フス戦争
フスとジェロームの処刑はボヘミアでも国家的な騒動になりました。フスは忠実な教師として尊敬されていました。フスの死後、彼の著作は多くの人々の関心を集め、フス戦争がはじまります。フスとジェロームの死から4年後の1419年のことです。
教皇と皇帝が団結してフス派の運動を鎮圧する中で神は1人の救世者を起こされます。ツィスカはこの時代の最も有能な将軍のひとりで、ボヘミア軍の指揮官でした。1410年の戦いで片目を失望し、後年、もう片方の目も失明してしまいます。しかし、彼は勇敢に軍隊を率いて勝ち続けます。彼は戦争で一度も負けたことのない数少ない軍人のひとりです。天才的な軍人で戦車の原型を発明した人物です。
農民が中心の軍隊だったにも関わらず巧みな戦術を駆使しました。そして、神が彼らの味方でした。フス軍は、数でまさり、よく訓練された教皇軍を撃退しました。ツィスカは生涯で250以上の戦いを戦い、2度にわたる十字軍の攻撃に耐えました。ツィスカは戦場で最後を迎えたのではありません。黒死病を患ってしまったのです。彼は死ぬ間際も部下に指令を出し、自分も戦場に戻りたいと切望していました。彼は部下に自分の皮膚を使って太鼓を作るように命令し、彼らはその太鼓を手に持ち、たたきながら戦場に赴いたのです。
彼の後任にはプロコピウスが就任しました。彼も勇敢な指導者でした。ある面ではツィスカよりも有能でした。ボヘミアの敵は盲目の将軍が死んだことで、ついにフス軍に勝利できると考え、教皇派は別の十字軍を送り1427年にボヘミアに挑みますが、敗れます。その後、再び十字軍を送りますが、敗北しました。1431年、新教皇のもとで第5次十字軍がおくられました。教皇軍はまたしてもフス軍に大敗するのです。
教皇庁の偽り
教皇庁は武力制圧を諦め、外交に打ってでます。妥協案を成立させるため、良心の自由を提供するように見せかけて、実際にはローマの権力に覆る方法を考えていました。ボヘミア側は和平の条件として4箇条を明記しました。それらは
1.聖書から自由に説教できること
2.教会全体が聖餐のパンとぶどう酒を受けること、母国語で礼拝を行うこと
3.すべての世俗的な役割や権限から聖職者を排除する事でした。
4.犯罪をおかしたなら聖職者でも民事裁判を受けなければならないと規定しました。
ローマ教皇庁はフス派の4箇条を受け入れましたが、それらを説明する権利、すなわちその正確な意味を決定する権利は皇帝と教皇側にあるとしました。この条件に基づいて条約が結ばれ、教皇庁は争いでは得られなかったものを偽りによって得たのでした。同時の解釈を条文に加える事で、ちょうど聖書にしたのと同じように真理をねじ曲げることに成功したのです。
サタンは公然と正義に対抗する事が困難なときに妥協という戦術を試みます。これは歴史上、そして聖書の中でサタンが繰り返し行ってきたことです。私たちは注意深く賢く見極めなければなりません。サタンがどんな戦術を使おうと私たちは神の側に立つべきです。戦いの中にあっても、妥協を求められても、常に神の側に立つことができますように。