麦と毒麦【勝利の模範イエス】#37 

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このたとえは大争闘に関して次のことを教えています。

(1)悪は「敵」のしわざである。神には悪に対する責任はないが、敵の存在を知っておられる。

(2)福音の伝播を妨げるのは敵である。

(3)善と悪は世の終わりまで世界と教会の中に存在する。

(4)私たちは自分自身の中にある雑草を根絶やしにすべきであるが、性急に人を裁くべきではない。

(5)神の民は最後には勝利する(マタ13:40 ~ 43)。

毒麦は生長するまでは麦とよく似ているので、よい農夫でさえその違いに気づきませんでした。同じように、「サタンは欺く者である。サタンが天で罪を犯したときに、忠実な天使たちでさえ、彼の品性を見ぬくことはできなかった。そのために、神は、直ちにサタンを滅ぼされなかったのである。もし、滅ぼしてしまわれたならば、聖天使たちは、神の義と愛とを認めることはできなかったことであろう。神の慈愛に対する疑惑は、悪の種のように、罪と悲しみの苦い実を結んだことであろう。このようなわけで、悪の創始者は滅ぼされることなく、その品性を十分にあらわす期間が与えられた。神は、幾世代に及ぶ長い悪の活動をながめて、心を痛め、カルバリー山上で、イエスという無限の賜物をお与えになった。こうして、サタンがどんなに誤ったことを伝えても、人びとが、それに惑わされないようになさった。毒麦を引きぬけば、必ずたいせつな麦まで引きぬいてしまう危険があるからである。わたしたちも、天地の主がサタンに対して忍耐なさるように、兄弟に対して忍耐深くあるべきではなかろうか」(『キリストの実物教訓』50、51 ページ)。

◆ 懲戒処分を受けたある教会員が、そのような決定は麦と毒麦のたとえに反すると主張しています。あなたはどう答えますか。

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*本記事は、聖書研究ガイド2002年第1期『キリストとサタンの大争闘』からの抜粋です。

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