ルシファーのうぬぼれ【天における戦い】#4

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ルシファーの要求は心、つまり思いの中で始まりました。神は人の心を感情、決定、行為の中枢としてお造りになりました。人は心に思う通りに生きるようになります。詩編作者は次のように言っています。「わたしは仰せを心に納めています/あなたに対して過ちを犯すことのないように」(詩119:11)。神の思いと御旨で満たされた心は罪に対する防壁となります。しかし、ルシファーはその心を反逆とうぬぼれで満たしました。

「わたしは天に上り/王座を神の星よりも高く据え」(イザ14:13)。ルシファーの最大のうぬぼれは、キリストと同じ主権を手に入れようとしたことです。それは創造の秩序に根本的に逆らうものでした。創造者だけが主権者となることができます。

「神々の集う北の果ての山に座し」(13 節)。ルシファーの野望は神々の集う山の上に座すことでした。この野望がかなうなら、天使の忠誠と礼拝を勝ち取ることができたはずです。しかし、礼拝は神だけにささげるべきものです(詩96:9 参照)。

ルシファーの野望は「いと高き者のようになる」ことでした(イザ14:14)。ルシファーのこのうぬぼれはどこが間違っていたのでしょうか。

聖書は私たちに、神のようになるように教えています。神のように愛する、神のように助けを与える、神のように赦す、神のように罪を憎む、神のように希望を与えるようにと教えています(ガラ5:22 ~ 26、コロ3:12 ~ 14)。問題は、ルシファーの望んだのが神のどんな属性だったかということです。彼が求めたのは神の権力、地位、権威、栄光であって、神の愛、慈悲、憐れみではありませんでした。

ルシファーの反逆はあからさまな反乱として始まったのではありません。反逆は気のつかないくらいの、ささいな疑いや憎しみ、貪欲やねたみをもって始まります。しかし、そのうちに、思ってもみなかったほどに発展します。御言葉をもって心を守り、日々神に献身していないと、心は反乱を起こします。

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*本記事は、聖書研究ガイド2002年第1期『キリストとサタンの大争闘』からの抜粋です。

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