思考の力【思考の主】#11

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心の戦いー多くのクリスチャンは、ひとたびイエスを主また救い主として受け入れたなら、戦いは終わると思い込んでいます。しかし、現実には、戦いは始まったばかりです。イエスの地上生涯にも見られるように、サタンが攻撃を強めるのは、私たちがバプテスマを受けてからです。戦場となるのは私たちの心です。サタンの主要な誘惑の一つは私たちに記憶の罪を犯させることです。彼は私たちを昔の、禁じられた道に連れ戻そうとします。対照的に、私たちの主イエス・キリストは、過去のことを忘れ、「心を新たにして自分を変えて」(ロマ12:2)いただくように望んでおられます。ここで「自分を変えていただき」と訳されているギリシア語動詞は、マルコ9:2 でイエスの「変容」を描写するのに用いられているのと同じ動詞から来ています。これが、主イエス・キリストが御自分の贖われた子らの一人ひとりに抱いておられる理想的な姿です。キリストの望みは、私たちの心が新たにされて、私たちを通して主の栄光が輝くようになることです。

出エジプト記20:17、コリントI の2:16、マタイ5:8、歴代誌上28:9 を読んでください。これらの聖句に共通していることは何ですか。

聖書は私たちの行いと言葉について多くのことを教えています。このことはよく理解できます。なぜなら、私たちの行いと言葉が自分自身と他人に大きな影響を及ぼすからです。

ところが、聖書には、主が私たちの思考にも心を留められると書かれています。なぜでしょうか。心に思っても行動に移さなければ、問題がないのではないでしょうか。神はなぜ私たちの考えることにまで心を留められるのでしょうか。思考によって他人を傷つけたり、傷つけられたりした人があるでしょうか。思考は私的なもの、個人的なものであって、それを言葉に表したり、それにもとづいて行動しないかぎり、他人を傷つけることはないのではないでしょうか。

心に思っても行動に移さなければ、何を考えても問題ではないと思いますか。思考にもとづいて行動しないことは可能ですか。たとえ思考にもとづいて行動しなくても、考えることは重要だと思いますか。

創6:5、箴4:23、マタ5:27 ~ 30

私たちの思考はすべての言葉と行為の基礎ですから、何を考えるかは重要な問題です。あらゆる悪い行為、悪い言葉、罪は、まず思考として始まります。全く「無害の」思考であっても、まず心に抱くことによって、やがて言葉や行為となって現れ、恐ろしい害をもたらすのです。何が思考だけに留まり、何が苦々しい結果をもたらすかは、だれにもわかりません。自分や他人を傷つける結果になる前に、思考を制御する必要があるのはそのためです。

◆ 突然、あなたの心の思いが巨大なスクリーンに映し出されたと想像してください。何が見えると思いますか。

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*本記事は、聖書研究ガイド2005年第3期『主イエスを体験する』からの抜粋です。

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