天の父なる神に祈る【祈りの主】#26

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主の生涯―キリストの生涯は祈りの生涯でした。イエスは祈りを最優先されました。マルコは次のように記しています。「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた」(マコ1:35)。ルカは次のように証ししています。「イエスは祈るために山に行き、神に祈って夜を明かされた」(ルカ6:12)。「イエスの一生ほど骨折りと責任で多忙な生活はほかになかった。それなのに、祈っておられるイエスの姿がどんなにかしばしば見受けられたことだろう」(『各時代の希望』中巻100 ページ)。

もしイエスの生涯と教えに従うなら、私たちもまた祈りに献身し、主の模範から学ぶはずです。祈りは信仰生活の中心であり精髄です。祈りがなければ、私たちは霊的に死んだと同然です。

祈るときには、天の父なる神に祈りましょう。イエスの御名によって祈りましょう。神の御心に従って祈りましょう。私たちの主の、聖なる執り成しの働きに参加しましょう。

イエスは、神を「父」(ヨハ17:1)、「聖なる父」(11 節)、「正しい父」(25節)と呼びかけられます。その短い祈りの中でさえ、「天地の主である父よ」(ルカ10:21)と呼び、ゲッセマネの苦悩の中でも、アラム語で“アッバ” と呼びかけられました。親しみを込めた「お父さん」の意です(マコ14:36)。初期のクリスチャンは何度かイエスの模範に従っています(ロマ8:15、ガラ4:6 参照)。

次の聖句は神が民に求められる関係について何を教えていますか。

申1:31

申32:6

詩編103:13

イザ63:16

マラ2:10

箴3:12

理想的には、父親は愛と関心、守りに満ちた人物、また子供から愛され、信頼され、模範とされる存在です。

聖書はまた、養子の概念について述べています。キリストに従う者は、父なる神の家族の「養子」となったのです(ロマ8:15、ガラ4:5、エフェ1:5 参照)。ローマ時代、養子は新しい家族としてのあらゆる法的権利と特権を享受しました。キリストに従う者として、私たちは神の子とされ、完全な救いにあずかります。「御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです」(I ヨハ3:1)。

私たちは父なる神に祈ることによって、神がどのようなお方で、私たちのために何をしてくださったか、また私たちが神とどのような関係にあるかを言い表し、神の救いを認めるのです。「父」の称号は慰めと希望、喜びを与えます。

◆ 世の中には父親の名にふさわしくない、虐待的で、無慈悲な父親もいます。父親という言葉が苦痛に満ちた記憶しか与えない人たちに、どうしたら、天の父なる神の愛を理解し、体験するのを手助けできますか。

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*本記事は、聖書研究ガイド2005年第3期『主イエスを体験する』からの抜粋です。

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