作為に割り当てられました。暴力的で現実的なゲームをした若い男女は、四回の測定時に、最高レベルの攻勢的な思考、攻撃的な感情、一分あたりの心拍数を示しました。暴力的だが非現実的なゲームをしたグループは攻撃性が二番目に高く、暴力的でないゲームをしたグループの攻撃性は最低でした。この実験においては、思考が行動の原因になっているのではなく、行動が思考の原因になっていることが明らかに示されました。

ヴァージニア・コモンウェルス大学精神行動遺伝学研究所のアイマン・ファヌースと同僚による大規模な研究の目的は、死や自傷を考えることなどの自殺念慮に影響する変数を発見することでした。③ 被験者はヴァージニア双生児登記所の女性の双生児でした。彼女たちの平均年齢は、研究開始時には29歳、研究終了時には36歳でした。2164人の女性(1082組の双生児)が最初インタビューを受け、さらに少なくとも一年以上の間隔をあけて三回のインタビューがなされました。何人かの参加者を失いましたが(インタビューをすべて終えた女性は1942人)、自殺念慮や自傷の考えは心の中から出てくるのではない、という結果になりました。このような思考を予想できる外部変数としては、子ども時代の性的虐待、失業、コカインの乱用、低い教育レベル、宗教心の低さ、他愛性の低さ、親しい人の死、暴行、経済問題などが含まれます。

この研究で明らかになったのは、ある種の思考プロセスは──ここでは自殺ですが──明らかに状況や外部要因によって影響されるということです。従って、好ましい状況や行動が好ましい考え方をもたらすと信じることは、道理にかなっていると言えるでしょう。そのような行動とは、どのようなものでしょうか。『健全な精神を発達させる(DevelopingaHealthyMind)』④という本は、正直、責任、公正、他人への尊敬、誠実、真実といった普遍的な原則と価値によって導かれているライフスタイルが、健康的な思考様式を支援する、と述べています。

健全な思考

使徒ペトロ自身の言葉によると、彼は「健全な思考を促す」(2ペトロ3の1、NIV〔新国際訳〕)ために教会に彼の手紙を書き送りました。欽定訳聖書の翻訳では、「純真な知力を呼びさまそうとした〔欽定訳に近い詳訳聖書から直接引用〕」という意味が込められています。その強調点は、預言者たちのメッセージとイエス・キリストの福音(2節)を全面的に実践するためのある種の認知的な作業──考えること、理解すること、推論すること、比較対照すること、記憶すること、因果関係に気づくこと、原則を適用することなど──に置かれているのです。ペトロは安全な精神的視野を維持する確かな方法として聖書に忠実であるよう、すべての読み手に訴えています。

ジョン・セルデン(1584~1654)は古今東西の最も博学な人間の一人でした。彼の書斎には、当時としてはおびただしい数である、八千冊もの蔵書がありました。セルデンが死の床にいた時、彼の傍らにいたのがアイルランド教会の大司教ジェイムズ・アッシャー(1581~1656)でしたが、セルデンがこう言うのを聞きました。「私は人類の中にあるほとんどの学問を概観してきましたし、私の書斎はさまざまなテーマに関する書物や原稿で満ちています。しかし今、私は魂を憩わせることのできるいかなる言葉も、私のあらゆる書物や論文の中から思い出すことができません。聖書の御言葉を除けば……」。それから彼は、祝福に満ちた希望とイエス・キリストの栄光の現れについての聖句、テトスへの手紙2章11節から14節までを復誦したのでした。

私たちはペトロの手紙二3章についても同じことを言うことができます。私たちが知る限り、3章を構成している18の節は、ペトロが死ぬ前に書いた最後の文章です。彼の最後のメッセージの主題は何だったでしょうか。それはすべてのクリスチャンにとっての祝福の望み、イエスの再臨でした。ペトロは、あざける者たち、偽教師、激しい迫害にも関わらず、最終時代の出来事に思いを集中するよう、信者たちを促しています。(私たちは、ペトロの手紙がネロの最悪の統治時代の最中、紀元60年から70年に書かれたということを思い出す必要があります)。ペトロは、イエスの再臨を望むことが、艱難のただ中において平安と意味を与えてくれるのだ、という確信を伝えているのです。

健全な思考を深めるために私たちは何をすべきでしょうか。その答えは、「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい」(コロサイ3の15)という使徒パウロの言葉の中にあります。実際、3章1節から17節の言葉は、精神、心と行動、実践の間の完全なバランスを保つ有効な原則と考えることができます。パウロが用いた次のような表現に注目してください。「心を留め」「怒り、憤り、悪意、そしり、口から出る恥ずべき言葉を捨てなさい」「憐れみの心……を身に着けなさい」「赦し合いなさい」「愛を身に着けなさい」「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい」「感謝していなさい」「キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい」

以下に3章1節から17節の言葉から抽出できる聖なる生活の原則のいくつかを挙げましょう。

・キリストはすべて地上のものにまさっておられる。
・キリストは命の源であられる。
・古い人と新しい人の間には明らかな違いがある。
・キリストにあってはどんな個人的な差別もない。
・兄弟愛は神の民の間における統治原則である。
・キリストは真の平安を私たちの心にもたらすことができる唯一のお方である。
・クリスチャンは神に感謝しなければならない。

家族と私は知人のいない教会に出席し、礼拝後、パトラックのために残っていました。参加者はほとんど大人で、すぐに14歳の息子が、「これじゃ退屈だ!」と、いつもながらのせりふを変な抑揚で口ずさみながら近づいてきました。家内はすぐさま反応して、「退屈というのは心の状態なの。退屈しないようにすればいいのよ!」と言いました。息子は困った顔をしましたが、母親のすすめによって思考の糧が与えられたようで、パトラックの残りの時間、不平一つ言わないで周囲の2、3人の人と会話していました。

そうです。私たちは何を考えるか、選ぶことができます。実際、私たちは心の平安を手に入れるために、自分の思いをイエス・キリストに服従させることができるのです。もしあなたの思いがかき乱されていたり、あなたの思いが望ましくない行動をもたらしていたりするのであれば、それらの思いをイエスのもとへ持っていってください。あなたの思いが、真実なもの、気高いもの、正しいもの、清いもの、愛すべきもの、名誉なもの、また、徳や称賛に値するもの(ピリピ4の8)になるのを目にするかもしれません。

参考文献

①           Ellen G. White, Reflecting Christ (Hagerstown, Md.: Review and Herald, 1985), 308.

②           Christopher P. Barlett and Christopher Rodeheffer, “Effect of Realism on Extended Violent and Nonviolent Video Game Play on Aggressive Thoughts, Feelings, and Physiological Arousal,” Aggressive Behavior 35 (2009): 213–224.

③           Ayman H. Fanous et al, “The Prediction of Thoughts of Death or Self-Harm in a Population-based sample  of Female Twins,” Psychological Medicine 34 (2004): 301–312.

④           Julian Melgosa, Developing a Healthy Mind (Madrid: Safeliz, 2007), 17.

*本記事は、フリアン・メルゴーサ『健全な精神と感情──心が愛で満たされるとき』からの抜粋です。

著者:フリアン・メルゴーサ博士
ワラワラ大学教育心理学部学部長。スペインのマドリッド出身。マドリッド大学で心理学と教育学の研究をし、アンドリュース大学院から教育心理学で博士号を授与される。スペイン、英国、フィリピン、米国において、教育者、カウンセラー、行政家として奉仕。フィリピンの神学院アイアス(The Adventist International Institute of Advanced Studies)元学長。精神的・霊的健康に関する主な著作に以下の書がある。Less Stress (2006),  To Couples (2004), For Raising Your Child (2002), Developing a Healthy Mind: A Practical Guide for Any Situation (1999). 最近の学術論文に以下のものが含まれる。‘An Adventist Approach to Teaching Psychology’ (70-4, 2008) Journal of Adventist Education.  ‘Professional Ethics for Educational Administrators’(66-4, 2004) Journal of Adventist Education.

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