忠実な僕として生きる【財産の主】#39

この記事は約2分で読むことができます。

マタイ24:45 ~ 51 で、主は何と教えておられますか。

忠実で賢い僕の特質について考えてください。彼は自分に期待されていたことを実行していました。言い換えるなら、彼が正しい教理や神学を持っていたということだけの話ではありません。それらのことはたぶん、彼の行為そのものに含まれていたはずです。重要なのは、彼が従順であったということです。主人の帰ってくる時期はそれほど重要ではありません。主人がいつ帰ってきても問題ではありませんでした。というのは、主人がいつ帰ってきても、僕は忠実に働いていただろうからです。

一方、私たちは不忠実な僕を裁き、その頑迷さを非難しがちです。しかし、私たちの多くは同じような振る舞いをしているのです。私たちは自分自身の要求を満たすために主からゆだねられた財産を使っています。自分自身の願望や計画に熱中するあまり、主からゆだねられた賜物の管理者としての務めをおろそかにしています。

今日の聖句をもう一度読んでください。悪い僕は主人に対してどのように振る舞いましたか。仲間を殴り、酒飲みどもと一緒に食べたり飲んだりするとは、どうすることですか。私たちは今日、キリストの再臨を待つと言いながら、悪い僕と同じような生き方をしていませんか。

不忠実な僕は、主人が帰って来ないとは考えていませんでした。彼は、主人の帰りが予想よりも遅くなると考えただけでした。このことは、私たちアドベンチストが直面する危険をよく描写しています。私たちは主の再臨を長く待ち望んできましたし、しばしば再臨が「遅れている」と言っています。主の再臨が遅れていると考えるゆえに、私たちの生き方が無意識のうちに変わってきてはいないでしょうか。

◆ キリストが昨日来られたと想像してください。あなたは忠実な僕だったでしょうか。不忠実な僕だったでしょうか。もし後者なら、忠実な僕と見られるために、昨日、何をしておくべきだったと思いますか。

\ 心のサプリのシリーズ別アーカイブはこちら /

*本記事は、聖書研究ガイド2005年第3期『主イエスを体験する』からの抜粋です。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会新共同訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

関連コンテンツ

よかったらシェアしてね!
目次