肉と霊【願望の主】#16

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欲望を神の意志に従わせるー使徒パウロは、終わりの時になると、人々は「神よりも快楽を愛」するようになる、と警告しました(Ⅱテモ3:4)。現代の状況を的確に表現した言葉です。現代人の多くを導いている原則は、「あなたの欲望を満足させよ」です。クリスチャンの価値観は、旧式、不合理、時代遅れのものとして捨てられています。道徳的規範が廃されたために、道徳的抑制もきかなくなっています。根本にある考え方は、「人を傷つけない範囲で自分の好きなことをする限り、それをやめるべき理由は何もない」です。

対照的に、キリストの主権の下で生きる人たちは、自分のあらゆる欲望を神の意志に従わせるように求められています。主御自身、次のように宣言しておられます。「わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである」(ヨハ6:38)。イエスは、「しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」(マコ14:36)と祈られましたが、それによって神の御心に従うことについて完全な模範を示されたのでした。それは私たちに対する命令でもあります。私たちは意志と欲望を主に従わせる必要があります。

キリスト教信仰はギリシアの文化と哲学の中で始まり、広まりました。ギリシア帝国そのものはローマ人によって滅ぼされましたが(ダニ2 章参照)、ギリシアの影響力はその後も長く残りました。

ギリシア文化の思想の一つに、人間の肉、欲望、感情は悪であるゆえに、人間は肉を超越する必要がある、という考え方がありました。ある哲学者は次のように教えました。(1)人間はもともと純粋な霊であった。(2)人間の魂は「堕落」によって下落し、肉の中に置かれた。(3)真の霊的、道徳的成長はもとの霊的状態に復帰することにある。

しかしながら、この考え方は聖書に合致したものではありません。聖書によれば、人間の肉体そのものは悪ではありません。

人間の肉体そのものが悪でないことを示す最大の実例を聖書からあげてください。

ロマ8:3、I テモ3:16、フィリ2:8、ロマ1:3、ガラ4:4

今は罪の影響を受けているとはいえ、人間の肉体は悪ではありません。なぜなら、イエス・キリストが人間の肉体をお取りになったからです。しかし、たとえばローマ8:4、5、ガラテヤ5:24、25、6:8といった、特にパウロの手紙に見られるような新約聖書の言葉が、肉を霊に対立するもののように描いているのはなぜでしょうか。 

大切なことは、人間の肉体、人間の肉そのものが悪であると言っているのではないということです。キリストの人性がそのことを証明しています。むしろ、ここで強調しているのは、人間の肉を制御すること、欲望を神の支配下に置くということです。エフェソ2:3 がそのことを明らかにしてくれます。「わたしたちも皆、こういう者たちの中にいて、以前は肉の欲望の赴おもむくままに生活し、肉や心の欲するままに行動していたのであり、ほかの人々と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした」。

あるいは、「霊」という言葉の用い方に注意してください。ここで言う「霊」は、[ギリシア人の言う]絶えず肉と対立する、永遠の、聖なる実体とは違います「霊」にあって生きる人とは、自らを聖霊に従わせる人のことであり、そのような人は肉欲を制御することのできる人です。

◆ あなたは「肉」に従って歩んでいますか。それとも「霊」に従って歩んでいますか。そのことはどのようにしてわかりますか。

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*本記事は、聖書研究ガイド2005年第3期『主イエスを体験する』からの抜粋です。

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