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山上の説教を終えるにあたって、 イエスは聴衆に何と問いかけておられますか(ルカ6:46)。イエスの言われることに従っていたなら、私たちの人生はどれほど変わっていたと思いますか。
服従は、私たちがイエスを救い主また主として受け入れていることの最高の証拠です。イエスの意思が私たちの意思となり、イエスの計画が私たちの計画となります。私たちはイエスの救いの恵みに対する愛の応答として、人生のすべての点で主であるイエスに自分自身を完全にゆだねます。
イエスを「主」と呼びながら、自分の人生に対するイエスの主権を無視して、毎日の計画を立てるような決定的な過ちは、何としてでも避けなければなりません。私たちは容易に自分自身の計画を遂行することに心を奪われがちです。日常のあらゆる活動を導き、支配してくださるように主に求める代わりに、自分がすでに立てた計画を祝福してくださるように主に求めがちです。エレン・ホワイトは、イエスを救い主また主として受け入れる人たちのために別の戦略を提案しています。「毎朝、その日一日、神に献身して、すべての計画をかれにお任せし、摂理のままに実行するなり、中止するなりするのです。こうして、日ごとに生涯を神のみ手にゆだねるとき、次第にあなたの生涯がキリストの生涯に似てくるのであります」(『キリストへの道』94 ページ)。
◆ これらの物語はある程度、私たちすべての人の経験を映し出していないでしょうか。あるものは幸せな結末で終わっていますが、あるものは悲しい結末で終わっています。決定的な違いは何だったのでしょうか。
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*本記事は、聖書研究ガイド2005年第3期『主イエスを体験する』からの抜粋です。