第4課 家出した息子

目次

1.反対をおしきって

イエス様は、あるとき、神様のあいを教えるために、家出した息子の話をしてくださったのだよ


おじさんはそう言って、イエス様が語られたたとえ話をしてくれました。

昔、ある家に二人の息子がいました。 

お父さんはたいへん金持ちで、めし使いもたくさんおり、息子たちは何不自由(ふじゆう)なく、すくすくと成長(せいちょう)していきました。この家にはよく客がたずねてきて、遠くの町々のおもしろい話をしてくれました。

弟の方の息子はそんな話を聞くうちに、自分も町に行ってみたいと思うように、ある日お父さんに、

「お父さん、ぼくももうおおきくなったから、町に行って一人でくらしてみたいのです。お父さんの財産(ざいさん)のうちから、将来(しょうらい)わたしのいただく分を今わたしに分けていただけないでしょうか」とたのみました。

「とんでもない。お前はまだわかすぎる。もう少し家にいて、はたらいたり勉強したりして、経験(けいけん)をつんでからにしなさい。町には悪がしこい人たちがたくさんいるから」

お父さんはそう言って止めようとしましたが、息子はどうしても自分の計画をあきらめようとしません。ついにお父さんは、息子のねがいをゆるすことにしました。そしてねがいどおり、財産(ざいさん)の半分をわけてやりました。

息子は大よろこびで、さっそく自分のお金を全部もって、遠くの町に旅立っていきました。

2.後悔(こうかい)する息子

家の客たちが言っていたとおり、町にはめずらしいもの、楽しいことがたくさんありました。

なにか商売でもしたいと思ってはみたものの、楽しさに心をうばわれてついつい遊びくらしているうちに、たくさんあったお金はみるみるうちにへってしまい、気がついたときにはわずかなお金ものこっていませんでした。

さあたいへん、急いで仕事をさがしましたが、あまりはたらいたこともない金持ちの息子などだれもやとってくれません。お金があるときは、なかよくしてくれていた友だちも、もう見むきもしません。

さらに悪いことには、その年はひどいききんで、どこにもじゅうぶんな食物がありませんでした。かれらはついに豚(ぶた)のせわをするまでに落ちぶれてしまいました。

ぶたのせわというのは、その当時はとてもいやしい仕事だったのです。おなかはすくし、仕事はつらいし、かれは心もからだも弱りはててしまいました。あるときふと、楽しかったわが家のことが思い出されました。

「ああ、どうしてぼくは家を出てきたりしたんだろう。ぼくのことをあんなにあいしてくれたお父さんにさからって家をとび出し、そのうえ財産(ざいさん)までつかいはたすなんて、ぼくはなんてばかで、親不孝(おやふこう)だったんだろう。お父さんの家にはめし使いだってじゅうぶんな食事があたえられていた。そうだ、思い切って家に帰って、お父さんにあやまろう。むすことしては受け入れてもらえないかもしれないけれど、めし使いの一人になら、してもらえるかもしれない」

かれは、そう思うといてもたってもいられなくなり、すぐに家に帰ることにしました。出てくるときは美しい服を着て、お金もたくさんもって意気揚々(いきようよう)と出てきたのに、帰ろうとしている今はかみの毛はぼうぼうで、着物はやぶれてあかまみれ、そして持ち物は何一つないありさまでした。

3.帰りを待つお父さん

お父さん 一方お父さんの方は去っていった息子のことが忘(わす)れられず、息子の去っていった丘(おか)のかなたを見つめることが多くなりました。ある日、ふと丘(おか)の方を見ると、一人の人がこちらに向かって歩いてくるのが見えました。

「おや、あれは息子ではないか」
どんなにぼろをまとっていても、お父さんには息子のすがたがすぐにわかりました。

「息子だ。息子が帰ってきたのだ」
お父さんは待ちきれずに走りだしました。息子は、走りよってきた父をみつけると、そのやさしいまなざしに口をきくことができずに、その場に立ちつくしてしまいました。

「よく帰ってきてくれた」
お父さんはそう言って、息子をだきしめ、なみだを流しました。

「お父さん、おゆるしください。わたしは神様に対しても、お父さんに対してもつみをおかしました。もうあなたの息子とよばれるしかくはありません」

お父さんは、息子をやさしく受けとめ、
「お父さんは、お前が帰ってきてくれてうれしいのだ。今までのことは今までのこと。お前はいつまでもわしの子だよ」
と言ったのでした。

そしてめし使いたちに命じて、家で一番のい着物を着せ、ゆびわをはめさせ、はきものをはかせ、子牛をほふってお祝(いわ)いのパーティーを開いたのでした。

4. ゆるして下さる神様

本当にやさしくていいお父さんだね。おじさん。このお父さんは神様をあらわすんでしょう

そうだよ。じゃあ息子はだれをあらわすと思う?

悪いことをした人かなあ

そう。でも、人間はみんな、つみをおかして神様からはなれてしまっているから、弟はわたしたちすべての人をあらわしていると考えて方がいいだろうね

つみをおかしていない人っていないの?

聖書(せいしょ)には、「すべての人がつみをおかした」と書いてあるよ。(ローマ人への手紙5:12)

そうだね。ぼくも悪いことはしたくないけど、ついいじわるしたり、わがままをいったりしてしまうもの

息子が、自分の悪かったことを反省(はんせい)して、お父さんのもとに帰ったように、わたしたちも自分のまちがいに気づいたらすぐ神様にゆるしをもとめると、神様はゆるしてくださるのだよ。お話にでてくるお父さんと同じようにね。神様は「わたしはあなたのとがを雲のようにふきはらい、あなたのつみをきりのように消した。わたしに立ち返れ。わたしはあなたをあがなったから」(イザヤ書44:22)と言っておられる

でも、ぼくは毎日悪いことをしてしまうんだよ。そんなに何回もゆるしてもらえるの

神様は本当に反省(はんせい)している人には、何回でもゆるしてくださるのだよ。そして、わたしたちにもう一度新しい心をあたえてくださるんだ!

神様って、本当にわたしたちをあいしていてくださるのね

ほくたち、神様を悲しませないようにしないとね

そうだね

まとめ

人間はみなつみをおかして、神様からはなれてしまっています。しかし、わたしたちが自分のまちがいに気づいてゆるしをもとめるとき、神様はわたしたちをゆるし、新しい心をあたえてくださいます。

たからのことば

悪しき者はその道をすて、正しからぬ人はその思いをすてて、主に帰れ。そうすれば、主はかれにあわれみをほどこされる。われわれの神に帰れ、主はゆたかにゆるしをあたえられる。
イザヤ書55:7

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会新共同訳を使用しています。
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『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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