心のサプリ– tax –
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祈りの模範【祈りの主】#30
祈りは、自分の力では何もできないこと、私たちの支配を超えた力が存在すること、私たちが自分自身やこの物質世界には決して与えることのできない大いなる力に依存していることを私たちが認めていることの表明です。 -
人のために祈る【祈りの主】#29
イエス・キリストを祈りの主とする人は、イエスと共に人の執り成しのために祈ります。イエスは集団のために(ヨハ17:9、20 参照)、また個人のために祈られました(ルカ22:31、32 参照)。いくつかのギリシア語動詞がイエスの祈りを描写するために用いられていますが、その一つは「懇願する」で、ペトロのための執り成しの祈りを描写しています(ルカ22:32)。 -
神の御心に従って祈る【祈りの主】#28
イエスは言われました。「わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである」(ヨハ6:38)。イエスは御自分の祈りの中でさえ、御自分の意志を父なる神の意志に従わせておられるのです。 -
イエスの御名によって祈る【祈りの主】#27
イエスの御名によって祈ることによって、私たちは自分自身の前で、ほかの人々の前で、さらには全世界の前で(I コリ4:9 参照)、私たちが個人的にイエス・キリストの権威と力を認めることを宣言しているのです。このことは私たちの生活、言葉、人間関係にどんな義務をもたらすでしょうか。 -
天の父なる神に祈る【祈りの主】#26
リストの生涯は祈りの生涯でした。イエスは祈りを最優先されました。マルコは次のように記しています。「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた」(マコ1:35)。 -
悪い言葉を避ける【言葉の主】#25
不幸にも、私たちの多くは悪い言葉を当たり前と考える社会的環境の中に生きています。たとえクリスチャンであっても、そのような言葉にさらされているなら、遅かれ早かれ、その影響を受け、自分自身も悪い言葉を話すようになります。絶えず警戒する必要があります。 -
聖霊の力をもって語る【言葉の主】#24
力ある宣教は人間の知恵や雄弁から来るものではありません。むしろ、それは主イエス・キリストとの親密な個人的関係に入った人の証しです。パウロの宣教を承認された聖霊はまた、現代の謙遜なキリストの僕たちにも天来の力をもって語る力をお与えになります。 -
愛に根ざして真理を語る【言葉の主】#23
悲しいことに、私たちはときどき愛のない方法で真理を語ることがあります。ある人々はせっかちに真理を語るだけで、愛が伴っていません。ある人々は愛ではなく感傷をもって語るので、真理が十分に伝わりません。重要なのは何をではなく、どのように語るか、です。 -
快い言葉で語る【言葉の主】#22
私たちはしばしば、怒りや裁き、報復に満ちた鋭い言葉を語りたくなるような状況に直面することがあります。ときには、断固とした言葉を語る必要のある状況に置かれることがあるかもしれません。しかし、そのようなときでも、恵みを表すか利己的な性格を表すかを決めるのは、私たちの話し方と口調です。 -
主を賛美する言葉を語る【言葉の主】#21
言葉の賜物は素晴らしい祝福にもなれば、恐ろしい呪いにもなります。私たちがキリストの主権のもとで新しく生まれ変わるとき、キリストは私たちに御自分を言葉の主とするように求められます。