第11課 イエス様にお会いする準備(じゅんび)

目次

1.思いがけないときに

きげん79年8月24日、午後1時、それまでねむっていたベスビオ火山が、とつぜん炎(ほのお)をふきあげて爆発(ばくはつ)しました。ちょうど昼食をとっていたり、あるいはゆっくりと食後の休みを楽しんでいたポンペイの町の人たちは、おそろしい爆発音(ばくはつおん)と地鳴りにきもをひやしました。

外を見ると、8キロほどはなれたベスビオ火山から赤い炎(ほのお)の柱があがって、空をこがしていました。ようがんがいつ流れてくるかわかりません。人々はおそろしさのあまり、とるものもとりあえず、このきけんな場所からにげだしました。そうするうちに黒いこなが空一面をおおい、あたりは夜のように暗くなってしまいました。

ほとんどの人たちがにげ出してしまったころになって、家の中からあわてて出て来た人たちがいました。お金のふくろをもったり、たからものを大事そうにかかえている人たちでした。しかしこのころには火の粉(こ)がふりはじめ、しばらく走っているうちに、かみの毛や衣類(いるい)に火がつきはじめ、かれらはあつさのあまりその場にたおれてしまいました。にげ出すのがおそすぎたのです。かれらは大切なたからをかかえたまま帰らぬ人になってしまいました。

2.ほんとうに大切なもの

おじさんの話を聞いていたけんいち君とさと子さんは、話が終わってもしばらくだまっていました。

けんいち君、どうしたんだい。きょうはずいぶんしずかじゃないか

ええ、ぼく、本当に大切なものは何かって考えていたの。命をうしなってしまったら何にもならないもの

そうだね。どころが毎日、お金もうけや出世をするためにとかくあくせくはたらいていて、永遠(えいえん)の命をえるために時間を使っていない人がいるのだよ

永遠(えいえん)の命をえるために時間を使うって?

神様とお話をするとか、聖書(せいしょ)を読むとか、人々にほうしをするとかいうことだよ

永遠(えいえい)の命をうしなったら、いくらとみをもっていても何にもならないものね

いつ火山の爆発(ばくはつ)があるかわからないように、イエス様がわたしたちをむかえに来られるのがいつか、わたしたちにはわからない。でも、いつむかえに来られてもよいようにじゅんびをしていたいものだね

それに、わたしたちはいつ死ぬかだってわからないわ。地震(じしん)や火事、自動車事故(じこ)とかだってあるし。いつでもイエス様をおむかえできるようにじゅんびをしておかなくちゃ

それでは、イエス様がむかえに来られるとき、じゅんびのできている人と、できていない人の話をしてあげよう

3.かしこいおとめとおろかなおとめ

[注:おとめ=わかいむすめのこと]

昔、ユダヤの国では、けっこん式は夕方行われることが多かったようです。まず花婿(はなむこ)が花嫁(はなよめ)をその家まで迎むかえに行きます。花嫁(はなよめ)は花婿(はなむこ)とともに花婿(はなむこ)の家に行って、いわいのせきにつくのでした。

その時何人かのおとめたちが明かりを持って花嫁(はなよめ)につきそうのが習わしでした。イエス様は天国を待つ人たちをこのおとめたちにたとえて、次のような話をなさいました。

10人の乙おとめたちが花嫁(はなよめ)につきそって、花婿(はなむこ)のとうちゃくを待っていました。しかしどうしたわけか、花婿(はなむこ)がなかなかとうちゃくしません。夜もふけてきて、おとめたちは待ちくたびれてついうとうとと、ねむってしまいました。

夜中にとつぜん、
「花婿(はなむこ)が来ましたよ。でむかえに行ってください」
という声がしました。

乙女(おとめ)たちはあわててとび起きて、むかえに出ようとしました。ところが、ランプの油はすでにもえつきていました。かしこい5人は前もって余分(よぶん)の油を用意していたので、すぐにむかえにでられましたが、おろかな5人は油の用意をしていなかったので、むかえに出ることができません。

かしこいおとめたちに、少し分けてくれないかとたのんだのですが、分けるほどの余裕(よゆう)はないとことわられてしまいました。おろかな5人はしかたなく、町まで油を買いに出かけました。帰ってみると、花婿(はなむこ)と花嫁(はなよめ)とかしこいおとめたちはすでに婚宴(こんえん)のへやに入っており、戸がしまっていました。

おろかな5人のおとめたちは戸をたたいて、
「ご主人様、どうぞ戸をあけてください」
とおねがいしました。

しかし主人は、
「はっきり言うが、わたしはあなたがたを知りません」
と答え、戸をあけてはくれませんでした。

4.イエス様にお会いする準備(じゅんび)

けんいち君、さと子さん、イエス様はこのたとえ話で何を教えようとされたと思う?

イエス様にお会いする準備(じゅんび)をしていなさいということかしら?

そうだね。花婿(はなむこ)はイエス様のことをあらわしているんだよ

10人のおとめは再臨(さいりん)、つまりイエス様が来られるのを待っている人たちね

かしこいおとめもおろかなおとめもどちらもイエス様の再臨(さいりん)を待っている人たちなのだが、ただ、かしこいおとめはイエス様にお会いする準備(じゅんび)のできている人たち、おろかなおとめは準備(じゅんび)のできていない人たちだよ

たとえ話では油の準備(じゅんび)をすればよかったけれど、わたしたちはイエス様にお会いするためにどんな準備(じゅんび)をしたらいいの?

わたしたちは自分のつみをくいあらため、イエス様に心をかえていただくことが必要(ひつよう)だね。ところがせっかくつみをゆるされ、神様の子とされていても、悪魔(あくま)にそそのかされて、心がイエス様からはなれてしまうことがあるね。

だからわたしたちは、ぶどうの枝(えだ)が幹(みき)につながって養分(ようぶん)を受けるように、イエス様につながって、力をいただいていなければならないんだよ。心がイエス様につながっている人こそ、イエス様にお会いする準備(じゅんび)のできている人なんだよ

わたしもかしこいおとめのように、準備(じゅんび)のできている人になりたいわ

イエス様は次のように言っておられる。「だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである」(マタイによる福音書24:42)

わかいときは思うぞんぶん楽しんで、それから準備(じゅんび)をしようと考えている人がいるけれど、年をとってからではおそすぎるかもしれない。イエス様がいつおいでになるかはだれもわからないのだから。まだ準備(じゅんび)ができていないと思ったら、今すぐ準備(じゅんび)を始めようね


 

たからのことば

だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからであるマタイによる福音書24:42

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会新共同訳を使用しています。
また、一部をひらがな表記に変更しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

聖書を学ぼう!

会員登録後、聖書について学べるコンテンツを無料でご利用いただけます。

よかったらシェアしてね!
目次