「ひれ伏してわたしを拝むなら」【勝利の模範イエス】#33 

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第2 課(#6~#10、テーマ:「大争闘の争点」)でも学んだように、礼拝は神だけがお受けになることのできる特権です。それは被造物と創造主とを区別する重要な要素であって、大争闘が終局に近づくにつれて、礼拝の問題は世界的に大きくクローズアップされるようになります。

サタンはここで、宇宙の創造者を山の頂に連れて行き、地上の国々を見せます。彼は、「もしあなたが神の子であるなら」という言葉で誘惑するのをやめて、代わりに十字架なしの勝利をイエスに提示します。事実上、サタンは次のように勧めていたのです。「なぜわざわざ苦しみを受けようとするのか。なぜ犯罪人として十字架にかかって死のうとするのか。そんなことをして何の益があるのか。あなたをこのような目に遭わす神は不公平で自己中心的だとは思わないのか」。サタンは偽りの約束をもって、疲労と孤独の中にあるイエスに迫ります。

「十字架なしの勝利」ということがどんな深い意味を持っているかを考えてみましょう。それは神のみ子の受肉の意図を全くくじく恐ろしい誘惑でした。

ここでのキリストの応答は先の場合とは対照的であることに注意してください。サタンに対するキリストの最後の拒絶は軽蔑の含みさえ感じさせます。キリストは、いわば次のように言われたのです。「わたしが来たのは父の命令を実行するためである。実行あるのみである」。神に対する絶対的服従はサタンの偽りと欺きに対する最高の応答です。神に対する服従が売り物ではないこと、世のすべての国々もこれには及ばないことをサタンにはっきりと示す必要があります。

◆ 私たちにとって何が生きる支えとなっているでしょうか。世にあるすべてのものを提供されたとしても、キリストに代えられるものは何一つないと確信しているでしょうか。

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*本記事は、聖書研究ガイド2002年第1期『キリストとサタンの大争闘』からの抜粋です。

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