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天地創造の記録をさっと読んだだけでも、自然界、特に人体が悪であるという概念はどこにも見当たりません。それどころか、神が男と女を創造されたのは、彼らが神の被造物と親しく交わるためでした。男は神が創造されたばかりの地から直接造られ、女は男から造られました。このように、人類と地とは密接な関係にあります。男と女は共に地上で生き、地から食物を得て、産み、増えるのでした(創1:28)。彼らはさらに多くの人間を創造する働きに参加するのでした。神は彼らに「野の草」(創2:5)を食物として与え、また「見るからに好ましく、食べるに良いもの」(9 節)をもたらすあらゆる木を与えられました。このことは、彼らが食物を楽しんだことを暗示します。食物は彼らにとって喜びとなり、栄養となるのでした。まさに、それは楽園でした。それを真の楽園としていた要素の一つは、人間の感覚に快いということでした。
確かに、神は私たちを肉体的な存在として創造し、肉体的な欲望を与えられました。肉体的な欲望そのものは悪ではありません。神御自身が与えられたものだからです。問題は、人間の基本的な欲望にあるのではなく、堕落した存在である人間がそれをどのように用いるかにあります。神の意図に反する行動に走ることのないように、それをどのように制御するかにあります。それが可能なのは、私たちに対する神の御心を知り、罪深い自己を神に従わせることだけです。それによって、破滅の道に踏み込まないように、自分の欲望を神の御心に従わせる力を受けることができます。
◆ 罪による荒廃の中にも、どんな素晴らしい創造の御業を見ることができますか。神はなお私たちにどんな祝福を与えておられますか。それは創造主の愛をどのように啓示していますか。
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*本記事は、聖書研究ガイド2005年第3期『主イエスを体験する』からの抜粋です。