礼拝の中心【礼拝の主】#51

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神はまことの礼拝者を求めておられるー人間はみな、最終的にはだれかを、何かを礼拝するものです。問題は礼拝するか否かではなく、むしろだれを、何を礼拝するか、です。主イエス・キリストは地上におられたとき、その行いと教えによって礼拝の重要性を強調されました。神殿で、会堂で、あるいは丘の上で、イエスは父なる神を礼拝されました。ヤコブの井戸でサマリアの女とお会いになったときには、神がまことの礼拝者を求めておられると言っておられます。イエスによれば、まことの礼拝者とは、「霊と真理をもって」神を礼拝する人たちのことです(ヨハ4:23)。

今日から五日間、キリストの主権のもとで生きる私たちに欠かせない礼拝について考えます。

礼拝を受けるに値するお方はただひとりです。サタンがイエスに、ひれ伏して、自分を拝むように要求したとき、主は言われました。「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある」(マタ4:10)。

聖書は神を拝む理由としてどんなことをあげていますか。

詩編95:6、7、詩編99:9、黙4:8 ~ 11、黙5:8 ~ 14

聖書にははっきりと、神だけを拝むように書かれていますが、私たちは時々、神以外のものを礼拝する誘惑に駆られることがあります。たとえば、使徒ヨハネは天使の前にひれ伏して、拝もうとしています。すると、天使は次のように叱責します。「やめよ。……神を礼拝せよ」(黙19:10)。

使徒言行録14:8 ~ 18 を読んでください。足の不自由な人がイエスの御名によっていやされるのを見たとき、リストラの人々はパウロとバルナバにどのように応答しましたか。彼らのとった態度がよく理解できるのはなぜですか。21 世紀の今日、私たちもどんな意味で同じ誘惑に駆られ、神以外のものを拝みそうになることがありますか。

リストラの住民は、「神々が人間の姿をとって、わたしたちのところにお降りになった」と言って、いけにえの動物を運んできて、パウロとバルナバを拝もうとしました(使徒14:11)。この出来事に関連して、エレン・ホワイトは次のように述べています。「パウロは住民の心を唯一の礼拝の対象者であるまことの神に向けようとしたが、彼らをその目的からそらすことはきわめて困難であった」(『パウロ略伝』58 ページ)。

◆ だれかから、あなたが神を礼拝するのはなぜ、と聞かれたなら何と答えますか。一度も見たことのないお方、信仰によって受け入れるしかないお方を拝む理由をどのように説明しますか(クラスで話し合ってください)。

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*本記事は、聖書研究ガイド2005年第3期『主イエスを体験する』からの抜粋です。

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