第6課 救いとは

目次

日本人と罪意識

人類学者ルース・ベネディクトは「菊と刀」の中で「様々な文化の人類学的研究において重要なことは、恥を基調とする文化と、罪を基調とする文化を区別することである」と述べ、日本文化を恥の文化の典型として挙げています。彼女は、「真の罪の文化が内面的な罪の自覚に基づいて善行を行うのに対して、真の恥の文化は外面的強制力に基づいて善行を行う」と言っています。社会学者マックス・ウェーバーは、それを「内面的品位の原理」と「外面的品位の原理」と表現して、「儒教」と「キリスト教のピューリタニズム」をそれぞれの代表的なものとして挙げています。

「和をもって尊しとする」日本社会においては、まず状況への適合と秩序との調和が重要視されます。日本人にとっては、「行為が正しいか」よりも「行為がふさわしいか」が問題になります。

行為の基準は、日本では「人間対人間」という横軸で思考され、キリスト教では「神対人間」という縦軸で思考されます。

横軸の思考から日本人の状況倫理的生き方が生まれてきます。「何がふさわしいか」を基調とする生き方は、仲間主義的生き方であり、対内的態度と対外的態度は異なってきます。仲間主義的生き方は、電車の中で会社の上司であればいくら疲れていても席を譲るのに、どんなに体の不自由なお年寄りでも赤の他人であれば知らん顔ができるのです。価値観、判断は、置かれた状況によって異なるのです。この生き方からは、状況を超え時代を超えた普遍的で一貫した生き方は生まれてきません。

精神医学者野田正彰氏は「戦争と罪責」という書物の中で「日本人の戦争に対する罪責感」について追求しました。彼は、この中で日本人は「傷つくことのない人間」であると結論しています。アメリカ兵や旧ソ連兵の研究では、戦争中の自分のなした残虐行為についての罪責感から精神障害に陥る者が多かったのに対して、日本兵の場合は精神的に傷ついたケースが非常に少なかったのです。日本兵にとっては、残虐行為は自分が「した行為」というよりも「させられた行為」であり、戦争という状況が作り出した産物でしかないとして、自分を正当化しているというのです。多くの日本兵には、与えられた状況の中で、自ら決断し自らの行為に責任をもって生きる姿勢が欠けていたといえるでしょう。彼は「日本の文化には罪を感じる力は乏しい」と述べています。

明治時代、日本に来たキリスト教宣教師たちが苦労したのは、神と罪をいかに日本人に教えるかということでした。当時のある宣教師は「日本人は、ユダヤ人のような神観をもっていないため、罪責感をもっていない」と指摘しています。人は生まれながらの罪人であるとか、救いを必要とする者であるということが理解できませんでした。多くは、儒教的因果応報思想である「必ず信賞必罰」を信じ、自分の善行によるのではなく、キリストの恵みによる救い(贖罪)ということが理解できませんでした。

そのような明治時代にクリスチャンとなった人々は、キリストという人格神の前に立って罪人として自分を理解したとき、初めてキリスト教の救いを理解したのでした。キリスト教界の優れた指導者であった内村鑑三は「私が生まれながらの罪人であると分かった時に、私は私の理性まで信じなくなりました。罪は人の体と心とを汚すにとどまりません。彼の理性までも狂わします」(キリスト教問答)と書いています。

キリスト教作家三浦綾子さんは、その処女作品「氷点」の中で、「原罪」という問題を日本社会に鋭く提起しました。主人公の陽子は、たび重なるお母さんのいじめにもくじけず、明るく成長していきます。ところが、彼女は自分が殺人者の娘であったことを知ったとき、しかも自分の父は自分を育ててくれた「両親」の子供を殺したという衝撃的事実を知ったとき、生きる望みを失い自殺を試みたのでした。

三浦さんは、この作品をまず「陽子の遺書」から書き始めました。それが氷点のクライマックスであり原点であったからです。彼女は、陽子に次のような遺書を書かかせるのです。

「今まで、どんな辛い時でも、じっと耐えることができましたのは、自分は決して悪くはないのだ、自分は正しいのだ、無垢なのだという思いに支えられていたからでした。でも殺人者の娘であると知った今、私は私のよって立つところを失いました。……自分の中に罪の可能性を見出した私は、生きる望みを失いました。どんな時でもいじけることのなかった私。……けれども今、陽子は思います。一途に精一杯生きてきた陽子の心にも、氷点があったのだということを。

私の心は凍えてしまいました。陽子の氷点は『お前は罪人の子だ』というところにあったのです。……私はもう生きる力がなくなりました。……おとうさん、おかあさん、どうかルリ子お姉さんを殺した父をお許し下さい。いまこう書いた瞬間『ゆるし』という言葉にハッとする思いでした。私は今まで、こんなに人にゆるしてほしいと思ったことはありませんでした。

けれども、今ゆるしが欲しいのです。おとうさま、おかあさまに、世界の全ての人々に。私の血の中を流れる罪を、ハッキリと『ゆるす』と言ってくれる権威あるものがほしいのです。……」 

罪の赦し

新約聖書に、キリストが姦通を犯した女性の罪を赦される話が出てきます。聖書にはこう書かれています。

「朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、御自分のところにやって来たので、座って教え始められた。そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。『先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。』イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。」(ヨハネ8章1-6節)

場所は神殿の境内です。民衆が皆座ってキリストの教えを聞いている最中でした。その真ん中にこの女性を連れてきて「立たせた」のです。当時ユダヤでは、姦通罪は現行犯、すなわち現場で捕らえられた場合に限られていました。

民衆の前でキリストは窮地に追いやられてしまいました。赦せと言えば、ユダヤ人にとって重要なモーセの律法を無視したことになります。殺せと言えば、ローマの支配下にあるユダヤ人の権限外であり、ローマの権力に反逆する者として訴えられるのです。

キリストはどうされたのでしょうか。福音書は話を進めていきます。

「イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。『あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。』そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。イエスは、身を起こして言われた。『婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。』女が、『主よ、だれも』と言うと、イエスは言われた。『わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。』」(ヨハネ8章6-11節)

キリストは、「罪を犯したことのない者が、まず石を投げなさい」と仰せられました。これを聞いた者たちは、一人ずつ去っていきました。「罪を犯したことがない」と主張できる者は誰もいないからです。

この物語は、キリスト教の最も本質的なもの、罪とは何か、罪の赦しとは、救いとは何かを私たちに教えています。聖書は「義人はいない。一人もいない」(ローマ3章10節)と主張しています。聖書は、神の前に罪のない者はいない、すなわち、私たちは、全て罪人であるということを述べているのです。

キリストが罪の問題について語られるとき、それを表面に現れた行為の問題としてではなく、人間の根底に潜む心の問題として取り上げておられるのです。例えば、姦通の罪に関して、キリストはこう仰せになりました。「『姦淫するな』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。」(マタイ5章27-28節、口語訳)

キリストは罪の問題を語られる時、その本質的問題をついておられるのです。人間は元々律法を守りきれるものではなく、罪人なのだと言われるのです。この意味において、罪を犯したことのない者は、一人もいませんでした。一般の宗教は「行いによる救い」を説いています。それは、自分の救いは自分自身の努力で得ることができる、というものです。「天は自ら助くる者を助く」というわけです。

罪とは何でしょうか。アウグスチヌスは、罪を「どうしても赦されてはならないもの」と定義しました。聖書でいう「罪人」とは、いわゆる「犯罪人」とは違います。聖書の言う罪とは「ある行為」というより「状態」を表します。

新約聖書では、罪を表現するのに、「的をはずす」という意味のギリシャ語である「ハマルティア」という言葉が使われています。キリスト教でいう「罪」とは、「神との正しい関係を損なっている状態」ということなのです。罪は、アダムとエバが神に反逆した結果、この地球に侵入してきました。

米国のある動物園の話しです。チンパンジー、オランウータン、ゴリラなどのいる類人猿のコーナーに、「世界で最も危険な動物」という立て札が立っている一角があります。その看板を見て、見物人たちは、さてどんな動物がいるのだろうかと興味深そうに中を覗きます。ところが中は暗くてよく見えません。じっと中を覗いていると、中に鏡が置いてあって、じっと見つめている自分の顔が見えてきます。「世界で最も危険な動物はお前だ」という訳です。アメリカ人らしいユーモアですが、実は、私たちが自分自身の内面を吟味してみるとき、自分にしか分からない罪深い自分を発見するのではないでしょうか。

使徒パウロは、私たちの内の「罪の法則」について次のように言っています。

「わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。

もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。それで、善をなそうと思う自分には、いつも悪が付きまとっているという法則に気づきます。

「内なる人」としては神の律法を喜んでいますが、わたしの五体にはもう一つの法則があって心の法則と戦い、わたしを、五体の内にある罪の法則のとりこにしているのが分かります。わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。」(ローマ7章18-24節)

聖書的に表現するならば、私たち人類全ては、神の愛にそむき、神以外のものを愛し、神に対して「姦淫の罪」を犯しているのです。神よりも自分を崇め、神以外のものを第一としているのです。そうであるならば、私たちはどうしてこの姦淫を犯した女性を裁くことができるでしょうか。どうしてこの女性と私たちは無関係だと言えるでしょうか。律法学者とファリサイ人たちは、他人の罪には敏感であっても、自分の罪には全く鈍感でした。彼らは、自分自身を正しいとする態度こそが、根本的罪であることを理解していませんでした。

キリスト教とは、決して聖人君子の宗教ではありません。罪人の宗教です。キリストは「私が来たのは、義人を招くためではなく罪人を招くためである」と言われました。キリスト者とは、罪人なのです。もっと正確に言うなら「自分が罪人であると自覚している人」なのです。私たちの現実の姿こそ、この罪を犯した女性の姿そのものなのです。

クリスチャンとは、この女性のように自分の罪深さを自覚しながら、キリストのもとに留まる人なのです。ほかの人たち全てが去っていった後にも、キリストのもとに留まるのです。寝間着姿のままで、土にまみれたままで、普段着そのままの姿でキリストのもとに留まるのです。

その時に、私たちは「神の大きな赦しの御手のうちに生かされている」存在であることを発見します。キリストが、私たちに罪の赦しを語られる時、その罪のために血が流され肉が裂かれているのです。しかし、それは、罪を犯した者の血が流され肉が裂かれているのではありません。この赦しを語られるキリストご自身の血が流され肉が裂かれているのです。それこそが神の赦しであり十字架の出来事です。この十字架の出来事があるからこそ、罪の赦しが語られるのです。これが福音であり、キリスト教の教える救いの出来事です。

所詮、神の前においては、人間は人間、単なる被造物にすぎません。ここにおいて、告発する律法学者たちと、告発されるキリストの立場が逆転してしまいます。なぜなら、誰一人として、神の前に自分が罪のない者であると主張できる人はいないからです。

私たちは、人を批判し人を責めます。自分自身の罪を棚に上げ、他人を譴責するのです。キリストが、身をかがめて、地面に何かをお書きになった時、キリストの目に映ったのは、そのような私たち人間の姿であったに違いありません。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」とキリストが、言われたとき、その言葉は、このような私たち一人一人に向かって言われた言葉だったに違いないのです。

告発する者たちが去って行き、石を投げつける者が誰もいなかった時、彼女に対してキリストは言われます。「『婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。』女が、『主よ、だれも』と言うと、イエスは言われた。『わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。』」

キリストは、この女性に罪の赦しを語られました。どうしても「赦されてはならないもの」に対する「赦し」が、ここで語られているのです。

クリスチャンとはいったいどんな存在なのでしょうか。キリストは「汝らのうち罪なき者、まず石で打て」と仰せられました。この一言によって、一人二人と人々は去っていきました。そしてこの女性だけが残されました。彼女はどうしたらよいのでしょうか。彼女は立ち去ることもできたはずです。なぜ彼女は立ち去らなかったのでしょうか。彼女を譴責する言葉もないし、引き留める言葉もありません。しかし彼女は立ち去りませんでした。彼女はその寝間着姿のままで、恐らくはだしで土にまみれた寝間着姿のままで、キリストのもとに留まったのです。クリスチャンとは、まさに彼女のように、自分の罪深さを理解しつつ、神のもとにとどまる人なのです。

罪人の神

「聖徒となれる悪徒」という本があります。1918年(大正7年)、47歳で死刑に処せられた凶悪犯・石井籐吉の自叙伝です。

藤吉は、少年時代、父の酒好きがもとで、家庭は貧困のどん底に落ち、小学校を中退させられます。やがて悪に道に走り、19歳の時、盗みのために初めて拘置所に入れられました。だんだんと彼の盗み犯行はエスカレートして、四犯となり懲役刑を受けました。何回も脱獄しては捕えられるということを繰り返します。

そのようなある日、彼の生活を変えてしまうような出来事が起りました。入獄後7年、またいつもの様に反則を犯し、看守に注意されました。すぐに詫びればよいものを看守にくってかかったために、看守は彼の手を後ろ手に縛り、口に猿ぐつわをはめ、両足が地に着くか着かないまでに吊し上げました。それでも彼は強情に詫びなかったのです。

そこにちょうど、肥後という副所長がたまたま通りかかりました。彼は、その有様をみて看守を外に出し、縛り上げた縄を解き、猿ぐつわをはずしてくれました。そして籐吉が腰に下げていた手ぬぐいをとって、汗びっしょりになった彼の顔を丁寧に拭いてくれたのです。これにはさすがの藤吉もすっかり感激しました。こんな悪人にもこんなに親切にしてくれる人がいるとは、彼はありがたくてありがたくて、もう反則はしまいと心に決めたのでした。この副所長との出会いがすっかり彼を変えてしまいました。この副所長は、後で分かったのですが、クリスチャンだったのです。

その後、藤吉の生活態度は全く変わってしまいました。模範囚となり、規則はよく守り、喧嘩もすっかりしなくなりました。彼は所長より表彰を受け、作業賞与金をもらえるようになりました。

1914年(大正3年)、彼は、模範囚として11年の刑を終えて、千葉の監獄を出ました。その時、彼は80円の金を持っていたのです。ところが、東京で、大事に持っていた80円のうち半分以上を盗まれてしまいました。籐吉は猛烈に腹が立ちました。折角これを元手にまともになろうとしているのにと思うと癪にさわってたまらなかったのです。

やがて金に困るようになった藤吉は、大阪で強盗だけではなく強姦までやり35円を手に入れました。翌年の1915年4月29日横浜の鈴ヶ森で、夜道を歩いていた若い女性を襲い36円を奪いました。当時「鈴ヶ森のお春殺し」として世間を騒然とさせた大事件でした。

その後名古屋でまた強盗強姦事件をやり、6月には横浜で強盗に入り夫婦を絞め殺して逃走し、7月には、刀屋から刀を二本盗み、豊橋で夜中の二時頃石炭問屋に入ろうとして中の様子を伺っていたところ、見回りの巡査に呼び止められました。籐吉は刀を抜いて巡査に向かったが、巡査もひるまず飛びかかってきたので、刺し殺して逃走。非常線を張られ、岡崎で3,4人の巡査に取り囲まれたが、一人の巡査を刺殺してまたもや逃走。

12月に入って金に困り東京深川で強盗に入って騒がれ、さすがの籐吉も、ついにご用となってしまいました。

拘置所には7、8人の犯罪者がいて色々な世間話をしていました。あの「鈴ヶ森のお春殺し」の「犯人」、小守壮輔の裁判について話していたのです。彼は大きな衝撃を受けました。自分が殺したのに、無実の罪を受けている人がいる、身に覚えのないことで数ヶ月も牢獄に入れられ、裁判を受けている、彼は居ても立ってもいられない気がしました。小守がもし死刑の判決を受けるとなるとそれこそ大変だ。自分はありとあらゆる犯罪を重ねてきた悪人だから死刑を受けるのは当然だ。自分は本当のことを話し、罪のない小守を助けなければならない。

彼は、洗いざらい自分の犯した罪を告白しました。その後、彼は今までにない落ち着いた気持ちになり、死刑を覚悟したのです。

ところが、独房に入れられ、一人きりになると色々な悩みや恐怖が襲ってきました。特に夜は寝付かれず、自分の犯した様々な犯行を思い出すと、恐ろしさに震え出すのでした。

そのような中で籐吉は、ミス・マクドナルドとミス・ウェストに出会うことになります。二人とも敬虔なクリスチャンで、特にミス・マクドナルドは、日本YWCA運動の生みの親として有名な方でした。彼女たちは、二度三度と面会にきては聖書を読むようにと勧めました。

籐吉は全然キリスト教には興味がありませんでした。しかし独房の中で暇をもて遊ぶうちに、聖書の真ん中を開けてみたり後ろを開けてみたりしているうちに、段々と聖書に引きつけられて、ルカ伝を読み始めました。

ルカ伝を読み続け、十字架の場面で、次のような言葉に出会いました。

「かくてイエス言いたまふ『父よ、彼らを赦し給へ、その為す所を知らざればなり。』……」

このみ言葉を読んだ時の気持ちを、彼は「5寸釘を打たれるよりもなお強く浸み込んだ」と表現しています。

彼は、5寸釘以上のもが胸に刺し込まれる強烈な痛みと共に、キリストの愛が自分自身に注がれていることを感じました。こんな感動を受けたのは生まれて初めてでした。自分を殺すものに対してこんな言葉を言えるのは人間ではない。怒り、憎み恨むのが当然なのに、「彼らを赦し給え」と神に願うことは人間ではできない。神の子ではなくてはできない。イエスこそは神の子なのだと籐吉は信じました。

籐吉は、この聖書のイエスの言葉一つで神を信じることができました。彼は子供のように素直に信じることができたのです。

しかし彼は考え込んでしまいました。大悪・大罪を重ね、勝手わがままなことをしたあげく、最後になって急に神にすがって本当に救われるのだろうか、と真剣に考えた。しかし彼はルカ伝15章7節のみ言葉に救いに確信が与えられました。「われ汝らに告ぐ。かくの如く悔い改むる一人の罪人のためには、悔い改めの必要なき99人の正しき者にもまさりて、天に喜びあるべし。」

彼は「懺悔録」を一生懸命に書き始めました。自分の罪の懺悔とキリストの大いなる愛を一人でも多くの人に知らせたい。死ぬまでに自分の出来ることはこれだけだと、祈りながら書き続けました。少年時代から始まって、自分の犯したありとあらゆる悪事を残らずありのまま書いたのです。これは、後に「聖徒となれる悪徒」という題で出版されました。英語訳は「獄中の紳士」という題でニューヨークで出版され、更に仏語、ドイツ語、中国語に翻訳されて世界で広く読まれたのです。

鉄格子の独房の中に閉じこめられていた籐吉は、教会に行けず礼拝にも出られませんでした。何の価値もない自分を救ってくださった神の救いの恵みを身にしみて感じていた藤吉の大好きな賛美歌は、

「いさおなき我を血をもて贖いイエス招きたもうみもとに我ゆく
つみとがの汚れ洗うによしなし、イエス潔めたもうみもとに我ゆく」

というものでした。彼は歌うことは出来ませんでしたが、その意味をかみしめながら、いつもひとり大声でこの賛美歌を読んでいたのでした。

そして、1918年(大正7年)8月17日、籐吉は「名は汚しこの身は獄にはてるとも心は潔め今日は都へ」という辞世の歌を残し、刑場の露と消えていったのでした。

キリスト教とはどういう宗教なのでしょうか。クリスチャンとはいったい何者なのでしょうか。キリスト教とは、罪人の宗教なのです。クリスチャンとは自分が罪人であることを自覚している者なのです。

キリストは「真理はあなた方を自由にする」(ヨハネ8章31-36節)と言われました。それに対して、ユダヤ人たちは「いつ私たちは罪の奴隷になったことがあるのだろうか」と問いかけました。しかし、罪を犯す者は誰でも罪の奴隷です。罪とは心の奴隷状態を指しています。私たちが罪そのものであるから、罪を犯すのです。罪を犯すから罪人になるのではなく、罪人だから罪を犯すのです。

キリストは「わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」(マタイ9章13節)と仰せられました。内村鑑三は「罪人とは、自己の罪深き者と思い、悔い改めて、神にその罪を赦された者のことである」と解説しています。ルターは「神は偽りの罪人を救うのではなく、真実の罪人を救うのである。だから神の恵みは、偽りの恵みではなく、真実の恵みである」と言っています。

罪人である人間は、神に罪を赦され、信仰により義とされて初めて救いに導き入れられるのです。パウロはこう言っています。「律法が入り込んで来たのは、罪が増し加わるためでありました。しかし、罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました。こうして、罪が死によって支配していたように、恵みも義によって支配しつつ、わたしたちの主イエス・キリストを通して永遠の命に導くのです。」(ローマ5章20-21節)

「しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。それだけでなく、わたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちは神を誇りとしています。今やこのキリストを通して和解させていただいたからです。」(ローマ5章8-11節)

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