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「わたしはあなたの背きを雲のように 罪を霧のように吹き払った。わたしに立ち帰れ、わたしはあなたを贖った」(イザ44:22)。
昨日の研究では、神が私たちの創造主であるという事実にもとづいて、神が私たちに要求しておられることに注目しました。この意味において、神は私たちの所有者です。しかしながら、このこと自体は、堕落した世界にあって、私たちに神に仕えたい、あるいは自分の人生と優先順位を神に捧げたいと思わせるには十分ではありません。それは、自分の雇用主のために働いている人がその所有者のために働く義務を負うように、私たちに義務を負わせるかもしれません。しかし、神は私たちに対して冷たく厳格な義務感から御自分に仕えるようには望んでおられません。むしろ、神が私たちに求められるのは、創造主としてだけでなくまた贖い主として、私たちのためにしてくださったことのゆえに神を愛する愛の心から神に仕えることです。
聖書は、主が私たちの創造者であり、同時に贖い主であられることを明らかにしています。多くの聖句が、私たちの贖いの業を達成された贖い主イエスについて記しています。事実、贖いの思想を抜きにして十字架上のイエスの死を理解することはできません。
旧約聖書と新約聖書に出てくる「贖う」または「贖い」という言葉は、「買い戻す」、「請け戻す」、「解放する」などを意味するさまざまな言葉から来ています。これらの思想は、イエスが私たちのために成し遂げてくださった御業の真理を伝えています。彼は私たちの創造主であるばかりでなく、贖い主です。イエスは罪の力、そして最終的な法的結果から私たちを贖ってくださいました(ロマ6:23 参照)。この贖いが私たちにとって個人的に何を意味するかを理解し、この贖いがもたらす自由の喜びを自分で体験するときに、イエスを私たちの最優先の主とすることがずっと容易になります。
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*本記事は、聖書研究ガイド2005年第3期『主イエスを体験する』からの抜粋です。