満足することを学ぶ【財産の主】#40

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「もっとも、信心は、満ち足りることを知る者には、大きな利得の道です」(I テモ6:6)。

ここで「満ち足りること」と訳されている名詞は自立、つまり「他人からの援助がなくても自活できる状態」を暗示します。このような状態はパウロの時代の哲学者から高く評価されていました。使徒パウロは満ち足りることを一つの美徳と考えていましたが、クリスチャンにとっては、それが人間の内部からでなく外部から来ることを示唆しています。

「満ち足りること」あるいは「満足すること」に言及しているほかの聖句について調べてください。

フィリ4:11 ~ 13、ヘブ13:5

私たちの満足は主また救い主イエス・キリストに対する確信にもとづいています。彼は私たちを力づけてくださるお方です。ほかのすべてが砂のように移り変わるときでも、彼は私たちの岩です。ほかのすべてが頼りにならないときでも、彼は私たちの保証です。イエス・キリストを離れて、真の満足はありません。

「パウロはテモテへの手紙の中で、富める人々の心に容易に忍び込む偽りを取り除くように教えるようテモテに助言している。富める人々は自らの富のゆえに貧しい人々より優れていると考える。富める人々は富を得る能力があるゆえに、知恵と判断に優れていると考える。要するに、利得が信心であると考えている。これは恐ろしい偽りである。パウロが富める人々に与えるようにテモテに委任している責任に耳を傾ける人が何と少ないことであろう。富を得る能力が信心であるとうぬぼれている人が何と多いことであろう。パウロは、『信心は、満ち足りることを知る者には、大きな利得の道です』と言明している。富める人々は富を得る一事のために生涯をささげるかもしれないが、彼らは何も持たずに世に生まれ、何も持たずに世を去る。彼らは多大の犠牲を払って得たものを残して、死んでゆかねばならない。彼らはすべてのもの、永遠の利益を賭けてこの財産を手に入れたが、どちらの世界をも失った」(『教会へのあかし』第1 巻541 ページ)。

◆ ここに述べられているような危険を冒してまで富を手に入れる必要がないのはなぜですか。どうしたらこのような罠わなに陥るのを予防できますか。

ステュワードシップ(管理者の務め)に関する二つの事例研究

 ―愚かな金持ちの物語とニコデモの物語を比較してください。

愚かな金持ち(ルカ12:13 ~ 21)

―「愚かな金持ちのたとえによって、キリストは、この世をすべてとする者の愚かさをお示しになった。この人は、すべての物を神から受けていた。……彼は、貧しい人々を助けることができるように、神が彼を神の物をつかさどる家令とされたことを自覚しなかった。彼は、神のたまものを分配するという尊い機会を持ちながら、自分の安楽のことしか考えなかった」(『キリストの実物教訓』231、232 ページ)。

ニコデモ(ヨハ3:1、2、19:38 ~ 40)

―「いまやユダヤ人たちが生まれたばかりの教会を破壊しようとしていたとき、ニコデモはそれを防ぐために進み出た。もはや警戒も疑問もなく、ニコデモは弟子たちの信仰を励まし、エルサレムの教会を支え、福音事業を進めるために、自分の富を用いた。以前に彼を尊敬していた人々は、いまは彼を嘲弄し、迫害した。そして彼はこの世の富には貧しくなったが、信仰を守ることにはひるまなかった」(『患難から栄光へ』上巻109 ページ)。

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*本記事は、聖書研究ガイド2005年第3期『主イエスを体験する』からの抜粋です。

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