一日の初めに【優先順位の主】#10

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主イエス・キリストは一日の初めに神を求めることの大切さを自ら例示しておられます。「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた」(マコ1:35)。「朝早く、どこか人里離れた静かな場所で、瞑想するか、聖書を調べるか、祈っておられるかするイエスのお姿がよく見られた。こうした静かな時間からイエスは家へもどって、なすべき仕事をふたたびとりあげ、忍耐強い骨折り仕事の模範を示された」(『各時代の希望』上巻89、90 ページ)。

私たちも主イエスの模範に従いたいものです。絶えず主に相対することはもちろんですが(詩編16:8 参照)、特別な祈りの時を持つことも重要です。ダビデは朝に、昼に、夕べに祈りました(詩編55:18 ──口語訳55:17 参照)。ダニエルもそうでした(ダニ6:10 参照)。

詩編5:2 ~ 4(口語訳5:1 ~ 3)にある詩編作者の祈りを読んでください。特に朝(または目覚めたとき)が私たちの思いを神に向け、神と交わる上でふさわしい時間であるのはなぜだと思いますか。

神との交わりを一日の最優先事項とすべきことは、ほとんどのクリスチャンが認めるところです。しかし、そうは思っていてもなかなか実践できないのが現実です。深夜の活動や早朝の務めが主との交わりの時間を妨げているように思われます。その結果、問題に直面する前に、先を見越して主を求める代わりに、事態が悪くなってから、反応的に主を呼び求めるようになります。多くの人が、祈り、聖書を読み、御言葉を瞑想する時間を持たないために、その霊的生活を著しく弱めています。朝食を摂らないと、すぐに肉体の燃料が燃え尽きてしまうのと同じように、朝の祈りを怠ると、敵が絶えず仕掛けようとしている誘惑に対処する霊的な「燃料」が切れてしまいます(I ペト5:8 参照)。

◆ あなたの、日ごとの朝の祈りを妨げているものは何ですか。今日から、主との交わりをもって一日を始めるように決心してみませんか。

神を人生において第一とし、最高の主とした聖書の人物について考えてください。たとえば、イエスの母マリアの生涯について考えてください。ルカ1:26 ~38 を読んでください。マリアは神の要求にどのように応答していますか。

自分の人生を他者の権威に従わせるという思想は21 世紀においてはあまり歓迎されません。人間は自分で自分の運命を決めたがります。自分で支配したがります。しかし、クリスチャンの考え方は異なります。御自分の主権の下で生きるように私たちに要求されるお方は、私たちの愛する主です。主は私たちを贖うために御自分の命を与えてくださいました。主の主権のもとにあるのは、隷属ではなく自由です。私たちは奴隷ではなく、息子・娘です。

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*本記事は、聖書研究ガイド2005年第3期『主イエスを体験する』からの抜粋です。

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