中心思想
主が罪の問題を解決されたあとで、あがなわれた者たちは永遠の御国を受け継ぎます。今回は、あがなわれたご自分の民のために喜び、その犠牲の結果を見て喜びの歌をうたわれる主について学びます。
アウトライン
- 捕囚後の回復(ゼパ3:8~13)
- 喜びなさい(ゼパ3:14~16)
- 繰り返して言うが、喜びなさい(ゼパ3:17)
- 待ちに待った家郷(ゼパ3:18、19)
- あなたもそこにいるだろうか(ゼパ3:20)
最終的な回復
このゼパニヤ書の最後のところで、私たちはご自分の民に対する神のゆるしの態度を見ることができます。神はここで、イスラエルに対する刑罰のゆえに失われていたものを回復すると約束しておられます。たとえ神がこれらの条件つきの約束をすべてイスラエルの上に成就することがおできにならなかったとしても、最終的には、イエスの再臨において、それらを各時代のあがなわれた者たちの上に成就してくださいます。この描写の普遍性から見て、それがより広い適用を持つこと、つまりキリスト再臨における神の民の最終的な回復を意味していることは明らかです。
「ヨシヤの治世に主の言葉がゼパニヤに臨み、背信が続くならばどのような結果を招くかを明示し、真の教会の注目を輝かしい将来の展望に向けさせた。ユダに切迫した刑罰についての彼の預言は、キリストの再臨の時に悔い改めない世界に下る刑罰について、同様に適用することができる」(『国と指導者』下巻9ページ)。
捕囚後の回復(ゼパ3:8―13)
多くの人は、最後のさばきの結果が自らの罪をゆるされている者にとっては喜ばしい、心おどる経験であることを忘れています。
質問1
ゼパニヤ書3:8は、悪の存続と繁栄にとまどっている人たちに何を教えていますか。
この世の状態は手に負えないように見えるかもしれませんが、神は私たちに忍耐づよく神の行動される時を待つように訴えておられます。また、全世界に福音を宣べ伝えるように命じておられます(黙示14:6~12参照)。
質問2
この地球を完全に新しくする前に、神はどんな罪を取り除かれますか。ゼパ3:9~11
汚れた言葉、高ぶり、その他、悪の結果はすべてなくなります。神の民は満ち足りた羊のように、良い羊飼いイエスの守りと導きのもとで永遠に生きます。
質問3
イスラエルの「残りの者」はどんなすぐれた特徴を備えていますか。ゼパ3:12、13
「わたしは柔和にしてへりくだる民を、あなたのうちに残す。彼らは主の名を避け所とする。イスラエルの残りの者は不義を行わず、偽りを言わず、その口には欺きの舌を見ない」(ゼパ3:12、13)。キリスト再臨前の神の民は、内住されるキリストの力によって罪に勝利します。黙示録もゼパニヤの言葉を繰り返しています。最後の残りの時に印を押され(黙示7:1~3)、キリストと共に「シオンの山」に立つ者たちは、「その額に小羊の名とその父の名とが書かれてい」ます(黙示14:1)。彼らは聖霊によるキリストの内住によってキリストの品性を受けています。彼らは三天使の使命を受け入れ、キリストの恵みによって神の戒めを守っています(黙示14:12参照)。
喜びなさい(ゼパ3:14―16)
質問4
あがなわれた者たちはどのように応答すべきですか。ゼパ3:14
神の民はついには一つとなります。そして、神は彼らと共にお住みになります(黙示21:3参照)、彼らはその愛と賛美の気持ちをおさえることができません。「彼らは、御座の前、四つの生き物と長老たちとの前で、新しい歌を歌った。この歌は、地からあがなわれた14万4千人のほかは、だれも学ぶことができなかった」(黙示14:3)。
質問5
歌うことが私たちの信仰生活においてなぜ重要なのでしょうか。詩105:2、3
「歌をもって神をほめ、感謝をささげなさい。試練にあうとき自分の気分を口に出さないで、信仰によって神に感謝の歌をささげるべきである。……歌は失望するときにいつでも用いることのできる武器である。救い主より出る光に心をうち開くとき、健康と祝福を受ける」(『ミニストリー.オブ・ヒーリング』231、232ページ)。
質問6
どんな歌でも肉体的、知的、霊的祝福をもたらすと言えますか。歌いたくないときにはどうしたらよいでしょうか。会衆の賛美はどんな祝福をもたらしますか。
質問7
あがなわれた者たちが歌う賛美にはどんな意味がありますか。ゼパ3:15、黙示5:12、13
自分の地に回復された者たちの手は「弱々しくたれる」ことがありません(ゼパ3:16)。弱々しくたれた手は失望を示しています。しかし、主は賛美のうちに彼らの手を上げてくださいます。「キリストの十字架は、永遠にわたって、蹟われた者たちの.…・歌となる。栄光につつまれたキリストのうちに、彼らは、十字架につけられたキリストを見る。……救われた諸国民が、贈い主を見て、そのみ顔に天父の永遠の栄光が輝いているのをながめるとき、……彼らはどっと歓喜の歌声をあげて、「ほふられた小羊、ご自身の尊い血によって、わたしたちを神に贖って下さったおかたは、賛美を受けるにふさわしい、賛美を受けるにふさわしい」と叫ぶのである」(「各時代の大争闘』下巻433、434ページ)。
繰り返して言うが、喜びなさい(ゼパ3:17)
質問8
神はあがなわれた者たちの賛美に対してどのように応答されますか。ゼパ3:17
「私たちは失われたものを発見したときの羊飼いイエスの大いなる喜びを心にとめる必要がある。彼は隣り人にこう言われる。『わたしと一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから』。全天はこの喜びの声を繰り返すのである。父なる神ご自身、歌をもって救われた者に対する喜びを表わされる。……あなたもこの喜びにあずかることができる」(「教会へのあかし」第6巻125ページ)。
質問9
ほかにイエスのどのたとえが失われた者の救いに対する神の喜びを表していますか。ルカ15:11~32
「全天が私たちの救いに関心を寄せている。千々万々の神の御使いたちが救いを受け継ぐ者たちに仕えるように命じられている。彼らは私たちを悪から守り、私たちを滅ぼそうとする悪の勢力を押しとどめている。私たちはどんなときにも、たとえ前途に困難があるときにも感謝すべきである」(「教会へのあかし』第6巻63ページ)。神は「救いの勇士」(ゼパ3:17、新改訳)ある若い女性が教会で受けた批判がもとで教会に来なくなりました。彼女はキリストから離れ、未信者と結婚し、やがてかわいい女の子が与えられました。それからしばらくたったある夏のこと、彼女は両親と共にキャンプ・ミーティングに参加しました。ある晩のこと、牧師が次のように言いました。「イエスと出会うためにこのキャンプ・ミーティングに来られた方はいませんか」。聖霊はその若い女性の心に語りかけておられました。何日かたったある晩、牧師の決心の勧めにしたがって、彼女は前に進み出ました。そして、悔いた心をもって自分の過去を告白し、再バプテスマを願い出ました。会場にバプテスマ槽が用意され、二日後、彼女はバプテスマを受けました。それから、彼女は夫と共に幼い子供をイエスにささげました。夫も主に対して心を開くようになっていました。
キリストは無限の愛をもって私たちにすべてをささげるように忍耐づよく導いておられます。
待ちに待った家郷(ゼパ3:18、19)
18節は次のような意味を持つと思われます。「捕囚となっているあいだ、神に忠実な者たちは聖なる祭りに参加する特権を失っていた(ホセ2:11注解参照)。信仰によって預言者は、神の真の子らが少しも「恥」を受けることなく神を礼拝するために集まるときを待ち望んでいる」(「SDA聖書注解』第4巻1069ページ)。
イスラエルの離散は大きな恥でした。しかし、神はだれからも二度と恥を受けることがないように彼らをご自分のもとに集められるのでした。この預言は最終的な意味において、神が各時代のご自分の民を天の家郷に集められるときに成就します。
質問10
神はしえたげられている人々に対してどんな尊い約束をしておられますか。ゼパ3:19
輝かしい聖徒の家郷
「聖徒たちの輝かしい家郷が私の前にはっきりと示された。……私は、すべてが平和で、地上の激しい争いの決してないところにいるようであった。それは天国、つまりすべて聖にして清く、祝福された者たちの集まる義の王国であった。千々万々の者たちが幸福で清い交わりの中に生き、御座におられる神と小羊とをほめたたえていた。彼らの声は完全に調和していた。彼らは決して互いに傷つけ合うことはない。天の君たち、この強い王国の主権者たちはただ善において、つまり互いの幸福と喜びを求めることにおいてのみ競争者である。そこでは、自分を最も低くする者が最も大いなる者であり、そして彼らは感謝と愛をもっとも大きくあらわすのである。
知性をくもらす暗い誤りの教えは何ひとつない。明白で、強力で、完全な真理と知識はあらゆる疑惑を追い払い、憂うつな疑いはその幸福な住民の上に災いの影を落とすこともない。争いの声が美しく完全な天の平和を乱すこともない。その住民は悲しみ、嘆き、涙を知らない。すべてが完全な調和、完全な秩序、完全な幸福のうちにある。
天国、うるわしい天国、聖徒たちの永遠の家郷、苦労している者たちの住まい、重荷を負って苦労している者たちの安息と平和と喜びの国よ!彼らは涙をもって種をまき、喜びと勝利をもって刈り取る。天国は、同情がすべての心に生き、すべての表情に表わされている家郷である。そこでは愛が支配している。不快なこと、不和、争い、論争は全くない」(「手紙』30号、1882年、G・I・バトラーヘ)。
あなたもそこにいるだろうか(ゼパ3:20)
質問11
ゼパニヤ書はどんな勝利の言葉をもって終わっていますか。ゼパ3:20
この預言は私たちが永遠の王国に集められるときまで成就しません。しかし、それまでのあいだ、主は私たちがこの世にあって良い影響力となるように望んでおられます。
「神の目的は、ご自分の民がきよめられた、聖なる民となって、まわりの人々に光を伝える者となることである。……キリストの恵みはそれを実現させるに十分なものである。しかし、神の民は、福音の原則を信じ、それを実行するときにのみ、神が彼らを全地にほめられる者としてくださることを覚えなければならない。神から与えられた能力を用いて神のために働くときにのみ、彼らは教会の基礎である約束の力を十分に受けることができる」(「教会へのあかし』第8巻14ページ)。
質問12
キリストは私たちをどんなに熱心に招いておられますか。マタ11:28~30、黙示22:17
預言者たちは繰り返し神の民に、「わたしに仇il、れ。そうすればわたしもあなたがたに帰ろう」と呼びかけています(ゼカ1:3、マラ3:7参照)。イエスの再臨を迎えようとしているこの終わりの時代にあって、この招きは特に重みを持ちます。
クラレンス.マカートニー博士は、「冬になる前に来てほしい」という題の説教でよく知られた人です。彼が初めてこの説教をしたのは1915年のことでした。それ以来、1945年まで、毎年10月になると、彼はピッツバーグにあるファースト長老教会において同じ説教をしてきました。
人々の心を打つその説教の結びで、彼は次のように勧めています。
「もういちど、私は使徒パウロの言葉を繰り返して言いたい。『冬になる前に来てほしい』。常識も、経験も、良心も、聖書も、聖霊も、……そして主イエス・キリストも、すべてが私と共に繰り返し言う。『冬になる前に来てほしい』と。畑から小春日和のかすみが消えない前に来てほしい。11月の風が木々の葉を落とし、畑に吹きとばす前に来てほしい。雪が高地に積もり、牧場の小川が凍る前に来てほしい。心がさめる前に来てほしい。望みが消える前に来てほしい。
人生が終わり、あなたの恩恵期間が閉じられ、神の前に立って恵みのうちに与えられた機会をいかに活用したかを弁明する前に来てほしい。冬になる前に来てほしい」(黙示22:17参照)。
まとめ
ゼパニヤは慰めに満ちた神の約束をもってそのメッセージを結んでいます。悪人は滅ぼされ、忠実な神の残りの民は栄光の王国に導き入れられます。神はご自分の民と共に住み、彼らに永遠の平和と喜びを与えられます。
*本記事は、安息日学校ガイド1992年1期『今は備えの時である』からの抜粋です。