第3課 ゆるせない心が変わるとき

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人をゆるせない苦しみ

今、あなたがこうしてこの講座を学んでいる時も、日本の空の下で、どれだけ多くの人が人をゆるすことができずに苦しんでいることでしょう。ゆるす気持ちになれさえすれば、相手もそして自分も楽になれることがわかっていながら、それができないのです。和解は謝罪とゆるしがあって初めて実現するのですが、人は相手があやまってくるならともかく、こちらから先にゆるしの手をさしのべることなどできないと考えています。自分は正しく、悪いのは相手だからと思っているのです。しかし、多くの場合、相手には相手の言い分があるのです。こうして互いに傷つけ、憎み合い、いつまでも両者に和解によるいやしが訪れることはないのです。

東京都町田市に住む幸子さんの体験は、ゆるせない心がどのようにして変わりうるかを示してくれています。両親と兄と4人暮らしの家に変化が生じたのは、家族が新築の家に引越した時でした。大学教授の父が、教え子の卒論を指導するためと称して女子大生を同居させるようになったのです。初め中学生だった幸子さんはよくわからなかったのですが、奇妙な生活が何年か続くうちに、幸子さんは父とその女性に殺意を感じるようになりました。兄ががんで亡くなったのをきっかけに両親は離婚。家を出た父とその女性との間に父が熱望していた男の子が産まれたことを知りました。

幸子さんもいつしか25歳を過ぎていましたが、結婚に自信が持てず、婚約も破棄してしまいました。幸せになりたいと思うのですが、頭を離れないのが、母と自分を裏切った父と、父を奪った女性に対する憎しみの思いです。その苦しみを、母と通っている教会の牧師に相談したとき、牧師は「感情がともなわなくてもかまわないから、声に出して『イエスの御名によって2人をゆるします』と言ってごらんなさい」とすすめました。言おうとするのですが、怒りと悲しみがこみ上げてきて、胸が苦しくなり、どうしてもその言葉が言えないのです。

そして10日目、キリストが、十字架上で自分を裏切り殺そうとする者たちのために祈られた、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのかわからずにいるのです」というキリストの祈りの言葉が胸に迫ってきました。「わたしもイエスさまにならって宣言します。イエス・キリストの名によって、父を彼女をゆるします」「やったあ、言えた」思わず飛びはねました。

母が亡くなって1年後、その女性が46歳の若さで肺がんで亡くなりました。そして今度は父が脳の病で倒れました。幸子さんは、父を奪った女性が産んだ腹違いの弟と住みながら、病院の父を看病し続けました。意識がなくなる少し前、おとうさんは幸子さんの手を握り、じっと顔を見つめながら「あ・り・が・と・う」と言って、静かに息を引き取ったのです。幸子さんは、もし自分がキリストの愛とゆるしを体験していなかったら、今も2人をゆるすことができず、恨みを抱いて生きていたにちがいないと思っています。

ゆるすことのできる権威ある存在は

人は長く生きれば生きるほど、人を傷つけ自らを傷つけることの多い存在ではないでしょうか。人の心を深く傷つけながら、そのことに気づかないか、気づいても忘れてしまった多くの罪、これはつぐないようがありません。人はみなつぐなえない罪からのゆるしを必要としているのです。

広島に原爆を投下したパイロットのクロード・イーザーリーは帰国後、人が変わってしまいました。ヒーロー扱いされることを拒み、勲章も返還しようとしました。年金を受け取ることも断り、原爆孤児のために市長宛にお金を送り、市議会宛の謝罪の手紙も書いています。国から罰を受けることによって罪意識から逃れようとしたのでしょうか、監獄を出たり入ったりを繰り返しました。無数の市民のいのちを奪ってしまった良心のかしゃくから解放してくれる、権威ある存在からのゆるしを求めていたのではないでしょうか。

わたしたちはみな、自分ではつぐないきれない罪を抱えている存在です。だからこそ、いのちのつくり主である、罪のない神の御子キリストご自身が「わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである」と聖書は告げています

ゆるされてゆるす

死刑囚から牧師という希有の人生を歩んだ新垣三郎牧師の生涯も、人はキリストによるゆるしを体験する時、人をゆるす者に変えられるという例証です。サイパン島の実業学校3年生だった三郎少年は、心酔していた憲兵伍長の命じるままに、敗戦を認め米国に協力する日本人2人を殺害し、死刑を宣告されました。ところが共に死のうと約束していた憲兵は、すべての罪を三郎一人にかぶせ帰国してしまっていたのです。

死の恐怖とその憲兵に対する憎しみに半狂乱の日々を送っていた彼を救ったのは、日本語の聖書通信講座(VOPバイブルスクールの旧講座)でした。自分の犯した罪のおそろしさとキリストのゆるしの愛を知った三郎のあまりの変わりように所長自らが減刑運動を開始、遂に異例のアイゼンハワー大統領の特赦により、自由の身となったのです。

牧師を目指し帰国した三郎がどうしても会いたい人物がいました。あの憲兵です。新宿の居場所を突き止めた三郎は、復讐におびえる彼に自ら手を差し伸べました。そして涙ながらにゆるしを求める元憲兵に、とっくにゆるしていることを告げたのでした。

「もし互に責むべきことがあれば、ゆるし合いなさい。主もあなたがたをゆるして下さったのだから、そのように、あなたがたもゆるし合いなさい」(コロサイ人への手紙3章13節、口語訳)。ここに光と希望があります。

祈りの言葉
神さま、私はあやまることがなかなかできない人間です。いつもまわりが悪いのだ、と責めてしまいます。しかし、神さまはそのような私を責めることなく、ゆるしてくださっていることを知りました。どうか、傷ついたわたしの心をあなたのゆるしの愛でいやしてください。
イエス・キリストのみ名によってお祈りします。アーメン。

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