神の栄光を現す【体の神殿の主】#44

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コリントの信者に性的不道徳によって体の神殿を汚してはならないと訴えたあとで、使徒パウロは生活のあらゆる面を導く一つの原則を提示しています。「だから、あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光のためにしなさい」(I コリ10:31、英語新国際訳)。ここで「栄光」と訳されているギリシア語名詞は、同6:19 で動詞として用いられている語と同じです(「あなたの体をもって神を崇めなさい」新国際訳)。これら二つの聖句の相互関係は明らかです。私たちの体は聖霊の宿る神殿であるゆえに、食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光のためにすべきです。

自分の体をもって「神を崇める」、また「神の栄光のために」食べ、飲むとは、どうすることですか。これらの聖句は、神が私たちの飲み食いにまで関心を持っておられることについて何を教えていますか。

私たちは肉体を持った存在で、新天新地においても、そうです(黙21:4、14 参照)。私たちが神殿であるという思想は、私たちが肉体を持った存在であることの神聖さと重要性をさらに裏づけるものです。とするなら、自分の体に留意し、創造主の栄光のために体を用いるよう勧められているのも当然です。肉体的な放縦、罪、虐待は、神に造られ、与えられたものを冒瀆することになります。

また、神が私たちを愛し、御心に留めておられるのであれば、私たちが自分の体に留意することを望まれるとしても驚くには当たりません。私たちの喜びと苦しみはしばしば、自分の体にどれほど留意するかにかかっているからです。

次の聖句から、神が私たちの健康に関心を持っておられることがどのようにわかりますか。

出15:26、エレ30:17、マコ5:25 ~34、Ⅲヨハ1:2

◆ 「自然の法則は神の法則であるから、それらの法則を注意深く研究することは明らかに私たちの義務である。私たちの体に関してそれらが要求していることを学び、それに従わなければならない」(『教会へのあかし』第6 巻369 ページ)。このエレン・ホワイトの言葉はどんな意味で、パウロがコリントI の10:31 で述べている原則を反映していますか。

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*本記事は、聖書研究ガイド2005年第3期『主イエスを体験する』からの抜粋です。

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