【ヨエル書】さばきによる救い【3章解説】

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中心思想

クリスチャンはしばしば考えます。「この世は最悪の状態にある。主が早くおいでになって、この苦しみを終わらせてほしい」と。喜ばしいことに、ヨエル書3章は主の日が近いことを教えています。私たちの待ち望んでいる救いはまもなく来ます。

アウトライン

  • 大いなる可能性(ヨエ3:1、2)
  • 主は私たちを守られる(ヨエ3:2、3)
  • 希望の言葉(ヨエ3:1~16)
  • 「そこであなたがたは知るであろう」(ヨエ3:16、17)
  • 優しい愛の言葉(ヨエ3:17~21)

ヨエル書の結論

ヨエル書の最後の章は、神の愛を拒み、神の民を苦しめた諸国民に対する神のさばきの描写をもって始まっています。ヨエルは、弱い者が「わたしは勇士である」と言うときが来ると預言しています(ヨエ3:10)。現代の政治情勢を見ると、この預言がはっきりと成就していることがわかります。しかしながら、その本格的な成就はまだ先のことです。そのときになれば、どんなに弱い国々もサタンと共謀して、キリストと彼の民に逆らいます。この大いなる集結はさばきをもたらします。それは主が地上の収穫物を刈り取られるときです。

ヨエル書は救われた後の神の民の祝福された状態を描写することによって終わっています。イスラエルのために達成しようと望みながらも、彼らが悔い改めて従わなかったためにおできにならなかったことを、神はやがて来たるべき時代においてすべての神の民のために成し遂げられるのです。

大いなる可能性(ヨエ3:1、2)

質問1

ヨエル書3:1、2に描かれたさばきは、どれだけの国民に対するさばきですか。

ヨエル書3章には二通りの解釈がある

第1に、それは、もしイスラエルの民が主との関係を維持し、メシヤを受け入れ、神から与

えられた伝道計画を逐行していたなら可能であったことがらについての預言と考えることができます。イスラエルは神によって繁栄し、守られることで、地上における最も偉大な国民となることができたはずです。イスラエルに敵対する不信仰な国民はすべて、最終的に滅ぼされ、エルサレムは地球の中心となり、神の聖なる民は変わることのない平和のうちに住むことができたはずです。

しかし、イスラエルが失敗したために、イスラエルの成功についての条件つきの預言はキリスト教会に成就することになります。

神の計画が妨害される

「イスラエルは人数がふえるにしたがってその境界をひろげ、彼らの国は全世界を包含するはずであった。神は万国の民をご自分のあわれみある統治下に引き寄せたいと望まれた。神は地球を喜びと平和でみたしたいとお望みになった。神が人をお造りになったのは、人を幸福にするためであった。そして、人の心を天の平和でみたしたいと願っておられる。……しかし、イスラエルは神のみ旨を成就しなかった」(『キリストの実物教訓」268、269ページ)。

このようなわけで、私たちはヨエル書3章を新約聖書にしたがって解釈しなければなりません。「神のイスラエル」は今やキリスト教会をさすことになり(ガラ6:15、16)、したがってこれらの預言は原則的に全世界の神の民において成就することになりました。ツロ、シドン、ペリシテ(ヨエ3:4)は終末時代において神の民に敵対するあらゆる国民を象徴します。エジプトとエドムの滅亡(19節)は、イエスの再臨における、また最終的に千年期の終わりにおける地上の諸国民の滅びを象徴しています。諸国民に対するさばき(12節)は、イエスの再臨において、また千年期の終わりにおいて下される報復を表しています。一方、ユダとエルサレムは、新しい地の住民となる各時代の忠実な神の民(20節)を表しています。

主は私たちを守られる(ヨエ3:2、3)

質問2

諸国民に対してさばきが宣告されたのはどんな理由からでしたか。ヨエ3:2、3

「「ヨシャパテ」という言葉は『主はさばかれる』という意味で、実際の地名というよりも明らかに象徴的な言葉であった。2節および3節の言葉(わが民、わが嗣業、わたしの地、わが民)は、主がご自分の民を確かに守られることを示している。主は諸国民に対して四つの非難を与えておられる。(1)彼らはイスラエルを散らした。(2)彼らはイスラエルの地を分割した。(3)彼らはイスラエルを奴隷とした。(4)彼らは子供たちを奴隷として売った」(ジェームズ.リンバーグ「ホセア書~ミカ書注解」74ページ)。

フェニキヤ人とペリシテ人は奴隷を売買していました(エゼ27:17)。彼らは神の民を略奪し、迫害し、奴隷にしました。しかし、主は彼らを罰すると約束されました。「わたしは時をうつさず、すみやかに、おまえたちのおこないの報復をおまえたちの頭上にこさせる」(ヨエ3:4)。

終わりの時代が近づくと、不信仰な国民が神の民を迫害するようになります。彼らはサタンと悪霊にそそのかされて、忠実な神の残りの民を不法な者とし、排斥します。神の民に対するこうした攻撃は、その精神において、フェニキヤ人とペリシテ人による攻撃と同じものです(黙示12:17、13:11~17参照)。

質問3

地上の諸国民はだれに対して軍隊を召集しますか。彼らが戦うために集まるとき、どんなことが起こりますか。ヨエ3:9~12(黙示17:14、19:11~16、20:7、8比較)

ヨエルの預言はヨハネの預言とよく似ています。イスラエルを攻撃するために集まった軍勢は終末時代の信者を攻撃する地上の諸国民を表しています。イエスの再臨において、これらの軍勢はキリストと天の軍勢によって攻撃されます。また、千年期の終わりにおいて、サタンに導かれた悪人の群れは最後の戦いのために集まります。この戦いに先だって、大きな白い御座におけるさばきがなされます(黙示20:11~15参照、マタ25:31~46比較)。そのあとで、悪人たちは滅ぼされます。

質問4

ヨエル書3:4~8において、神はご自身をご自分の民と同一視しておられます。このことから、今日の私たちに対する神の関心と計画についてどんなことがわかりますか(黙示12:17、13:7、8、15~17比較)。

希望の言葉(ヨエ3:1~16)

質問5

ヨエル書3:13と黙示録14:17~20とのあいだに、どんな共通点を認めることができますか。

ヨハネによれば、魂の収穫には二つの側面があります。

1.黙示録14:14~16は義人の収穫を象徴的に描いています。前の雨と後の雨によってその働きが終わり、神の民はキリストの品性を受けています。天の御使いたちは黄金色に実った穀物を刈り取ります。

2.黙示録14:17~20は第2の収穫を描いています。それは悪人の収穫であって、ぶどう園のぶどうの収穫にたとえられています。彼らは「神の激しい怒りの大きな酒ぶれ」に投げ込まれます(黙示14:19)。このように、ヨハネは悪人の滅びについてのヨエルの象徴的描写を発展させています(ヨエ3:13)。

質問6

ヨエル書3:1~14は一見、きわめて否定的に見えます。しかし、義人に対して、それらはどんな希望を与えてくれますか。

さばきの谷にいる群衆(ヨエ3:14)は神のさばきを待っています。それは永遠のさばき主による死の宣告です。

「そこであなたがたは知るであろう」(ヨエ3:16、17)

今こそ目をさまして、用意をしていなければなりません。聖書の預言によれば、終わりは近いのです。当然ながら、サタンはさまざまな偽りの預言の解釈を広めることによって、問題を混乱させようとします。それによって彼は、人々にキリストの再臨がまだ先のことであると信じさせようとします。

質問7

多くの人々が自然界の大変動によって滅びるときに、神はご自分の民をどのように守ってくださいますか。ヨエ3:16後半

「しかし主はその民の避け所、イスラエルの人々のとりでである」(ヨエ3:16)。再臨において、希望と期待を持ちつづける忠実な者たちは、自然界の変動と敵の攻撃から守られます。千年期の終わりにおいても、各時代の忠実な者たちは聖なる都の中で安全に守られます。主に信頼する者たちにとって、審判は恐怖ではありません。

質問8 

詩篇91篇は地上歴史の最後の諸事件における神の守りについてどのように述べていますか。

悪人が滅ぼされるときにもご自分の民に希望と力を与えると約束されたあとで、神は預言者にこう言っておられます。「そこであなたがたは知るであろう、わたしはあなたがたの神、主であって、わが聖なる山シオンに住むことを」(ヨエ3:17)。キリストのよみがえりと昇天後、天においてなされているすべてのことは、神がご自分の民を救い、御国を確立されるという大争闘の大いなるクライマックスに私たちの心を向けさせています。

優しい愛の言葉(ヨエ3:17―21)

質問9

ヨエル書3:17に描写されていることはいつ実現しますか。黙示21:2~8、27

ヨエル書3:18、19は、もし神の目的がイスラエルの民を通して成就していたなら実現していたであろう状況を表しています。イスラエル人はこれらの預言の条件を満たすことができなかったので、それは新しい地において最終的に成就するのです。

質問10

「泉は主の家から出て」というヨエル書3:18の預言は、いつ成就しますか。黙示22:1

ほとんどの預言書がそうであるように、ヨエル書も救われた後の神の民の幸福な状態を描写する優しい愛に満ちた言葉でもって終わっています。ユダとエルサレム(各時代の忠実な者たち)は「永遠に人の住む所となり」ます(ヨエ3:20)。

質問11

ヨエル書3:19をこの章に示されている終わりの時に適用して解釈するとき、どんなことが明らかになりますか。エレ4:23~28、黙示20:1~3比較

旧約聖書の預言者たちはしばしば、主の日に見られる破壊によって生じる地上の荒廃について述べています。主の日についてのヨハネの象徴的な描写(黙示19:11~21)は、荒廃した地上につながれるサタンの描写をもって終わっています。

神の敵であるエジフ.卜とエドムの荒廃(ヨエ3:19)は、イスラエルがその預言者としての役割を果たしたときにその通り実現することになっていました。しかし、キリストとその民の敵が最終的に滅ぼされ、その土地が荒廃するという原則は変わりません。

黙示録によれば、この荒廃は1000年のあいだ続きます(黙示2013)。悪人が死んでいるあいだ、義人はキリストと共に天においてさばきの働きに従事します。千年期が終わると、悪人はよみがえらされて、死を宣告され、滅ぼされます(黙示207~10)。それから、地球はエデンの状態に回復されます(黙示21:1)。

質問12

ヨエル書3:20、21にある最後の二つの約束はどんなことを示唆していますか。黙示21、22章比較

まとめ

ヨエル書はこの世界全体に、また今日の神の民に、終わりの時が迫っていることをはっきりと警告しています。預言者ヨエルは私たちに対して、主の日がすぐそこまで来ていることを強く説いています。この収穫のときに、私たちは主の勧告を受け入れて、主の目的を達成するように努めなければなりません。

*本記事は、安息日学校ガイド1992年1期『今は備えの時である』からの抜粋です。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会口語訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
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『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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