中心思想
クリスチャンの人生はどんな点で旅に似ていますか。人生が「学ぶこと」であると同時に「忘れること」であるのはなぜですか。クリスチャンの信仰はどのようにして成長しますか。
アウトライン
1. 預言者としての準備(エレ1:1、 15)
2. 敏感な預言者(エレ14:7~9)
3. 苦しむ預言者(エレ11:18~23)
4. 質問する預言者(エレ20: 14~18)
5. 記録する預言者(エレ36: 1~3)
旅の終わり
ジョンの霊的旅路は炭坑から始まりました。希望のないままに、17歳の炭坑夫は来る日も来る日も採掘現場で働きました。毎晩、ポーカーとタバコと酒で退屈さを紛らせました。そんなある夜のこと、彼らはビリー・サンデーの天幕集会に出席しました。
サンデーは次のように勧めました。「友よ、旅に出た者は一つの目的しか考えない—目的地に着くことだ。楽しみが過ぎ去り、 悲しみと嘆きがそれに代わるとき、何を目的とするだろうか」。
その晩、 ジヨン・L ・シューラーはイエス・キリストに生涯をささげました。シャベルを聖書に持ち換えたとき、長くてほれのおれる霊的巡礼が始まりました。彼はやがて傑出したアドベンチストの伝道者となりました。
クリスチャンはみな旅の途上にあります。エレミヤも例外ではありませんでした。彼の闘いは私たちの闘いと似ています。各人の経験は人によって異なりますが、同じ神が私たちを導いておられます。
預言者としての準備(エレ1:1、15:10)
質問1
エレミヤはアナトテの家庭でどんな霊的訓練を受けたと考えられますか。エレ1:1
エレミヤが召されたのが20歳頃だとすれば、彼はマナセの治世の終わり頃に生まれたことになります。自分の信仰を危うくする祭司が多かった中で(エレ2:8、 5:30、 31) 、エレミヤの両親は明らかに信仰を守り通しました。彼が何度も神の教え(トーラー、「律法」)に言及していることからも、家庭で聖書を教え込まれていたことがわかります。後年のイエスのように、エレミヤは神殿から4キロほどの所に住んでいたので、神殿にやってきた不注意な群衆とは対照的に、彼は儀式の深い意味について考えたに違いありません(エレ7:8~11)。
「神は若いエレミヤをごらんになって、彼が信頼にこたえ、大きな反対に遭っても正義のために立つ者であることを認められた。彼は幼少時代に忠実であった。そして今、彼は十字架のよき兵士として、困難に耐えなければならないのであった」(『国と指導者』下巻29ページ)。
質問2
若いエレミヤが結婚を禁じられたのはなぜですか。エレ16:1―4
結婚と子供はいつでもイスラエルの社会で重要な意味を持っていました(詩127 : 4、 5)。独身を強いられることは、同情心に富むエレミヤから優しい妻を迎え、自分も哀れみ深い夫になる機会を奪うものでしたが、悔い改めない国民に来るべき包囲攻撃の恐ろしさについて譽告することになりました(エレ19:9、エゼ5: 10)。
エレミヤが監禁中に土地を買ったという事実は、彼に何らかの収入源があったことを示しています(エレ32:6~15)。十分の一制度はヨシヤの死後、機能していませんでした。しかしながら、祭司とレビ人は定められた町の周辺に土地を所有していました(ヨシ2 1 : l ~ 3 ) 。困った時にはこれが彼らの支えになりました(ネヘ13:10参照)。エレミヤはたぶん相続した家族の土地からいくらかの収入を得ていたと思われます。
敏感な預言者(エレ14:7―9)
質問3
エレミヤはどんな意味深い言葉をもって自分自身を背信の民と同一視していますか。エレ14:7―9
カウンセラーは相手に同情はしても、感情的に超然としているように訓練されます。これは感じやすい人にとっては非常にむずかしいことです。ユダの恩恵期間は終わっていましたが(エレ7: 16、14:11、 12) 、エレミヤは自分の民のために熱心に執り成しました。モーセやダニエルのように、彼は「われわれの罪」「われわれの背信」「あなたに向かって罪を犯しました」と言うことによって、自分自身を民と同一視しています。
質問4
バビロンによるユダの滅亡について考えたとき、 エレミヤはどんな思いになりましたか。エレ4:19―22
へブル人は腸(はらわた、19節)を感情の中心と考えました。「はらわたが煮え返る」といったところでしょうか。エレミヤの生命はユダの生命と一体でした。ユダの失敗はエレミヤの失敗でした。エレミヤはユダの直面していた苦悩を自分の体で感じ取っていました。
質問5
エレミヤが「涙の預言者」と呼ばれることがあるのはなぜですか(エレ9:1、13:17、哀2:11)。それから650年後、キリストは頑迷なユダヤ人に対して何と言われましたか。ルカ19:41~44
「ユダヤ国民は、限りない愛の神の訴えをあざける各時代の人々を象徴していた。キリストがエルサレムについて泣かれた時の涙は、すべての時代の罪のためであった。神の聖霊の譴責と警告をこばむ者は、イスラエルに宣告された刑罰のうちに、自分自身の罪の宣告を読むことができる。……キリストの愛をあざける者よ、主はきょうあなたに語られる。……キリストはあなたのために涙を流しておられるのに、あなたは自分自身のために流す涙がない。……神の恵みの一つ一つの証拠 天来の光の一すじ一すじは、魂をとかして従わせるか、絶望的な頑迷さを一層固くするかのどちらかである」(『各時代の希望』下巻25、27ページ)。
苦しむ預言者(エレ11:18―23)
イエスがエルサレムのために嘆かれたとき、エレミヤの経験のことを思い出しておられたかもしれません(マタ23:37)。
ヨシヤのもとでの幸福な年月もやがて、絶えざるあざけりと生命の危険に取って代わられようとしていました。エホヤキムとゼデキヤの治世になると、投獄と虐待に会います。
質問6
だれが疑いを知らぬエレミヤの生命を奪おうと企てましたか。それに対してエレミヤはどうしましたか。エレ11:18~23、12:6
エレミヤが同国人から受けた虐待は、イエスがそれから数世紀後に受けられた虐待と非常によく似ています。イエスと同様、エレミヤはほふり場にひかれていく小羊にたとえられています(イザ53:7、8、黙示5:6参照)。のちのイエスと同じく、エレミヤは
「預言者は、自分の郷里では歓迎されないものである」ことを悟I)ました(ルカ4:24)。
質問7
宮のつかさの一人がエレミヤの警告の言葉を聞いてどうしましたか。エレ20:1―6
むち打ちは40回を越えてはならないことになっていました(申命25:2、3)。足かせにつながれると体は曲がり、筋肉が締めつけられて苦痛をもたらしました。祭司は愚かにも、むちによって預言者を沈黙させることができると考えました。エレミヤは聖霊に促されて、この頑迷なつかさに特別なさばきを宣告しました。
質問8
祭司、にせ預言者たちは神殿と町に逆らう預言のゆえにエレミヤを死刑に処すべきであると主張しますが、エレミヤはこれにどう応答しましたか。つかさたちがエレミヤを助けたのはなぜですか。エレ26:8―19,24
神はしばらく前に、預言者ウリヤが殉教の死を遂げるのを許しておられます(エレ26:20~23)。「天が人に与えることのできるすべての賜物の中で、キリストと共にその苦難にあずかることは、最も重い信任であり、最高の栄誉である」(『各時代の希望』-k巻282ページ)。エレミヤの最後の投獄はエルサレムの最後の包囲攻撃の時に起こりました。つかさたちが彼をどのように扱ったか、まただれが彼を救い出したかに注目してください(エレ38: l~13、 39 : 15~18参照)。
質問する預言者(エレ20:14―18)
エレミヤは疑いと失望に陥り、何とかしてその苦しい経験を自分の召命と調和させようと努めました。叱責と約束についての神のメッセージに対する激しい反対と虐待のゆえに意気消沈し、自分自身の存在意義さえ疑いました。
質問9
エレミヤはどんな言葉によって自分の苦悩を表現していますか。エレ20:14~18(15:10比較)
「落胆はどんなに英雄的な信仰をも動揺させ、どんなに堅固な意志をもぐらつかせるのである。しかし神は理解し、なおあわれみ、愛されるのである。神は心の動機と目的とをお読みになる。万事が暗澹(あんたん)としているときに、忍耐強く待ち信頼することは、神の働きの指導者たちが学ばなければならない教訓である。神は逆境の中にある彼らをお見捨てにならない。自分の無価値なことを知って全く神に寄り頼む魂ほど、一見無力に見えるが、真にこれほどに打ち勝つことができないものはほかにないのである」(『国と指導者』上巻143ページ)。
質問10
自分の預言したさばきがすぐに起こらなかったので、エレミヤは神に何とたずねましたか(エレ12:1~4)。神の不思議な応答にはどんな意味がありましたか(5節)。
質問11
神は自分を欺いておられるのではないかと、 エレミヤが思ったのはなぜですか( エレ15:15―18、20:7―9比較) 。神はどのようにしてエレミヤの迷いを解かれましたか。エレ15:19―21
「あなたはわたしにとって、水がなくて人を欺く谷川のようになられるのですか」(エレ15 : 18)。エレミヤが言っているのは、冬には水が豊かだが、夏になるとかれてしまうパレスチナ地方のワジかれだに(個谷)のことです。彼は神を信頼してもよいのかどうか尋ねています。神は議論を避け、もし信頼するならエレミヤを助けるであろうと約束されます。
最後に、預言者エレミヤは完全に神のみこころに服従します。「主よ、わたしをいやしてください、そうすれば、わたしはいえます。わたしをお救いください、そうすれば、わたしは救われます。あなたはわたしのほめたたえる者だからです」(エレ17 : 14)。
記録する預言者( エレ3 6 : 1 ~ 3 )
質問12
神がエレミヤに自分の語った言葉を巻物に薑き記すように命じられたのはなぜですか。エレ36:1―3
ある預言者、たとえばエリヤやエリシャといった人たちは何も言葉を書き残していません。しかし、神はエレミヤの言葉を書き残すことによってその影響力を広めようとされました。エレミヤが預言者の務めに召されてからすでに22年が経過しており、多くの人々は彼の語った言葉を忘れていたことでしょう。要約した記録があれば大きな効果をもたらすはずです。
「このようにして、彼らは改めて自らの不義を悟り、悔い改める機会を得た。このことから、神がご自分の民を苦しめることを喜ばれるのでなく、むしろわがままな子をあわれむ父親以上の愛をもって、さまようご自分の民を信仰に立ち返らせようとしておられることがわかる」(『教会へのあかし』第4巻177ページ)。
質問13
エレミヤはどのようにしてその巻物を作成しましたか。エレ36:4,27,18
エレミヤも、後のパウロも有能な著者でしたが、二人とも書記を使っています。バルクはエレミヤが預言者として働いた全期間、彼を助けました。彼は民と、後にはつかさたちの前で巻物を読み、それが自分の言葉でなくエレミヤの言葉であると語りました(エレ36:5~19)。
質問14
王は神の書き記された言葉に対してどんな態度をとりましたか(エレ36:20~26)。神はご自分の恵みに対するこのあからさまな挑戦にどのように応答されましたか( 2 7 ~ 3 2 節) 。このことの後、エレミヤはバルクに何と言いましたか。エレ45:1~5
王は書かれた神のみ言葉を切り取って燃やしましたが、このような大胆不敵な行為はほかには記されていません。それは神に対する人間の反逆のひどさを示しています。人間は神のみ言葉を拒み、あるいは焼き捨てることができるかもしれませんが、そのメッセージを沈黙させたり、その預言の成就を妨害することはできません(イザ40:6~8参照)。それから6年もたたないうちに王は死に、その遺体は動物の死骸のように門の外に捨てられました(エレ22 : 18、 19、 36 : 30)。
まとめ
エレミヤ書の自伝的な部分を見ると、エレミヤが自分の仕える神を理解するのに苦しんでいたことがわかります。彼の人生航路は苦難と疑いの連続でしたが、神の恵みによって信仰に成長しました。人生のさまざまな経験を通して主に信頼することを学ぶときに、私たちも霊的に成熟した者となることができます。
*本記事は、安息日学校ガイド1994年2期『エレミヤ書、哀歌 神の計画と私たちの役割』からの抜粋です。