ヨナ書の著者
ヨナの名前の意味
ヨナ書はこの物語の主人公であるヨナ(鳩の意味)にちなんで名付けられています。はっきりと著者は記録されてはいませんが、伝統的にはヨナが著者であると考えられてきました[1] 。
預言者であったヨナ
主の言葉がアミッタイの子ヨナに臨んで言った、
ヨナ書1章1節
ヨナについて理解するためのヒントがこの「アミッタイの子ヨナ」という記述にあります。父アミッタイについては何も知られていませんが、この「アミッタイの子ヨナ」という表現は列王記下14章25節にも出てきています。
彼はハマテの入口からアラバの海まで、イスラエルの領域を回復した。イスラエルの神、主がガテヘペルのアミッタイの子である、そのしもべ預言者ヨナによって言われた言葉のとおりである。……そして彼らをヨアシの子ヤラベアムの手によって救われた。
列王記下14章24,27節
ヨナ書以外での預言者ヨナが登場する箇所を見てみると、彼がガテヘペル(ガリラヤ地方のナザレの近く)出身であることがわかります。
列王記下14章にはヨアシュの子ヤロブアム(ヤラベアム)が登場しますが、ヨナによって預言されたヤロブアム二世による繁栄は紀元前793ー753年頃に実現しました[2]。またヨナが活躍した時代はホセアやアモスそしてエリシャも活動していた時代になります。
ヨナ書の大きな特徴として預言者の自伝であるという点があげられるでしょう。多くの場合、預言書は神のメッセージが中心で、預言者よりもメッセージそのものに重点が置かれています。しかし、ヨナ書の場合はメッセージがわずかで、ほとんどはヨナ自身に関する記述なのです[3]。
ヨナ書の中でヨナは弱く揺らぎやすい頑固な人物として描かれていますが、そのすべてを隠すことなく、書物にまとめた点などを見ると純粋な人物だったのかもしれません。
聖書(あるいは古代文学)の中で、物語の作者がこれほど徹底的に自分自身を卑下している例が他にあるでしょうか[4]。
歴史背景
残酷な帝国アッシリア
ヨナが活躍した時代は、イスラエルの王たちは悪をおこなっていた苦難の時代でした(列王記下13章24,26節)。
ヨナ書の中で、ヨナはアッシリアの首都ニネベに宣教しますが、アッシリアはイスラエルにとって敵国でした。アッシリア軍はほぼ毎年のように外国へ進軍していき、イスラエルもその脅威にさらされていたのです[5]。興味深いことに、このアッシリアの姿勢にはアッシリアの国教が深く関わっていました。
アッシリアの主神は、……何よりもまず戦争の神であり、戦争はアッシリアの国教の一部となりました。すべての軍事行動は、アシュールの直接の命令によって行われると考えられていたのです。従って、戦争に参加することは礼拝行為でした[6]。
アッシリアは残忍さで有名で、アシュルナジルパル2 世(BC884ー859)の記述によると、敵に向かって塔を築き、その塔を敵の頭皮で覆い、人々を塔の上ではりつけたり、宮殿の壁に生け捕った者たちを埋め込んだりしていました[7]。
ところがヨナの時代になると、アッシリアに変化がおとずれます。
この頃、アッシリアは北部で、ウラルトゥ(アルメニアの山岳地帯にあった古代王国で、ヘブル語ではアララテといった)との間で紛争が起こっていました。その勢力が増して、次第に敵が南進し、ニネベに危機が迫っていたのです[8]。
さらにヨナの時代の後には、国外は軍事的外交的損失が顕著になり、国内はききんと反乱が絶えなくなりました。さらには不吉なしるしとされた地震や日食が発生し、混乱を極めていったのです[9]。
そのようなアッシリアに神はヨナを宣教のために派遣されたのでした。さて、ヨナが活躍した時代のアッシリア王の一人であるアダド・ニラリ3世(BC810-782)の治世に、宗教改革が起こったことを示す可能性のある証拠があります。
アダド・ニラリ3世の治世に宗教革命が起こったことを示す可能性のある証拠があります。ボルシッパの神ナブ(ネボ)が唯一神、あるいは少なくとも主神として宣言されたようです。この一神教の革命とヨナのニネベへの伝道との間に関連性を見出す人もいます。[10]
ヨナ書のその後、アッシリア捕囚
古代メソポタミアで軍事大国として君臨したアッシリアはその戦争、壊滅の手段、残忍さで知られていました。「アッシリアの捕囚にだけはなるな」が当時の言い伝えとして残っています。彼らは捕虜とした者の耳をそぎ、手足を切り、目をくり抜き、体に傷をつけて恐怖感を与えました。王の宮殿の柱、天井には捕虜の皮膚を剥(は) いで貼り付けるという残酷さが、れんがで造った城壁や彫刻に、克明に刻まれています。こうして征服した民族が決して反乱、報復、謀反を企てないようにと徹底的な屈従を意図したのでした。
もう一つは征服した民族を他民族と混合させる雑婚政策でした。民族主義や愛国心を起こさせないために、自分がどこの国に属するかとの意識を希薄にさせたのです。こうしてアッシリアへの敵愾(てきがい) 心や独立心、反抗勢力の結集を殺いだのです
アモスが活躍したころ、アッシリアはチグリス川のほとりの小国でしたが、前745年にティグラト・ピレセルが王位につくや、急速に勢力を伸張し、以降シャルマナサル、サルゴン、センナケリブ、エサルハドン、アシュルバニパルと絶頂期を迎えました(6人の王の名前は旧約聖書に出てきます)。イスラエル(首都サマリア)はアッシリアによって前 722年に滅ぼされました。
地図で確認!ニネベ(ニネヴェ)はどこにある?
ヨナ書の要約とあらすじは?
ヨナ書のアウトラインは次のようになっています[11]。
- 預言者の不服従とそれに伴う嵐 (ヨナ1章1ー10節)
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預言者ヨナは神にニネベに行くように命じられますが、それを拒否して逃げ出します。しかし、嵐に巻き込まれ、海に投げ込まれることになったのでした。
- 大きな魚に飲み込まれる(ヨナ書1章11ー17節)
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海に投げ入れられたヨナを待っていたのは大きな魚でした。
魚の中でヨナはもう一度、神との関係を取り戻し、悔い改めます。そのヨナの祈りを聞かれた神は、魚の中からヨナを救い出されます。
魚から出たヨナは、使命を果たすべくニネベへとすぐに向かいます。そして、ニネベで伝えたヨナのメッセージは人々の心を打ち、多くの人が悔い改めていったのでした。
- 不平不満(ヨナ書4章1ー5節)
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ヨナは敵国であるニネベが滅ぼされないことに怒りを覚え、不平をもらします。
- 枯れた植物とその教訓(ヨナ書4章6ー11節)
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不平をもらすヨナに教訓としてとうごまの木を与えて、すぐに枯らしてしまいます。木陰で暑さをしのいでいたヨナは嘆きますが、神はそれを教訓としてアッシリアへの神の恵みをヨナに理解させるのでした。
ヨナ書が伝えたいテーマは?
ヨナ書の特徴
ヨナ書の特徴はアウトラインの最初と最後にある預言者と神さまとの関係でしょう。列王記などに記録されている他の預言者の物語とは異なり、ヨナは神の呼びかけに忠実ではないのです。
聞く人、読む人はみな、ヨナの中にいるのかもしれません。そして、最後の具体的な質問である 「ニネベを惜しまずにいられるだろうか」(ヨナ4:11)を含めて、すべての人が神の問いかけを思い返す必要があります。「それほど重要な質問なのでしょうか」と答える人はメッセージを理解していません。「いいえ」と答える人は信じていないのです[12]。
ヨナと神との関係は、私たちと神との関係そのものであり、また私たちの他の人々への姿勢そのものであると気づかされます。ヨナ書は現代に生きる私たちへの譴責のメッセージなのです。
ヨナの悔い改めの呼びかけに応じた「ニネベの人々」を指して、キリストは当時のパリサイ的で高慢なユダヤ人のように(マタイ12:41,ルカ11:32参照)、宗教的自己満足と魂の安全に対する誤った感覚によって、自分たちは神に好かれた民であり、したがって救いが保証されていると自ら思い違いをしている、他のすべての人々を非難しているのです[13]。
ヨナ書に出てくる「灰をかぶる」とは?
ヨナ書の中には3回悔い改めが登場します。1回目は魚の中のヨナが、2回目はニネベの人々がしています。そして3回目は記録されていませんが、古代ユダヤ人の伝統のとおり、ヨナがヨナ書を書いたならば、「ニネベを惜しまずにいられるだろうか」(ヨナ書4章11節)という言葉の後に、もう一度悔い改めたヨナが自分と神との関係をまとめ、悔い改めのメッセージとしたのかもしれません。
ヨナ書において悔い改めが重要であることは、古今東西の作家が述べています。実際、ユダヤ教の伝統では、ヨナ書はミカ書の最後の3節とともに、大贖罪日の儀式でユダヤ人が悔い改めて神に自分の罪を告白するときに用いられます[14]。
大贖罪日(レビ記16章)は聖所の儀式の中で最後の段階であり、それは救いの計画の最終段階を表す象徴なのです (ヘブル人への手紙9章24節)。私たちは今、その最終段階の時代に生きています。その私たちに今、必要な悔い改めのメッセージがこのヨナ書に綴られているのです。
3:5そこでニネベの人々は神を信じ、断食をふれ、大きい者から小さい者まで荒布を着た。3:6このうわさがニネベの王に達すると、彼はその王座から立ち上がり、朝服を脱ぎ、荒布をまとい、灰の中に座した。
ヨナ書3章5ー6節
荒布を着ることは、この世の快適さと快楽の拒否と罪に対する悲しみや恐ろしさを象徴しており[15]、灰をかぶることは焼き尽くす火と罪の最終的な消滅を表しています[16]。
まとめ
列王記などに記録されている他の預言者の物語とは異なり、ヨナは神の呼びかけに忠実ではありません。このヨナと神との関係は、私たちと神との関係そのものであり、また私たちの他の人々への姿勢そのものであると気づかされます。
ヨナ書のテーマは悔い改めです。ヨナ書を通して、私たちはもう一度、私たちと神との関係を考え直す機会が与えられるのです。
参考文献
[1]Nichol, F. D. (Ed.). (1977). The Seventh-day Adventist Bible Commentary (Vol. 4, p. 995). Review and Herald Publishing Association.
[2]Nichol, F. D. (Ed.). (1977). The Seventh-day Adventist Bible Commentary (Vol. 4, p. 995). Review and Herald Publishing Association.
[3]ジョアン・デイヴィドソン『安息日学校聖書研究ガイド ヨナ書』セブンスデー・アドベンチスト世界総会安息日学校・信徒伝道部、5ページ
[4]Stuart, D. (1987). Hosea–Jonah (Vol. 31, p. 432). Dallas: Word, Incorporated.
[5]Horn, S. H. (1979). In The Seventh-day Adventist Bible Dictionary (pp. 92–93). Review and Herald Publishing Association.
[6]Horn, S. H. (1979). In The Seventh-day Adventist Bible Dictionary (p. 92). Review and Herald Publishing Association.
[7]D.D.ルケンビル『古文書シリーズ1、古代アッシリア・バビロンの記録』-ジョフリー・T・ブル『都市としるし-ヨナ書解説』1970年、109、110 ページ
[8]ジョアン・デイヴィドソン『安息日学校聖書研究ガイド ヨナ書』セブンスデー・アドベンチスト世界総会安息日学校・信徒伝道部、11ページ
[9]Stuart, D. (1987). Hosea–Jonah (Vol. 31, p. 440). Dallas: Word, Incorporated.
[10]Nichol, F. D. (Ed.). (1977). The Seventh-day Adventist Bible Commentary (Vol. 4, pp. 995–996). Review and Herald Publishing Association.
[11]Nichol, F. D. (Ed.). (1977). The Seventh-day Adventist Bible Commentary (Vol. 4, p. 997). Review and Herald Publishing Association.
[12]Stuart, D. (1987). Hosea–Jonah (Vol. 31, p. 435). Dallas: Word, Incorporated.
[13]Nichol, F. D. (Ed.). (1977). The Seventh-day Adventist Bible Commentary (Vol. 4, p. 996). Review and Herald Publishing Association.
[14]Wiseman, D. J., Alexander, T. D., & Waltke, B. K. (1988). Obadiah, Jonah and Micah: an introduction and commentary (Vol. 26, p. 89). Downers Grove, IL: InterVarsity Press.
[15]Wiseman, D. J., Alexander, T. D., & Waltke, B. K. (1988). Obadiah, Jonah and Micah: an introduction and commentary (Vol. 26, pp. 134–135). Downers Grove, IL: InterVarsity Press.
[16]ジョアン・デイヴィドソン『安息日学校聖書研究ガイド ヨナ書』セブンスデー・アドベンチスト世界総会安息日学校・信徒伝道部、11ページ