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イエスがバプテスマを受けるためにヨルダン川に来られたとき、バプテスマのヨハネは叫びました。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」(ヨハ1:29)。ヨハネはこの宣言で神の完全な救いの計画を要約していました。
私たちはみな道を逸れ、罪を犯し、神の栄光を受けられなくなっています。罪の支払う報酬は死です。しかし、神の御子が自発的に私たちの代わりに刑罰を受けられたのです。「彼が刺し貫かれたのはわたしたちの背きのためであり 彼が打ち砕かれたのはわたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによってわたしたちに平和が与えられ 彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた」(イザ53:5)。
イエス・キリストは十字架の上で神の小羊として死なれ、あらゆる点において神の完全な救いの計画を実現しておられました。「キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだ」(I コリ15:3)。「罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました」(Ⅱコリ5:21)。
◆ 「当然キリストが受けられるべきとり扱いをわれわれが受けられるように、キリストはわれわれが当然受けるべきとり扱いを受けられた。われわれのものではなかったキリストの義によってわれわれが義とされるように、キリストはご自分のものではなかったわれわれの罪の宣告を受けられた。キリストのものであるいのちをわれわれが受けられるように、キリストはわれわれのものである死を受けられた。『その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ』」(『各時代の希望』上巻11 ページ)。
この有名な文章を、「われわれ」のところにあなた自身の名前を入れて読んでください。この素晴らしい真理を理解し、実感するまで、繰り返し、声に出して読んでください。
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*本記事は、聖書研究ガイド2005年第3期『主イエスを体験する』からの抜粋です。