4種類の土壌【イエスのたとえに見る大争闘】#36 

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「イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた」(マタ13:3)。すでに学んだように、キリストがこの世に来られたのは、人々が大争闘における二人の論争者のきわだった違いを理解するようになるためでした。この違いを理解するもう一つの方法はキリストのたとえです。キリストのたとえは見えるものによって見えないものを例示する方法でした。「キリストは、このようにして真理をおおい隠していたものを取り除こうとされた。キリストが来られたのは、罪が自然の上に投げかけた幕を開いて、万物が造られたときに反映することになっていた霊的栄光をあらわすためであった。彼のことばは、聖書の教えと同様に自然の教えをも、全く新しい姿のものとし、新しい啓示としたのである」(『豊かな人生の秘訣』『キリストの実物教訓』3 ページ)。

今週(#36~#40、テーマ:「イエスのたとえに見る大争闘」)は、種を蒔く人のたとえ、毒麦のたとえ、ぶどう園のたとえ、婚宴のたとえ、なくなった銀貨のたとえについて学びます。それらは善と悪の戦いについて、またそれが私たちに与える影響について教えています。

大争闘という思想的な背景からマタイ13:1~9、18~23の聖句を読んで、何が語られているか考えてみましょう。

マタイ11 章と12 章には、宗教指導者たちがどのようにしてキリストを拒み、殺そうとしたかが記されています。どの時代にも、キリストを受け入れる人と、キリストを拒む人がいます。なぜでしょうか。ひと言で言えば、人間の心の中には命と死とのどちらかを選ばせる何かがあるということです。それは何なのでしょうか。ある人はキリストを受け入れ、ある人はキリストを拒むのはなぜなのでしょうか。私たちにとっては神秘としか言いようがありません(Ⅰコリ4:5 参照)。

しかしながら、サタンは種が蒔かれるのを待ち構えていて、キリストの義の種が根を下ろすのを妨害します。そのうえ、心配や思い煩いが私たちから福音の喜びを奪い去ります。神の御言葉が実を結ばないように、サタンは絶えず私たちの理解を曇らせ、混乱させようとします。

このたとえは私たちに二種類の希望を与えてくれます。

(1)御言葉を聞いて、それに従って生きる人々がよい実を結ぶのは、彼らのうちに何か良いものがあるからでなく(ロマ7:18)、聖霊が彼らの心に住んでくださるからです(フィリ2:13)。彼らの生き方はキリストへの信仰によって変えられ、大争闘に勝利する者となります。

(2)種を蒔く人はイエスを象徴しています。種がどこに落ちようとも、またどれだけ無駄になろうとも、彼は収穫を信じて種を蒔きます。同じように、たとえサタンに負けそうになろうとも、私たちは決して失望してはなりません。キリストはすでに勝利されたのです。私たちも彼に対する信仰によって勝利することができます。

◆ どんな意味で、私たちの選択は自分自身の土壌の質を決定しますか。自分の土壌の貧しさをサタンのせいにすることができますか。できないとすれば、なぜですか。

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*本記事は、聖書研究ガイド2002年第1期『キリストとサタンの大争闘』からの抜粋です。

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