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イサクとアブラハムの信仰
イサクは偉大な信仰の父アブラハムの息子です。イサクという名前にはヘブライ語で「笑い」という意味があります。父100歳、母90歳の時に与えられた念願の跡継ぎだったからです。アブラハムの神に対する信頼と忠誠は、イサクの品性にも大きな影響を与えました。イサクもまた、神に対するまっすぐな信仰を持ち、愛情が強く、柔和で謙遜な信仰者として成長していきました。
そんなイサクの信仰の姿勢をよく表した出来事が、彼が20歳の時に起こりました。あるとき、アブラハムは神の声を聞きます。「アブラハム、あなたの愛する一人子、イサクをモリヤの山でいけにえとして捧げなさい」。100歳になってやっと奇跡的に神から与えられた、かけがえのないイサクを、ほかでもない父なる神が、「切り裂いて薪の上において、全焼の生贄としてささげなさい」といわれたのです。それは、アブラハムの信仰と品性を練り清めるための神の試練でした。
アブラハムはただちにイサクを連れてモリヤに向かって歩き始めました。一日中歩いて日が暮れる頃、イサクはきっと水を汲んできて父親の足を洗い、食事の準備をしたり、疲れた父の体をマッサージしてあげたことでしょう。何も知らずに父の世話をするイサクを見て、アブラハムは心臓が破裂するほど苦しんだはずです。
そしていよいよ、アブラハムがイサクを祭壇の上に置いて縛りつけました。イサクはこの時、20歳の青年でしたから、アブラハムが自分を殺そうとしていたことはよく分かっていましたし、120歳の老人となっていた父親を突き飛ばして振り切って逃げることなど簡単にできたはずです。それでもイサクはアブラハムの信仰に信頼して従ったのです。そしてアブラハムが刀を振り下ろそうとした時、天使がそれを止めました。アブラハムとイサクはこの厳しい試練に合格したのです。
このような信仰の試練を経ながら、イサクはやがてイスラエル民族の祖となるヤコブに信仰のバトンをつないでいくのです。