服従【願望の主】#20

この記事は約2分で読むことができます。

欲望を制御するように教えている聖書の勧告を読むことと、それを守ることとは全く別のことです。私たちは正しいことを行おうと望んでいますが、神の御心よりも自分の欲望と情欲に従ってしまう傾向があります。このことは、何世紀も前に有名な教父アウグスティヌスによってよく表されています。彼は次のように祈りました。「神よ、私に情欲に勝利する力をお与えください。だけど、もう少し後で」。程度の差こそあれ、人間はみな同じ傾向を持っています。 

しかし、クリスチャンには大きな望みがあります。私たちは破滅をもたらす欲望に勝利することができます。これは従順な魂のうちに働く神の力と聖霊によってのみ与えられます。人間はみな何かに従います。問題は何に従うかです。死をもたらす欲望にか、命をもたらす神にか、です。ほかに選択肢はありません。

コロサイ2:12、13、ローマ6:1 ~ 7、コリントⅡの5:17 は、どのような基本的な真理を教え、どんな個人的な経験について語っていますか。

聖霊によって、キリストに全的に従っている人たちは、古い自己に死に、「新たに生まれ」ます(ヨハ3:3)。彼らは心と肉の欲望を含めて自分の全存在を神にゆだねます(ロマ6:13 参照)。今や、彼らは聖霊の力と影響力のもとで生き、それによってキリストにある新たな命にあずかります(ガラ5:25 参照)。自己に死に、キリストにあって再び生きる人たちは、主を知らなかった時とは異なり、キリストの力によって自分の欲望を制御しながら生きることができます。

しかしながら、この新しい生き方は日ごとの経験です。キリストを信じた人が、それまで習慣となっていた喫煙や飲酒などを突然やめたという話を聞くことがありますが、多くのクリスチャンの生き方には当てはまりません。品性は一瞬にして変わるものではありません。罪と自己、肉の性質との日ごとの戦いがあります。たとえ神の力によって勝利したとしても、それらは絶えず戦いを挑んできます。私たちは自分自身の力では堕落した肉の性質に打ち勝つことができません。私たちにできることは一瞬一瞬、自分の意志をキリストにゆだね、罪深い欲望に打ち勝つ力を主に求めることです。これには自己否定と絶えざる警戒、戦いと多くの祈りが必要です。勝利は約束されています。それ以外に勝利の道はありません。

自分の欲望を神の意志に従わせることに失敗した聖書の人物について考えてください。彼らの行為の結果に注目してください。ある人たちは自分の罪を悔い改め、神の赦しと救いの恵みに信頼しました。ほかの人たちは罪のうちに留まり、永遠に滅びることになりました。

聖書の人物結果                               
カイン(創4:3 ~ 15)
モーセ(出2:11 ~ 15)
ダビデ(サム下11 ~ 18 章)
ペトロ(マタ26:69 ~ 75)
ユダ(マタ27:3 ~ 5)

「あなたは聖霊にあって生き、聖霊にあって歩み、聖霊の実を結ぶことができる。あなたは神の満ちあふれる豊かさに満たされることができる。そのとき、あなたは生きた光の通路となり、あなたの命はキリストと共に神の内に隠される」(エレン・G・ホワイト『原稿集』第4 巻49 ページ)。

\ 心のサプリのシリーズ別アーカイブはこちら /

*本記事は、聖書研究ガイド2005年第3期『主イエスを体験する』からの抜粋です。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会新共同訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

関連コンテンツ

よかったらシェアしてね!
目次