【詩篇解説】失望から栄光へ#13 〜ハレルヤ〜

目次

主は王

ドイツの偉大な作曲家、ジョージ・フレデリック・ヘンデルはイギリスに移住し、1741年8月22日から9月14日にかけて、アイルランドのダブリンであの有名なオラトリオ「メサイア」を作りました。1743年にロンドンで開かれた最初の演奏会には、国王ジョージ2世も出席していました。ハレルヤ・コーラスに大いに心を動かされた国王は、自らの上に君臨される王の王、主の主であるメシヤをあがめて起立したということです。国王と共に起立した全聴衆の心理的効果は今日においても変わることがありません。「メサイヤ」が演奏されるところではどこでも、聴衆は起立して宇宙の見えない王に敬意を表するのです。彼らも心から合唱に和して歌うのです。「神は永遠から永遠に支配される。ハレルヤ!」。

私たちは今も、聖霊によって心のうちに住まれるキリストをほめたたえることができます。ましてや、主と直接お会いし、各時代の救われた者たちと共に賛美をささげるときの喜びはいかに大いなることでしょう。

喜びに満ちた心(詩篇112篇)

質問1 神をおそれる者はどんな祝福を受けますか。詩112:1〜9

正しく真実な人はその家族の立派な模範となり(2節)、その人の記憶は死後もながく覚えられます(6節)。「太陽が沈んだ後も長く落日の輝きが山頂を照らすように、純粋な人、聖潔な人、善良な人の行為はその人が去った後も長く世に光を投げ続ける」(『人類のあけぼの』下巻99ページ)。

コリントの教会によって表された寛大な精神を賞賛して、使徒パウロは詩篇112:9を引用しています(Ⅱコリ9:9参照)。

正しい者の恵み深さ(詩112:4)は、他人に対する態度のうちに表されています(5、6節)。暗黒の日には、主は星のように彼らを導かれます(4、7、8節)。

質問2 信心深い人々の願望と不信仰な人々の願望との相違は何ですか。詩112:7、8、10

不信仰な人々は自分たちの望まないこと、つまり信心深い人々の勇敢さと正しさを見ることになります。信心深い人々は悪いおとずれ、つまり敵の攻撃を恐れません。彼らの不動の心は救いを与えられる神に信頼します。

「まず2節に、正しい人の子孫は『地において強くなり』と言われている。『強い』という言葉は『強い人』、つまり勇気と資産のある人について用いられる。これらの子孫はあだに打ち勝つ(8節)。これを今日の情況にあてはめるなら、彼らは悪の勢力と戦い、これに勝利することができるということである(エペ6:10比較)。キリストにあって、私たちの敵はすでに敗北しているのである。『わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある』(ロマ8:37)」(ドナルド・M・ウィリアムズ『コミュニケーターズ・コメンタリー、詩篇73〜150篇』314ページ)。

恵みを数える(詩篇145篇)

質問3 神をほめたたえよという招きはどれほど広範囲に及ぶものですか。詩145:6、9、12、14〜16、18〜21

イスラエルの王としての自分の立場を忘れ、諸国民に栄光ある神の王国の威厳について語るダビデ王の姿はまさに注目に値します。

質問4 私たちは主のどんな特性をほめたたえるべきですか。

詩 145:7
詩 145:8
詩 145:9
詩 145:14
詩 145:19

これらの特性は主の恵みから流れ出るものであって、専制君主や独裁者には見られないものです。高慢で、残忍で、民に無関心な支配者は信頼されません。主はつねにご自分の民に対して無限の愛をあらわしておられます。その最大のあらわれは、カルバリーの十字架における御子の死です。「彼は……彼によって神に来る人々を、いつも救うことができるのである」(ヘブ7:25)。

質問5 神の賛美と支配の永続性に注目してください(詩145:1、2、4、13、21、146:2、6、10)。これに比べて罪深い人間はどれほどはかない存在ですか(詩145:20、146:3、4、9)。

新約聖書もまた、義人と悪人の運命を対照的に描いています(マタ25:46、Ⅱテサ1:6〜10、黙示6:15〜17、7:9〜17参照)。

過越の賛美(詩篇113篇、115篇)

詩篇136篇が大ハレルと呼ばれているのに対して、詩篇113篇から118篇は単にハレル(賛美)と呼ばれていて、家庭で過越を祝うときに歌われました。113篇と114篇は食事の前に、またそのあとの四つの詩篇は、食事の後に歌われました。

質問6 主の名はどれほど長く、またどれほど広くほめたたえられるべきですか。(詩113:1〜3—使徒4:12比較)。それはどうしてですか(詩113:4〜9)。

奴隷船の船長で、のちに回心したジョン・ニュートンは「イエスの御名」という賛美歌を作りました。それは、「イエス君の御名はたえなるかな」という言葉で始まっています。聖書にはイエスの御名が数多く用いられていますが、ニュートンはそのうちの六つを用いています。それらは、羊飼い、守護者、友、預言者、祭司、王です〔英文賛美歌150番参照〕。

驚くべき対照に注目してください。高く尊いおかたが低く卑しい者として世に来られました(イザ57:15、マタ11:29参照)。その目的は家なき者を天の宮殿に、堕落した罪人を聖徒たちの家に引き上げることでした。

聖さん式

イエスが弟子たちと共に聖さん式を制定されたのちに歌った賛美(マタ26:30)はハレルの後半部分、つまり詩篇115篇から118篇、あるいはその一部でした。

質問7 詩篇作者はどんな態度をとることによって自分を偶像崇拝から守ろうとしていますか(詩115:1〜11)。真の神はどんな点において偶像と異なりますか(詩115:3、11、12、15、16)。

偶像礼拝は人を堕落させる

「偶像を拝むものが偶像からどんな影響を受けるかについて、詩篇記者はこう言っている。……人間は、真理、純潔、聖潔に関して、自分が持っている観念以上に到逹するものではない。もし、精神が、人間的水準以上に高められず、無限の知恵と愛を瞑想するために信仰によって高尚にされないならば、人間は常に低い方へ低い方へと沈んでいくのである。偽りの神の礼拝者は、その神々に人間の性質と情欲とを付与した。こうして、彼らの品性の標準は罪深い人間の形に下落した。その結果、彼らは堕落したのである」(『人類のあけぼの』上巻88、89ページ)。

宇宙の調和(詩147、148)

「この詩篇〔147篇〕の教訓は非常に重要である。ダビデの最後の四つの詩篇はとくに熱心に研究すべきである」(『キリスト教教育の原理』371ページ)。

質問8 どんな例話の中に神の個人的な関心が示されていますか。詩147:2〜6

神の知恵は無限です。神はイスラエルの子らよりも多い星々を数えられます。神は各人に対して個人的な関心をよせておられます。

詩篇147篇にある軍隊に関連した表現は神の守りを示しています(2、10、11〜14節)。神はご自身をおそれる者を守られます。

質問9 自然界にはどんな力が働いていますか。詩147:8、9、15〜18、148:8、9(創世1:11、12、8:22比較)

「神秘な生命は自然のあらゆるものにゆきわたっている。それは、無限大の空間に無数の世界を保ち、夏のさわやかな風に浮かぶ小さな昆虫を生かし、飛びかうつばめを羽ばたかせ、鳴くからすのひなにえさをあたえ、つぼみを花とひらかせ、花に実をむすばせる生命である。

自然をささえている同じ能力が人の中にも働いている。星や微生物をみちびくのと同じ大いなる法則が人の生命を支配している。…いっさいの生命は神から出ている」(『教育』104ページ)。

質問10 自然界や動植物が主をほめたたえるとはどういうことですか。詩148:3〜10、19:1〜3

「自然は、彼ら〔人間〕の知覚に訴え、生きた神、創造主、万物の最高の支配者の存在を宣言している。……地上をおおっている美は、神の愛のしるしである。われわれは、それを万古不易の山、壮大な樹木、開くつぼみ、優美な花に見ることができる。万物は、神について語っている」(『人類のあけぼの』上巻23ページ)。

ハレルヤ(詩篇149篇、150篇)

質問11 人類家族はこの自然界の大合唱にどのように応答すべきですか。詩148:11〜14、149:1〜6、150(黙示5:13比較)

地位、年齢、性別にかかわりなく、すべての人が主を賛美するように求められています。しかも、この賛美は日中だけに限られたものではありません。人間の声のほかに、弦楽器、木管楽器、金管楽器が一大交響曲を奏でて、偉大なる創造主をほめたたえています。

これは詩篇をしめくくるにふさわしい光景ではないでしょうか。最後の章のわずか6節のうちに、「ほめたたえよ」という言葉が13回も使われています。だれもこの招きに逆らうことはできません。「息のあるすべてのものに主をほめたたえさせよ」(詩150:6)。ハレルヤ!

いのちの主に冠をささげよ

アイルランドの説教者トマス・ケリー(1769〜1854)は、再臨使命を説くために国教会から脱会した人です。彼は「百千(ももち)の聖徒よ」という賛美歌の中で、御座に座しておられる栄光に満ちたキリストの姿を描写しています。

「百千の聖徒よ、うれいの人と

呼ばれし主イエスのみわざをあおぎ、

ささげよかむりをば、主に。……

聞けきけ、たえなるたたえの歌の

あめにもつちにもなりとどろくを、

ささげよかむりをば、主に」(聖歌178番)。

まとめ

このシリーズの教課は暗い質問をもって始まりましたが、輝かしい賛美をもって終わっています。主は24時間以内に私たちのために第二の死を味わうことを知っておられながら、賛美を歌われました〔マタ26:30〕。これはすばらしい模範です。主はその信仰によって恐るべき失望に勝利されたのです。このことは私たちに、「あなたの前には満ちあふれる喜びがある」ことを教えています(詩16:11)。ハレルヤ!

*本記事は、C・レイモンド・ホームズ(英:C. Raymond Holmes)著、安息日学校ガイド1992年2期『詩篇73-150篇 失望から栄光へ』 からの抜粋です。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会口語訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

よかったらシェアしてね!
目次