愛に根ざして真理を語る【言葉の主】#23

この記事は約2分で読むことができます。

私たちは、叱責と勧告の言葉を語らねばならないときがあります。

マタイ16:23、23:13 ~ 39、ヨハネ14:8、9、18:19 ~ 23 を読んでください。イエスはどのような語調でこれらの言葉を語られたと思いますか。それは御自分の体現された愛と恵みの原則をどのように反映していますか。

「キリストご自身は、真理のみことばをひとこともかくさず、いつでも愛をもってそれをお語りになった。イエスは人々とのまじわりに、最大の機知と思いやりのある親切な注意とを働かされた。主は、決して不作法だったり、不必要にきびしいことばを出したり感じやすい魂に不必要な苦痛を与えたりなどされなかった。主は、人間の弱さを非難されなかった。イエスは、偽善、不信、不義を恐れるところなく攻撃されたが、激しい譴責のことばを出される時には、その声に涙があった。道であり真理でありいのちであるイエスを受け入れることをこばんだイエスの愛された都エルサレムのために、イエスはお泣きになった。人々は救い主イエスをこばんだが、イエスはやさしいあわれみと、心を裂く深い悲しみとをもって彼らをごらんになった。どの魂もイエスの御目にはとうとかった。イエスはいつも天来の威厳を備えておられたが、同時にまたこの上なくやさしい思いやりをもって、神の家族のひとりびとりをかえりみられた。すべての人のうちに、イエスは堕落した魂をごらんになり、その魂を救うことがイエスの使命であった」(『各時代の希望』中巻84、85 ページ)。

エフェソ4:15 を読んでください。愛に根ざして「真理」を語るとはどんな意味だと思いますか。愛からほど遠い方法で語られたとしても、「真理」はやはり「真理」ですか。

悲しいことに、私たちはときどき愛のない方法で真理を語ることがあります。ある人々はせっかちに真理を語るだけで、愛が伴っていません。ある人々は愛ではなく感傷をもって語るので、真理が十分に伝わりません。

◆ 重要なのは何をではなく、どのように語るか、です。鏡の前、または人の前で同じ言葉を、愛のこもった口調で、次に冷たい口調で話してみてください。

\ 心のサプリのシリーズ別アーカイブはこちら /

*本記事は、聖書研究ガイド2005年第3期『主イエスを体験する』からの抜粋です。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会新共同訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

関連コンテンツ

よかったらシェアしてね!
目次