20世紀―この異常な100年間
プリンストン大学のトーマス・ギレスピー教授が、以前こんなお話をしておられました。1人の小学生のお話です。
ある日の夕方、少年は作文の宿題をするために机に向かっていました。しかし、良い書き出しが思い浮かびません。そこで、夕食の準備に忙しい母親のいる台所へ行きました。彼は出し抜けに母親にこうたずねたのです。
「ママ、ぼくはどんなふうに生まれたの?」
母親は、人間の誕生について息子からいつかはたずねられるだろう、と思っていました。しかし、小鳥や昆虫の例を用いて説明するには、いまは忙しすぎます。そこで彼女は息子の質問をかわそうと思い、
「あのね、コウノトリがあなたを運んできてくれたの」と答えました。
「そう」とうなずいた少年は、次に居間で編み物をしている祖母の所へ行き、また出し抜けに質問したのです。
「ねぇ、おばあちゃん。ぼくのママはどんなふうにして生まれたの?」おばあさんは昔気質の人で、この種の質問は無視するに限る、と最初からきめ込んでいました。そこですぐに、
「あのね、コウノトリがママを運んできたんだよ」と答えました。
「じゃあ、おばあちゃんはどうやって生まれたの?」と、彼は問い続けました。
「私もコウノトリにつれて来られたのさ」おばあさんは即答しました。
「ふーん、そうなの。ありがとう」少年はそう言うと机に戻り、次のような文章で作文を書き始めたのです。
「ぼくの家には、三代にわたって正常な誕生がありませんでした。……」
みなさんは気づいておられるでしょうか。実際、この話のように、地球には過去三世代にわたって異常事態が続いているのです。20世紀も終わり、21世紀が始まったこのとき、人類の文明に何かが起こっています。地球上のだれにたずねても、私たちがいま人類史の重大な時期に生きていることに反論を唱える人はいないでしょう。過去に前例のない爆発的変化、悲劇的できごとの連続。生態系において、あるいは政治や道徳において、現代は大きな挑戦に直面させられています。地上の特定の地域や特定の社会では、表面的にはかつてよりも状況が良くなっているように見えるかもしれません。しかし地球全体において、私たちはタイタニック号のときと大差ない状況のもとにおかれているのではないでしょうか。
星空の下、航海を続けていたあの巨大な豪華客船を思い出してください。最上階のデッキの下ではバンドの演奏する音楽が流れ、パーティーが開かれていました。しかしその間、破滅の運命がすぐそこに待ち受けていると、だれひとり気づいていなかったのです。
運命の亀裂が広がっている
1912年4月14日、深夜11時頃のことでした。雲ひとつない星空のもと、処女航海船の巨大な鉄の舳先は、氷のように冷たい水をかき分けて進んでいました。1等船室のラウンジは、陽気な音楽や楽しそうな笑い声にあふれていたことでしょう。大富豪、大資産家と称せられる人々が、不沈船と呼ばれた船上で航海を楽しんでいたのです。
船は夜の海を時速約22ノットで進んでいました。生存者の証言によれば、氷山との接触は270メートルの船体がかすかにゆれる程度の衝撃だったといいます。突然の、しかも短時間の衝撃であったため、だれもその後、気にもしなかったのです。ただ、ブリッジにいた乗組員は別でした。一瞬のできごととはいうものの、彼らは、暗闇の行く手に浮かんでいた氷山に船体が接触したことを知っていました。タイタニック号の海面下の側面が、氷山の海面下の部分に擦れたのです。その結果、ちょうど巨大な缶切りで切られたように、巾6ミリ以上、長さ90メートル以上の亀裂が生じたのでした。
こうして、船は2時間で沈没します。生き残ったわずかな乗組員の1人、2等航海士ライトラーは次のように目撃証言を残しています。
「[暗闇の中、海面に浮いていた]私が周囲の状況に気づいたとき、私たちは船から4、50メートルは完全に離れていました。……タイタニック号の船上の光はまだ灯っており、星空のもとで黒く巨大な船体はすばらしい光景を生み出していました。水面下に沈んでいないデッキ部分の明り取りの多くの小窓からは、依然として光がきらめいていました。
このときすでに、船首部分は2番目の煙突の所まで完全に水没していたのですが、私たちがこの恐ろしいばかりにおごそかな光景を見ていたとき、突然、すべての光が消え、巨大な塊が明るい星空のもとに、くっきりと影のように浮き出て見えました。ところが次の瞬間、巨大なボイラーが床から離れたかと思うと……低く重々しい轟音とともに落下したのです。この未曾有の悲劇は、私たちの眼前でくり広げられ、いまや急速にその終局を迎えようとしていました。巨大な船体は徐々に、しかし確実に、その最期へ向かってまっすぐに立ち上がり、舵とスクリューがその姿を水上にあらわしました。そしてついに、船体は完全に垂直な姿勢を取ったのです。この驚くべき姿勢のまま、30秒ほどが経過しました。それから、感動的な威厳を保ちつつすごい速さで、船は静かに、冷たく灰色の大西洋の底知れぬ深みへと、終焉の休みの場を求め、悲劇的な最後の潜行をしたのでした」
乗船者2235人のうち、1522人が暗い海で亡くなりました。男性の大部分、3等乗客の大部分、乗組員の大部分、それにバンドメンバーの全員が死亡したのです。
この悲劇的な物語を思い起こすため、世界中で多くの人が何時間も映画館の前に並びました。なぜでしょうか?ケイト・ウィンスレットとレオナルド・ディカプリオの感動的な愛と死の物語以上のものを、人々が「タイタニック」に見たからでしょうか?あるいは、今世紀の初めに起こったこの悲劇が、21世紀の夜明け前に生きる地球人にとって、警告を与えるたとえ話、前兆、予言である、と心の奥底で無意識のうちに感じたからでしょうか?
偉大なユダヤ人著作家アブラハム・ヘッシェルは、「運命の亀裂が広がっているのに、人々は落ち着き払い、競って楽しみを求め、破滅に向かっていく」と書いています。
人類滅亡の日は早いのか!?
先日、書店で見かけた新刊書のタイトルが、私の目を引きました。ジャーナリストのユージン・リンデンが書いたこの本は、『未来は明らかに見える』というタイトルです。そして、その副題がもっと興味をそそるもので、「来るべき不安定への9つの道標」とありました。282ページにわたってリンデンは、なぜ地球全体が不安定な瀬戸際に立って動揺しているのかについて、彼の考えを列挙しています。
ユージン・リンデンが語る来るべき不安への9つの道標
1.世界的に連動する経済的崩壊
2.貧困者の田舎から都会への大移動
3.都会・国家・地球レベルでの人口過剰
4.貧富の差の拡大
5.地球温暖化と海面上昇
6.地球上の生態系崩壊の拡大
7.急激な気候変化による水不足と食糧難
8.疫病の蔓延
9.世界宗教における根本主義の過激な右傾化
これらの不吉なできごとを認めることは、科学者でなくてもできるはずです。今日、地球全体が不安定な状態に向かって急速に突き進んでいるのです。
みなさんは、有名な海洋学者ジャック・クストーを覚えておられるでしょうか?世界中の老若男女に愛された彼は、科学の世界でも高い評価を受けた人でした。彼は1997年に亡くなりましたが、20年以上を費やして425ページにわたる自叙伝を書き残しています。彼が亡くなった数日後の新聞に、「クストーの回想録は、人類滅亡の日の早いことを予言」という見出しが踊っていました。その著書にはこう書かれています。
「未来への道を進むと、われわれは壁に激突し、はね飛ばされ、その結果、運命が提供する二者択一の場に立たせられる。人口の爆発的増加による社会的混乱と死滅を選ぶか、それとも核の恐怖により人類がほぼ全滅する道を選ぶかのどちらかである」と。
この科学者の予言が成就するまでに、あとどのくらいの時間が残されているかについて、「われわれは恐らく、100年、20年、ひょっとしたら25年以上は生き残れないかもしれない……」と彼自身記しています。私たちの文明に大きな亀裂が生じているのを見て、クストーをはじめ多くの人々が嘆いているのです。
無視された警告
大惨事のあったあの夜、タイタニック号を所有するホワイト・スター・ライン社のオーナーのひとりに無線電報が手渡されています。それはあの晩、タイタニック号より前方を航行していた1隻の船から送られた「進路上に氷山あり」という公式の警告文でした。オーナーはその電報をどうしたと思いますか?彼はそれをたたんでタキシードの内ポケットにしまい込み、パーティー会場へ戻って行ったのです。もし彼がこの警告文を信じ、従っていれば、全員が助かったはずなのです。
ここでみなさんに申しあげたいのは、実は、人類に迫り来る終末の災害から私たちを救い得る公式の警告文が存在する、ということです。ジャック・クストーやユージン・リンデンやアブラハム・ヘッシェルといった学者たちも、迫り来る災害について警告していますが、この人類に与えられた公式の警告文は、来るべき崩壊においていかに生き残るかという、命を救う方法をも提供してくれています。
この公式文書を無視したりせず、少なくともあの夜タイタニック号のオーナーがしたように1度は目を通すべきだと思うのです。そのあとで、彼と同じく拒絶することもできますし、あるいはこのメッセージを人類に与えられた最良のニュースとして受け入れることもできるのですから。これはあなたがお決めになることです。
人類に与えられた警告文―聖書
さて、ここで私が公式の警告文と呼んでいるものは、聖書のことです。人類が持つ文献の中で、最も有名で最も多く読まれてきた書物です。が、不思議なことに、そこに書かれている、未来を開く信じられないような秘訣や次世紀を生き残る方法については、いまだに広くは知られていません。
テサロニケの信徒への手紙15章3、4節には、こう書かれています。
「人々が『無事だ。安全だ』と言っているそのやさきに、突然、破滅が襲うのです。ちょうど妊婦に産みの苦しみがやって来るのと同じで、決してそれから逃れられません。しかし、兄弟たち、あなたがたは暗闇の中にいるのではありません。ですから、主の日が、盗人のように突然あなたがたを襲うことはないのです」
では、このような破滅が来るとして、私たちはどうすれば良いのでしょうか?アモスという預言者が書いたアモス書4章12節にはこうあります。「お前は自分の神と出会う備えをせよ」と。短い言葉ですが、タイタニック世代の私たちには、非常に重要な言葉です。地球的大変動と突発的破滅の可能性の中に生きている私たちに、この公式文書は熱心に訴えています。
あなたの神と出会う備えをせよ、と!
神を畏れ、その栄光をたたえなさい
それでは、どのような備えをしたら良いのでしょうか?公式文書はこの点についても沈黙していません。聖書の最後の書巻であるヨハネの黙示録14章6、7節に、こう書かれています。
「わたしはまた、別の天使が空高く飛ぶのを見た。この天使は、地上に住む人々、あらゆる国民、種族、言葉の違う民、民族に告げ知らせるために、永遠の福音を携えて来て、大声で言った。『神を畏れ、その栄光をたたえなさい。神の裁きの時が来たからである。天と地、海と水の源を創造した方を礼拝しなさい』」
この聖句をお読みになって、読者のある方は、「このメッセージのどこがそんなに緊急なんだろう?」と、お思いになるかもしれません。このメッセージの結末に何が起こったかを見てみましょう。同14節から16節には、次のように記されています。
「また、わたしが見ていると、見よ、白い雲が現れて、人の子のような方がその雲の上に座っており、頭には金の冠をかぶり、手には鋭い鎌を持っておられた。すると、別の天使が神殿から出て来て、雲の上に座っておられる方に向かって大声で叫んだ。『鎌を入れて、刈り取ってください。刈り入れの時が来ました。地上の穀物は実っています。』そこで、雲の上に座っておられる方が、地に鎌を投げると、地上では刈り入れが行われた」
黙示録独特の象徴的な表現が用いられていますが、気になさらないでください。これらの不可解な文章が、収穫のたとえを用いて人類文明の終わりを表現しているということぐらいは、学者でなくてもわかります。どなたかがこの地球に戻って来られ、それによって、歴史が突如として激変のうちに終わるのです。その終わりは、タイタニック号の沈没のように現実的なものです。
この結末を知れば、天使が大声で伝えているメッセージには緊急を要する響きのあることがおわかりいただけるでしょう。
神のことを真剣に考えなさい
そこで大切な質問は、この緊急のメッセージの意味は何かということです。ヨハネの黙示録14章7節には、「神を畏れ、その栄光をたたえなさい」とありました。みなさんは、信じられるでしょうか。おそれを知らない時代に向かって、「神を畏れよ」というメッセージが送られているのです。
私の息子は高校生です。4年前、彼はデパートで白と黒のTシャツを数枚買って帰りました。そのTシャツには、どれにも大きな赤い文字で2つの言葉が書かれていたのです。NOFEAR(何も怖くない)と。この世代の若者にとって、怖いものなどありません。何でもやりますし、いつも楽しげです。この世代の若者が最も荒っぽく危険なリクレーションや娯楽に大喜びし、興奮するのは、何もおそれていないからでしょう。
私たちはおそれを知らない時代に生きています。セックスに対しておそれを知らず、アドレナリンを気ままに解放することに対してもおそれを知らない。まさに現代はNOFEARな時代です。なぜなのでしょうか?未来をあきらめているがゆえに、多くの人がおそれを知らないのです。
だれも、何も、怖くないこの時代の人々に向かって、「神を畏れよ」との緊急メッセージが天から伝えられているというのは、なんと皮肉なことでしょう。注目してください。「神をおそれよ」なのです。この時代の人々をいきなり神に注目させるのは、ちょっと無鉄砲すぎるのではないでしょうか。
しかし、みなさんがこのメッセージをこの場ですぐに無視しておしまいになる前に、注意を促しておきたいことがあります。それは、「神を畏れよ」とは、「神をまじめにお考えなさい。簡単に神をあきらめてはいけません」という熱烈な訴えの言葉だ、ということです。タイタニック時代に生きる人々に向けられた、神を真剣に考えなさい、という緊急の訴えなのです。
神からのラブコール
ところで、これは良い知らせなのでしょうか?それとも、悪い知らせなのでしょうか?実は、みなさんがいままでに聞いたことがないほど、これはすばらしいニュースなのです。「神を畏れ、その栄光をたたえなさい」という訴えの後半に注目しましょう。聖書がどのようにして「神の栄光をたたえなさい」と言っているか、ご存じでしょうか?エレミヤ書9章22、23節に、こう記されています。「主はこう言われる。/知恵ある者は、その知恵を誇るな。/力ある者は、その力を誇るな。/富ある者は、その富を誇るな。/むしろ、誇る者は、この事を誇るがよい/目覚めてわたしを知ることを。/わたしこそ主。/この地に慈しみと正義と恵みの業を行う事/その事をわたしは喜ぶ、と主は言われる」
この聖句の中の「知る」という言葉の原語「ヤーダー」(ヘブル語)は、とても魅力のある興味深い言葉です。神は私たちに、「私をヤーダーしてほしい」とおっしゃっておられるのです。興味深い理由は、この同じ言葉が、あの有名なアダムとエバの物語の中にも使われているからです。創世記4章1節に、「さて、アダムは妻エバを知った。彼女は身ごもって……」とあります。すぐにおわかりいただけると思いますが、聖書はしばしば「知る」という言葉を使って、夫と妻の個人的で親密な関係を描いているのです。
つまり神は、夫と妻の深い関係をあらわす同じ言葉を、すべての人間に対する神ご自身の願いをあらわす言葉として用いておられるのです。神は預言者エレミヤを通して、「私があなたをよく知っているように、あなたにもぜひ私を知ってほしい。それによって個人的関係を深く分かち合おう」と訴えておられます。神が、あなたや私と極めて親しい個人的関係を分かち合いたい、と望んでおられることを表現するのに、これ以上わかりやすく、情熱的な表現が他にあるでしょうか。
現代に生きる若い世代、特にX世代(1)と呼ばれる人々は、親密な関係づくりを何よりも大切にしています。彼らの両親たちである団塊の世代よりもずっと大切にしているのです。映画「タイタニック」のヒット曲、セリーヌ・ディオンの「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」を思い出してみてください。この曲がなぜ世界中で共感を得たのでしょうか?死の別離を越えても、なお続く関係を求める熱き情熱が、万人の心の願いだからではないでしょうか。
私たちはみな、死を越えてなおも続く意味のある関係に飢え渇いています。そういう時代に生きています。だからこそ、この聖書が記している神のみ姿に深い意味があるのです!「あなたの神に出会う備えをせよ」とは終末時代の緊急な叫びです。
これは悪い知らせでしょうか?いいえ。私と出会う備えをせよ、と叫ばれる神が、実は私たちにご自分を知ってほしいと深く願っておられる神なのだ、と理解するとき、はじめてこれがすばらしく良い知らせであるとわかるのです!
(1)X世代
90年代の米国に生きる若者たちを指す名称。Xはローマ数字で十(十進法の最後の数字)をあらわすことから、世紀末を生きる若者たちの意味。
埋められない心の中の空洞
天からのメッセージは、冷酷な死を越えてなおも続く関係について述べています。セリーヌ・ディオンは正しいのです。いつまでも変わらずに続く関係は存在するのです。
聖アウグスティヌスも、X世代のリーダーであるダグラス・コープランドも2人とも正しいのです。アウグスティヌスは『告白』の中で、「われわれの魂は、神のうちに憩いを見いだすまでは、安息を得られない」と言いました。ダグラス・コープランドは、『神を求める生活』の中で、「私の秘訣は、私が神を必要としていることです。私は病んでおり、私一人ではいやされ得ないということです」と書いています。
私たちのまわりの熱狂的な馬鹿騒ぎは、すべての人の心の奥深くに神が造られた空洞をなんとか埋めようとする空しい努力なのです。彼らの人生がどんなに成功しているように見えても、将来がバラ色に見えても、です。「神を畏れ、神の栄光をたたえなさい」。神を消し去ってしまったこの世界に神を取り戻しなさい、という熱烈で緊急を要する訴えがなされています。
神の訴えの言葉が、聖書全体にわたってこだましているのは、当然のことです。ヨブ記22章21節には、「神に従い、神と和解しなさい。そうすれば、あなたは幸せになるだろう」と記されています。平和と幸福を望まない人がいるでしょうか。くり返しくり返し、私を知ってほしい、と神はおっしゃっているのです。
イエスを通して神を知る
では、どれほど神は、人間と親しくなりたいとお思いなのでしょうか?イエス・キリストをご覧になってください。神は、私たちに対してイエス・キリストを通して友情を提供しておられるのです。
関係が破綻し、友情が壊れているこの世界に、決してあなたを見捨てることのない永遠の友情をお与えになるお方がいらっしゃいます。たとえ恋人があなたから去り、伴侶があなたを拒み、両親があなたを見捨て、子供たちがあなたを忘れようとも、永遠の愛を永遠の友情でお与えになるお方がおられるのです。
みなさんご自身で、聖書の中の最も奥深い言葉をお読みいただきたいと思います。この聖句は、最もよく知られている言葉でもあります。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が1人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである」(ヨハネによる福音書3章16、17節)。神は、その独り子を(私たちに)お与えになったほどに、この世を(あなたや私を)愛しておられるのです。
神がどのようなお方であるか、知りたくはありませんか?十字架におかかりになる前夜、イエスの親しい弟子の一人が、まさにこの質問を、向こう見ずにもイエスに投げかけたのでした。そのときのイエスのお答えは、実に明解なものです。
「わたしを見た者は、父を見たのだ。……わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか」(ヨハネによる福音書14章9、10節)、「あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている」(同7節)
友情を求め続けておられるお方
神の真実の姿を知りたいと思われるなら、聖書に記されているイエスを見てください。神が罪人をどのように扱われるかをお知りになりたいのなら、イエスが罪人にどうされたかを知っていただきたいのです。
あるとき、ユダヤの宗教指導者たちが、おののき泣いている若い女性をイエスの足もとに引きずってきました。この女性は、夫でない男とベッドをともにしていたところを捕えられたのです。当時のユダヤの宗教法に従えば、彼女は石打ちの死刑に処せられても仕方がありません。そこで宗教指導者たちは、イエスを罠にかけるため、率先して刑を執行するように迫ったのです。
イエスは、彼女もご自分も罠にかけられたことをご存知でしたが、尻込みなさいませんでした。宗教指導者たちの心にある悪だくみをお読みになって、イエスは「罪のない者がまず石を投げつけよ」とおっしゃいました。罪のない者など1人もいませんでしたから、彼らはイエスと泣きじゃくる女を残して去って行きました。イエスは女を赦し、静かに次のように言われたのです。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」(ヨハネによる福音書8章11節)と。
あるいはまた、神を否定し、裏切り、最後に拒絶する人々を神がどのように扱われるかを知りたいと思われるなら、イエスが亡くなられる前夜にどうされたのかを知っていただきたいと思います。残酷な暴徒たちが、たいまつの火をかざしながらゲッセマネと呼ばれる園になだれ込んで来たとき、彼らの先頭に冷酷な心を持った裏切り者がいました。それはイエスの弟子の1人、ユダでした。その夜、このユダがイエスの頬に接吻したとき、イエスは彼を何とお呼びになったかご存じでしょうか?「友よ」とお呼びになったのです。みなさん、このことをぜひ覚えておいてください。神は拒絶されたときでさえ、私たちとの友情を求め続けておられるお方なのです。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」のです。神は恐ろしいお方ではなく、人間の友になりたいと望んでおられるやさしいお方です。神は、私たちが走って逃げたくなるようなお方ではなく、走って近づきたくなるようなお方なのです。
誤った逃走
米国の一地方新聞で報道されたお話です。
ある夜遅く、1人の女性が高速道路を運転していました。物思いにふけりながら運転していた彼女は、バックミラーごしに、大型トラックのライトが近づいて来るのを見てドキッとしました。トラックがずいぶん飛ばしていたからです。
トラックは彼女の車に近づくと、方向指示器を点滅させて追い越しを知らせました。そして、巨大な車体が彼女の車の脇にやって来た、そのときです。なぜか突然、シュッという空気ブレーキの音とともに、トラックは減速して彼女の車の後ろにぴったりとついたのです。トラック運転手は、彼女の車の後部バンパーにぴたっと接近し、2つの眼のような大きなライトが、女性の車を照らします。
彼女はいらいらしながらバックミラーを調整しました。深夜、女性が1人で運転しているとどんなことが起こるかは、想像に難くありません。しかし、彼女は冷静さを取り戻し、「トラック運転手がもっとゆっくり運転しようと思い直したんだわ」と考え、トラックを引き離すためにアクセルを踏み込みました。ところがどうでしょう。彼女がスピードをあげると、トラックの方もエンジンをふかし、またすぐに接近して来たのです。
そこで次に彼女は、こう考えました。「もしかしたら彼は、私を楽に追い越せるように、スピードを落としてほしいと思っているのかもしれない」と。そう考えた彼女は、今度はアクセルから足を離して車のスピードを落としました。しかし、またもや空気ブレーキの音がして、トラックもスピードを落とし、相変わらずぴったりとついて来るのです。いまや彼女は恐怖でパニック状態に陥ってしまいました。
女性は、とにかく迫って来る男から逃げようと、目一杯アクセルを踏み、次の出口を求めて走り続けました。トラックも狂ったようにうなり声をあげ、夜の高速道路を追いかけて来ます。
ついに、遠くに出口を示す緑色のサインが見えてきました。彼女は飛ぶように出口から出ると、タイヤのきしみ音をたてながらカーブを曲がり、橋にさしかかりました。ガソリンスタンドの白い光が見えます。さいわい、まだ店は営業しているようです。しかし、彼女のすぐ後ろには、あの狂ったトラックがうなり声をあげてついて来ており、彼女を1人にはしてくれません。
彼女は車から飛び降りると、ガソリンスタンドに向かって金切り声をあげ、従業員に助けを求めました。大きなトラックも彼女の車の後方に止まり、運転手は席から飛び降りて女性を追いかけ始めました。しかし彼は、彼女自身の方ではなく、彼女の車の所へ行くと、後部座席のドアを開け、それまでそこに隠れていた1人の男を引きずり出したのです。
実は、いつの間にか夜陰に乗じて、1人の見知らぬ男が女性を襲おうと、彼女の車の中に忍び込み、襲いかかるチャンスをねらっていたのでした。トラックの運転手は、彼女の車を追い越そうとしたとき、高い座席からこの男が後部座席に隠れているのを見つけたのです。彼女は間違った人から逃げようとしていたのでした。彼女を追いかけていた人だけが、彼女を救い出せる人だったのです!
神の友情をあなたのものに
不透明な新しい千年が始まった今、この女性と同じように事実を見誤り、私たちを救うことのできる唯一のお方から逃げようとしている人はいませんか。
あなたは逃げていませんか?私たちを救うことのできる唯一のお方から逃げていませんか?私たちは神様から逃げるのではなく、神様に走り寄ってゆくべきなのです。なぜなら、神様は恐ろしいお方ではなく、友だちになってくださるお方なのですから。
「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである」(エレミヤ書29章11節)
このように約束してくださる神様との友情を結びたいとは思いませんか。
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