神の計画と私たちの役割【エレミヤ書、哀歌―神の計画と私たちの役割】#1

目次

中心思想

私たちはしばしば、神がご自分の教会の直面している問題に気づいておられないのではないかと疑います。神が決して不意打ちに会うことがないということをどんな特性から確信することができるのでしょうか。神はどのようにしてご自分の教会を来るべき危機に備えられるのでしょうか。

アウトライン

  • エレミヤとその時代(エレ1:1、2)
  • 召しと任命(エレ1:4、5)
  • 二つの幻(エレ1:11~16)
  • リバイバルと改革(歴代下34:1~7)
  • 生ける泉とこわれた水ため(エレ2:l~3:5)

神は青年を召される

マルチン・ルターは30代の初めに16世紀の宗教改革に着手しました。ジャン・カルヴァンは24歳の時に宗教改革に参加し、27歳の時に『キリスト教綱要』の初版を書きました。18世紀には、ジョージ・ホイットフィールドが20代初めの若さで大群衆に向かって戸外で説教し始めました。19世紀には、エレン・ホワイトが17歳で最初の幻を与えられました。神は危機の時代にあってしばしば青年を奉仕のために召されます。聖書の中の有名な人物として、サムエルとヨシヤの二人をあげることができます。

このシリーズは、預言者エレミヤの働きと書き物について学びますが、彼が預言者に任命されたのはまだ20歳の時だと考えられています。当時のユダ王国は霊的に無気力で、その罪によって致命的な痛手を受けていました。手のつけようのない偶像崇拝が霊的生命の動脈をふさいでいました。預言者エレミヤの涙に満ちた訴えは滅びゆくユダの霊的力を再び目ざめさせることができるでしょうか。

エレミヤとその時代(エレ1:1、2)

エレミヤの働き(前627~570頃)は彼よりも前のゼパニヤ、ハバクク、女預言者ホルダ(列王下22:14)、それに後のダニエル(前603~535)、エゼキエル(前593~570頃)の働きと重複しています。

質問1

エレミヤのどんな生い立ちが、彼が神の預言者として慟<うえで役に立ちましたか。エレ1:1、2

アナトテはヨシュアによって祭司の居住地として定められた13の町の一つで、エルサレムの北東、約5キロの所にありました。エレミヤの父ヒルキヤは同名の大祭司ヒルキヤの下で仕えた祭司でした。エレミヤはアロンの子孫また「レビ族の祭司の一人であったので、幼少の時から聖職のための訓練を受けていた」(『国と指導者』下巻29ページ)。

神はイエスの生誕地として騒々しい町々を避けてベッレヘムを選ばれましたが、同じように寒村アナトテの貧しい村人、エレミヤを選ばれました。

ユダの最後の王たち(エレ1:2、3)

ヨシヤ……前640~609、マナセ(前696~641)の子

エホアハズ……前609、ヨシヤの子(列王下23:30)

エホヤキム……前609~598、ヨシヤの子(列王下23:34)

エホヤキン……前598~597、エホヤキムの子(列王下24:6)

ゼデキヤ……前597~586、ヨシヤの子、エホヤキンのおじ(列王下24:17)

エレミヤの働きはヨシヤ王の第13年(前627/626)に始まりましたので、彼の書き物はユダ王国の最後の40年間における霊的、道徳的衰退について描いています。当時、近東においては三つの非ユダヤ国家、つまりアッシリア、エジプト、新典のバビロニア帝国が覇権を争っていました。アッシリアは首都ニネベのバビロニアによる滅亡(前612)と共に崩壊しました。高慢なエジプトもバビロンに屈服しました。エレミヤはバビロンとエジプトの政治的、軍事的争いの犠牲となったヨシヤの悲劇的な死を悼みました(列王下35:20~25)。ヨシヤが死ぬと、ユダ王国はその国家的独立を失い、まずエジプトに、次いでバビロンに支配されました。

召しと任命(エレ1:4、5)

質問2

エレミヤの慟きに関する神の計画はいつ立てられましたか。この事実はのちにエレミヤの働きをどのように力づけますか。エレ1:4、5

クリスチャンは往々にして、教会が直面している困難な問題を取り除いて下さるように神に祈りがちです。しかし、神の計画はその困難に対処する霊的力を持った男女を備えることにあります。神は不思議な方法をもって、ふさわしい時に大切な働きを担う人々を備えて下さいます。

「すべての者は、天の永遠の計画の中に自分の占めるべき場所があるのである。だれでも、魂を救うために、キリストと協力して働かなければならない。天の住居の中に、わたしたちの場所が確実に用意されているのと同じように、わたしたちがこの地上で神のために働くべき場所が、定められているのである」(『キリストの実物教訓』301ページ)。

エレミヤは使命を受け入れるのをためらいましたが、主は彼にその迷いを克服するだけの保証を与えられました(エレ1:6~10)。「神の側に立ってエホバの言葉を宣べ伝えるうえで欠かすことのできない条件は、神がご自分で定められたすべての人に必要な力を与えて下さることを意識することである。主よ、私はどのように話したらよいのかわかりません―わたしが伝えることをそのまま語りなさい。主よ、私は子供にすぎません—わたしはあなたと共にいる。これらの言葉が私たちの魂に語られたものであることを悟るとき、私たちは自分自身の力にではなく、神の力に信頼して前進するようになる」(G·キヤンベル・モーガン『エレミヤ書預言研究』28ページ)。

質問3

エレミヤは王や民に予想される反応にどのように対処すべきでしたか。エレ1:10、17~19

ヨシヤの治世のこの時点においては、エレミヤは自分のメッセージがもたらす恐るべき反対を全く予想することができませんでした。しかし、彼はのちにはダビデ王朝の没落と神殿の破壊を預言し、自国がバビロンに服従するように求めます。その結果、彼は反逆罪で訴えられ、中傷とあざけりを受け、殺されそうになります。しかし、約束は確実でしたー「わたしがあなたと共にいて、あなたを救うからである」(エレI:I9)。

二つの幻(エレ1:11~16)

質問4

幻の中にどんな木が出てきますか。この象徴は何を教えていましたか。エレ1:11、12

若い預言者の前に二つの光景が映し出されました。神はこれらの幻によってユダに起こる出来事とその理由を示そうとしておられました。

ヘブル語で「あめんどう」を意味する言葉は「目をさます」「用心する」を意味します。なぜなら、あめんどうの木は春になると最初に花を咲かす木だからです。あめんどうはユダに対する神のさばきを象徴していました。「あなたは何を見るか」。「目ざめ(見張)の枝を見ます」。「あなたの見たとおりだ。わたしは自分の言葉を行おうとして目ざめて(見張って)いるのだ」。神はユダの状態に無知あるいは無関いではありませんでした。預言者エレミヤを通して与えられた神の言葉は必ず成就するのでした。

質問5

二番目の幻の中で、さし迫ったユダの減びがどれほど如実に描写されていますか。それはどのようにして起こりましたか。エレ1:13~16

その大なべは南に傾き(北から離れて改訂標準訳)、煮えたぎった中身が今にも激しくユダの上にこぼれようとしています。バビロンはエルサレムの東にありましたが、両者の間に砂漠があったので、バビロンの軍隊は北の国境からフェニキアとパレスチナに進軍するしかありませんでした(エゼ26:7、エレ4:6参照)。エレミヤはこの幻の中に、神がご自分の反逆的な民のために計画しておられる厳しい懲罰を見ました。

エレミヤが召しを受けたのはヨシヤ王の第13年(前627/626)でした。それからほぼ40年後の紀元前586年7月19日、に預言されていたさばきが成就しました(エレ39:I~3参照)。バビロンのつかさたちは敗れたユダの首都の門に座りました。ユダはその恩恵期間を無視したために、「主の言葉」が成就しました。預言者エレミヤは「切迫した破滅について彼自身の預言が文字通り成就するのを見、運命の都の破壊に伴った悲哀と不幸とを共に味わわなければならなかった」(『国と指導者』下巻30ページ)。

リバイバルと改革(歴代下34:1~7)

質問6

ヨシヤは20歳の時(王としての12年目)にどんな改革に着手しましたか(歴代下34:1~7)。ユダと同様、イスラエルの町々においても、ヨシヤはどのようにして預言を成就していきましたか。列王上13:1~3、列王下23:15~20

悪王マナセは悔い改め、改革しようとしました(歴代下33:18~20)。しかし、半世紀に及ぶ彼の統治、はなはだしい偶像崇拝の奨励、それに息子アモンの悪政のために、ユダは霊的に破綻していました。マナセの孫ヨシヤはわずか8歳で王位につきますが、初めのうちは何人かの助言者の指導の下で統治しました。

エレミヤはその翌年、ヨシヤに加わりました(エレ1:2)。二人の若者はホルダ、ハバクク、ゼパニヤと共に、ユダの霊的生命を回復するために働きました。神はユダの滅亡を食い止めようと望まれましたが、それは民の選択にかかっていました。

質問7

六年後の、失われた聖書(律法の書)の発見は王の改革にどんな影響を与えましたか(列王下22:8~11、23:1~3)。ヨシヤはどのようにして偶像崇拝を廃止しようとしましたか。列王下23:4~14

聖書(モーセの書き物)が改革の基礎となりました。神は再び民の心を彼らの契約関係に向けさせられました。エレミヤはほかのどの預言者よりも、主に対する再献身の必要性を強調しました。しかし、ヨシヤの死と息子エホヤキムの悪政のために、改革者たちの努力がすべて水泡に帰してしまいます。主は後にエレミヤに対して、ヨシヤの訴えに対する民の応答が不十分であることを明らかにしておられます(エレ3:10)。

「ヨシヤのもとで行われた改革は、国土から偶像の祭壇を除き去ったけれども、多くの人々の心は改変されなかった。芽生えて多くの収穫をもたらす希望を与えた真理の種は、いばらにふさがれてしまった。もう一度このような背信が起これば、致命的になるのであった。そして主は、国民を目覚めさせ、その危険を自覚させようとされた」(『国と指導者』下巻32ページ)。

生ける泉とこわれた水ため(エレ2:l~3:5)

エレミヤの最初の公のメッセージはヨシヤの治世に与えられました(エレ2:1~3:5)。それによって、主はご自分に対するユダの初めの愛を再び燃えあがらせようとされました(エレ2:2)。

質問8

神がユダの民になされた問いかけをあなた自身の言葉で表現して下さい。エレ2:4、5

「ここに、神の民の忠誠と神ご自身の不忠誠という高度の議論を展開される驚くべき神の姿が描かれている—あなたがたを真に愛しているわたしから離れたとすれば、それなりの理由があるはずである。その理由はわたしにあるというのか。……それは絶えざる忠誠を求める傷ついた愛の挑戦であった」(G・キヤンベル・モーガン『エレミヤ書預言研究』34、35ページ)。

質問9

主がユダの背信に驚かれたのはなぜですか(エレ2:9~11)。彼らは偶像崇拝によってどんな二つの悪を行いましたか。エレ2:1~13

クプロの島々はイスラエルの西の国民、地方を表します。アラビア砂漠にあるケダルはイスラエルの東の国民を象徴しています。西から東に至るまで諸国民を捜してみよ、わたしの民以上の背信はどこにも見当たらないであろう、と神は言われます。

「このような大教師イエスと、天来の教育の機会を前にしながら、イエスから離れた教育を求めることは—すなわち、知恵である神を離れて賢くなろうとしたり、真理を拒みながら真実であろうとしたり、光の源であるおかたからはなれて、照明を求めたり、生命である神をはなれて生存しようとしたり、生ける水の泉であるおかたからはなれて、水のたまらないこわれたおけを作ろうとしてみたり—すべてこうしたことは、愚かというよりももっと悪いことである」(『教育』84ページ)。

花嫁にとって結婚衣装は大切なものです。しかし、衣装が花婿よりも大事だとすれば、それは驚くべきことです。ところが、ユダは祝福の与え主である神(契約の夫)を故意に無視していながら、神の祝福(衣装)だけは大事にしていました(エレ2:32参照)。

まとめ

それはユダの危機でした。半世紀に及ぶはなはだしい偶像崇拝、虐待、利己主義、不正義が国民の霊的生命をむしばんでいました。主は彼らの霊性をよみがえらせる指導者を立てることによってこの危機に対処されます。ヨシヤ王とエレミヤはこの目的のために立てられました。エレミヤは40年にわたって忠実にユダに助言しました。

*本記事は、安息日学校ガイド1994年2期『エレミヤ書、哀歌 神の計画と私たちの役割』からの抜粋です。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会口語訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
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『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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