【ヨエル書】前(秋)の雨と後(春)の雨【2章解説】

目次

中心思想

神は後の雨において聖霊を注ぐことによって、みわざを完結されるというすばらしい約束を与えておられます。しかし、私たちはこの輝かしい約束を忘れてしまっていることがあります。これらの約束についてもっと学び、瞑想し、自分のものとして受け入れる必要があります。全宇宙は私たちがそうするのを待ち望んでいます。

アウトライン

  • ご自分の民に対する神のあわれみと熱情(ヨエ2:18~22)
  • 前(秋)の雨と後(春)の雨についての約束(ヨエ2’23~29)
  • キリスト教会の出発(ヨエ2:28、29、使徒2:14~18)
  • 穀物の成熟(ヨエ2:28~31)
  • しるしと救い(ヨエ2:30~32)

後の雨を受ける条件

天の聖所においてご自分の民のための働きを開始されたことのしるしとして、キリストはペンテコステの日の前の雨において聖霊を注がれました(「患難から栄光へ』上巻32~35ページ参照)。

しかし、もし私たちが喜んで完全に神の導きに従うなら、後の雨を受ける特権にあずかり、黙示録18:1~4に預言された大いなる叫びに加わることができるのです。

では、どうしたらこの最終的な聖霊の注ぎを受けることができるのでしょうか。主はずっと昔に、預言者ヨエルによってこの質問に答えておられます。この意味において、ヨエル書は今日の私たちにとって重要な書です。

ご自分の民に対する神のあわれみと熱情(ヨエ2:18―22)

18節には、祭司と民がリバイバルと改革を求める神の勧告に応答したことが示唆されています。

「この節を文字通り読むと、「そのときエホバはねたみを起こされた」となる。命じられた悔い改めがなされたと思われる」(「SDA聖書注解」第4巻944ページ)。そこで、神は18~22節に示されている祝福をお与えになりました。しかし、イスラエルが忠誠を保たなかったために、ヨエル害2:19~32の約束の成就はキリスト教会の時代まで延ばされることになりました。

質問1

ヨエル書2:18~22において、神は民侵略者、土地動物についてどんな約束をしておられますか。

「主は自分の地のために、ねたみを起し」(ヨエ2:18)

「ねたみ」と訳されているヘブル語は「熱意を持つ」、「熱心になる」を意味します。人のねたみと異なって、神のねたみには利己心がありません。神のねたみはご自分の民を祝福しようとする愛と熱意に満ちた願望です。

「わたしは穀物と新しい酒と油とをあなたがたに送る」(ヨエ2:19)

旧約聖書において、穀物と酒と油は神がご自分の民に与えられる霊的祝福を表す物的象徴として用いられています。神はご自分の民に対して、もし彼らが神を愛し、従うなら祝福を与えると約束されました。「主は……あなたを愛し、あなたを祝福し、あなたの数を増し、……あなたの地の産物、穀物、酒、油……を増されるであろう」(申命7:13、傍点付加)。しかし、もし彼らが神にそむくなら、のろいを受け、地は産物を生じなくなり、穀物、酒、油が絶えるのでした(申命28:40、51参照、ホセ2:8、9比較)。

「わたしは北から来る者をあなたがたから遠ざけ」(ヨエ2:20)

イスラエルの敵は大部分、北の方から来ました。アシシリヤ軍、バビロニヤ軍、ペルシャ軍、ギリシヤ軍、シリヤ軍、ローマ軍、十字軍などは北方からパレスチナに侵入しました(イザ41:25、エレ1:14、25:9参照)。

ダニエル言8章の小さい角の権力はイエスの来られるときまで活動します。「しかし、ついに彼は人手によらずに滅ぼされるでしょう」(ダニ8:25)。ダニエル書11章はこの権力を「北の王」と呼んでいます(40節)。「彼はついにその終りにいたり、彼を助ける者はないでしょう」(45節)。ダニエルの預言はヨエルの預言とどんな関係にあるのでしょうか。

前(秋)の雨と後(春)の雨についての約束(ヨエ2:23―29)

質問2

主はどのようにして悔い改めたご自分の民に物質的、霊的な繁栄を与えられましたか。ヨエ2:23

パレスチナにおいては、「前の雨」は種のまかれる秋(10月から11月)に降りました。後の雨は春(3月から4月)に降り、穀物を収穫に備えて実らせました。

「主は前の雨をほどよく賜い」(ヨエ2:23、英語欽定訳)

「ほどよく」という言葉はヘブル語聖句にはありません。学者はこれをさまざまに訳しています。ある者はそれを「義のための前の雨」と訳し、ある者はそれを「あなたを擁護するための前の雨」(改訂標準訳)と訳しています。さらに別の人はそれを「義のための教師」(新国際訳)と訳しています。

しかし、どの訳も非常に似通ったことを教えています。

「義のための前の雨」

義は信じる神の民の上に天から降ります(イザ45:8、ホセ10:12)。聖書には、義は聖霊によって信じる者の心に与えられると書かれています(イザ32:15~17、44:3、ロマ8:9、10)。秋の雨、前の雨は聖霊の注ぎを表しています。

「あなたを擁護するための前の雨」

擁護、つまり義認は聖霊のわざです(詩51:10~12、テト3:5~7)。人が義とされるとき、

聖霊が彼に与えられます。ヨエルは悔い改めたイスラエル人に与えられるゆるし(きよめと回復を含む)について述べています。

「義のための教師」

預言者はみな義の教師ですが、最高の教師はイエス・キリストでした。バプテスマのヨハネはあかししています。「このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう」(マタ3:11)。イエスの教えは今も聖霊によって受け継がれています(ヨハ16:13~15参照)。

キリスト教会の出発(ヨエ2:28、29.使徒2:14―18)

悔い改めを求めるヨエルの勧告に従ったときにイスラエルに与えられた物的祝福は、彼らの神との関係が回復されたことを示していました。地が回復されるためには、秋と春の雨が降る必要がありました。人々が聖霊に対して心を開いたときに、神はこれらの雨を送られました。

ヨエル害2:23の後半は文字通り読めば、「最初に秋の雨と春の雨」となります。24~27節は、聖霊が神の民に新たに注がれたことによる初めの祝福について描写しています。28節と29節は二回目の、あるいは「その後」の祝福について述べています(28節)。

質問3

「その後」、霊的な前と後の雨の結果どんな特別なことが起りますか。ヨエ2:28、29

終末の時代になって、義の大教師イエスが来られたあとで、聖霊が神の信じる民の上により完全なかたちで注がれます。ヨエル書2:28、29は福音時代の前と後の雨において注がれる神の御霊について述べています。

質問4

使徒ペテロはヨエル書2:28、29をどんな出来事に適用していますか。使徒2:14~18

それはキリスト教会の出発となった「前の雨」でした。弟子たちは前の雨を受けるための条件を満たした「弟子たちは約束が成就されるのを待っていたあいだ、謙遜な心でほんとうに悔い改め、また自分たちの不信心を告白した」(「患難から栄光へ』上巻30ページ)。

質問5

クリスチャンはだれでも、どんな「前の雨」を受けることができますか。ヨハ3:5(ロマ8:9、14、1ヨハ3:24比較)

「すでに教会に与えられた賜物がいかにしたら私のものとなるのか、と私たちは問う。エペソ人の経験がその明快な答えである(使徒19:1~6)。つまり、さらなる目的(たとえば、聖霊)のためではなく、私のあらゆる必要と願望のために、よみがえられた主を受け入れることによって、それは私の賜物となるのである」(ジャン・ポールセン「御霊が下るとき』84ページ)。

穀物の成熟(ヨエ2:28―31)

質問6

キリスト再臨の直前に聖霊が注がれるということに関して、ヨエル書2:28~31はどんなことを示唆していますか。

ヨエルの明らかな意図は、人類歴史の終了直前に最終的な聖霊の注ぎがあることを示すことにありました。これは、いわゆる「後の雨」と呼ばれるものです。イエスの再臨される直前に、三天使の使命を最終的に宣べ伝えるための聖霊の力が「後の雨」において与えられるのです。

後の雨は信者をイエスの再臨に備えさせる「季節の終了間際に下る後の雨は穀物を実らせ、それを収穫に備えさせる。……穀物の成熟は人の魂における神の恵みの働きの完成を表わしている。聖霊の力によって、神の道徳的なかたちが品性において完成される。私たちは完全にキリストに似る者に変えられなければならない。地上の収穫物を成熟させる後の雨は、教会を人の子の再臨に備えさせる霊的な恵みを表わしている。しかし、前の雨が下らないかぎり、生命はない」(「牧師へのあかし」506ページ)。

質問7

聖霊の「後の雨」が注がれるとき、どんな大いなる働きが成し遂げられますか。黙示18:1~4

黙示録18:1の「栄光」はキリストの品性の栄光です。キリストの民が後の雨を受けるとき、キリストの品性の栄光が彼らを通して世にあらわされます。そのとき、彼らはこれまでにない熱意をもって天の最後の招きを失われた人類に宣く伝えるのです(黙示18:4、マタ24:14、「キリストの実物教訓」392ページ)。

数多くの声が力に満たされて、神のみことばのすばらしい真理を語る。口ごもる舌はゆるみ、臆病な者は強くされて、勇敢に真理をあかしする。どうか、主がご自分の民の魂の宮をすべての汚れからきよめ、彼らが主との親密な関係を維持し、後の雨が注がれるときそれを受ける者とならせてくださるように」(「SDA聖書注解』第6巻1055ページ、エレン.G・ホワイト注)。

しるしと救い(ヨエ2:30~32)

質問8

ヨエル書2:30、31に記されているしるしは、新約聖書の次の聖句においてどのように解釈されていますか。マタ24:29、30、ルカ21:25~27、黙示6:12~17

これまでに起こった自然界のしるし(1780年5月19日の暗黒日、1833年11月13日の落星など)が、イエスの再臨直前に繰り返されます。現代における自然界の現象は、主の再臨の前後に起こる諸事件が現実のものとなることを教えています(「各時代の大争闘』下巻412~415ページ、第40章参照)。

質問9

主の約束された救いにあずかる「残った者」とは、だれをさしますか。ヨエ2:32

「アフリカに、ヨーロッパや南アメリカのカトリック教国に、中国に、インドに、海に浮かぶ島々に、また地上のあらゆる未開の地域に、神は選ばれた者たちの群れを持っておられる。彼らはやがて暗黒の中にあって輝き、神の律法に従う改変の力を背信の世にはっきりとあらわす。今でさえ、彼らはあらゆる国民のうちに、あらゆる国語、民族のうちに輝いている。そして、最もひどい背信のときに、……これらの忠実な者たちは「星のようにこの世に輝』くのである。夜が暗ければ暗いほど、彼らは明るく輝くのである」(「伝道』706、707ページ)。

「そのとき、終わり間際になって多くの人たちが真理を見、そして、これを認める。……真理に対する回心が教会を驚かすほどの速さをもってなされる。神の御名だけがあがめられる」(「セレクテッド・メッセージズ」第2巻16ページ)。

キリストはすべての人に永遠のいのちを与えるために生き、死なれました。したがって、クリスチャンになるということは、人種、性別、文化を越えてすべての人に福音を伝えることを意味します(ガラ3:28参照)。

*本記事は、安息日学校ガイド1992年1期『今は備えの時である』からの抜粋です。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会口語訳を使用しています。
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『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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