地は主のもの【優先順位の主】#6

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イエスの過激な要求―イエスは御自分を最優先するように私たちに求められます。イエスは御自分の弟子になろうとするすべての人に対して、次のように言われます。「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない」(ルカ14:26)。

明らかに、イエスのこの言葉は文字通りに受け取ることができません。もし私たちがイエスの弟子として敵をも愛するように求められているとすれば(マタ5:44)、肉親のような親しい人々はもちろん愛するべきです。イエスは私たちに家族を憎むように求めておられるのではありません。そうではなく、力強い、誇張した表現を用いて、私たちが自分の生活の中でイエスを最優先すべきであることを教えておられるのです。イエスは私たちに対して、御自分を最優先するように、また最高の献身をささげるように望んでおられます。イエスは私たちを創造し、御自分の血をもって贖ってくださいました(I ペト1:18、19)。私たちはあらゆるものをイエスに負っています。それゆえに、私たちが生活の中でイエスを第一とすることによって、この事実を認めるように求められるのです。

次の聖句を読んでください。それらは私たちの人生に対するイエスの要求を理解する上でどんな助けになりますか。

創1:1 19:5 イザ45:18 詩編24:1 詩編50:10、11 コロ1:16

主を人生において第一にするという考え方は、私たちが主に対してどのような関係にあるかということから来ています。この関係を理解するときに、なぜ主を最優先すべきなのかを理解することができます。特定国の指導者は他国の国民を支配する道徳的・法的権限を持ちません。たとえば、フランスの大統領はパラグアイの国民の生活に関してあれこれ言う権限を持ちません。

私たちの創造者である主は宇宙の絶対的な支配者です。このことを認めると否とにかかわらず、主は私たちに対して権威を持っておられます。特定国の支配者が自国の国民を支配する権威を持つのと同じです。自分の持ち物であれ、いただき物であれ、私たちはその管理の責任を主から与えられていますが、それは神がまずそれらのものを造り、私たちに与えてくださったからにほかなりません。 

このことをつねに覚える必要があります。神は私たちに与えられた賜物を御自分の栄光のために用いるようには強制されないからです。神は私たちを自由な者、自分の望みに従って優先順位を決める自由を持った者として創造されました。私たちは、言葉、あるいは自分の生き方や優先順位の決め方において神の要求を第一とすることもできれば、自分自身の選択に従って、自分の好きなように行動し、誤った選択の悲しむべき結果を刈り取ることもできます。

◆ あなたは歌うのが得意ですか。資産家ですか。話すのが上手ですか。農業で成功していますか。あなたが何を持っていようと、また何をしていようと、すべてのものが神から来ることを覚えてください。これらを理解することは、あなたの優先順位を決める上で助けになりますか。キリストをあなたの人生において第一とするためには、何を変える必要がありますか。

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*本記事は、聖書研究ガイド2005年第3期『主イエスを体験する』からの抜粋です。

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