終末の予感
小さな幼児の柔らかな重みを初めてその腕に感じた時、親たちの心に湧く思いは、この子が健康で幸福な生涯を送れるようにとの祈りでしょう。でも、現代の私たちの社会では、その祈りとかけ離れた未来が待っている恐れも多いのです。
20世紀を迎えた時、多くの人々は希望に満ち溢れていたと聞いています。素晴らしい技術が次々と開発され、医学は進歩し、理性は世界の平和を守って――健康で幸福な時代が始まると信じていたからです。
しかし20世紀を終わって、私たちはそれが戦争と環境破壊の時代であったことを痛感しています。そして多くの識者は、21世紀はテロの時代ではないかと語っています。あらゆる方面への人類の進歩が輝かしい世界をつくると信じて止まなかった時代と、何と遠く隔たってしまったのでしょう。
私たちの周りに終末思想が生まれてきたのも、人々が進歩という言葉の影に、否応なくしのび寄る今1つの現実に気づいた頃からです。小説や映画、そして子どもの漫画にまで、世界の終わりといったテーマが数多く見られるようになってきました。
かつて、「すべての道はローマへつづく」と誇っていた大帝国ローマも、帝国の落日が近づいてきた頃「ローマを滅ぼす者はローマなり」といった言葉が巷に多く広まっていたと伝えられています。心ある人々には、大ローマが内部から音を立てて崩れて行くのが聞こえていたのでしょう。
同じように現代の私たちも、この世界の何かが崩れて行きつつあるのを感じているのかもしれません。
希望に満ちた約束
聖書にも、終末が語られています。でもその終末は恐ろしいものではなく、明るく希望に満ちたものとして書かれています。
過去にもたとえば、平家の滅亡は源氏の台頭でしたし、江戸幕府の終わりは明治の夜明けでした。そのように、聖書の終末は新しい世界――すなわち神の国の始まりを意味します。本当の平和、本当の平等、本当の愛の溢れる世界の始まりです。そして死から甦った人たちと再び会える時です。
十字架にかかられる前の夜、イエスは天に場所を用意して再びあなたがたを迎えに来ると約束なさいました。「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻ってくる」(ヨハネによる福音書14章18節)と。
そして、イエスが天に昇られた後、弟子たちはその約束を唯一の望みに伝道を続けました。彼らのそして初期の教会のクリスチャンたちのあいさつは、「マラナ・タ」(主よ、来りませ)でした。ユダヤ社会やローマ帝国の激しい迫害の中で、クリスチャンたちはこの言葉を信じ、イエスの来られる日を待ち続けていたのです。
でも、その時から2千年が経ってしまいました。イエスは約束されたように本当に来られるのでしょうか。
イエスがいつ来られると言っているのか、その答えを聖書の中に見つけてみましょう。
約束の時
イエスが十字架にかかられるその数日前、弟子たちに御自身が再び来られる時――すなわち再臨の時――には、どのような時代になっているかを教えておられます。それは、約束の時が近づいていることを人々が信じて望みを持つためでした。
「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。それと同じように、あなたがたは、これらすべてのことを見たなら、人の子(イエス)が戸口に近づいていると悟りなさい」とイエスは、マタイによる福音書24章の中にその時代について語っておられます。
聖書に預言されていた現代
そこには、終わりの時には戦争と戦争のうわさが多くなること、民は民に、国は国に敵対して立ち上がることが書かれています。もし、今が20世紀の初めであったなら、この言葉は多くの人の反感を買ったことでしょう。当時の人々は、人類の理性や叡智、理解や協調の精神は、この地上から争いをなくすと信じていたからです。
今ほど人類が他の国々について、知識を持っている時代はありません。そこに親しい友を持つ人も多いでしょう。それなのになぜ、戦いは止まないのでしょうか。
国家間の争いだけでなく、日常の私たちの周りにも、考えられないような事件が一杯起きています。大人による児童殺傷事件、児童間の殺人、幼児虐待、老人虐待等々、数えあげるときりがありません。でも、それ以上に問題になるのは、人々の心の変化でしょう。すぐキレる人、自分のことしか考えられない人、人の痛みを理解しない人々が次第に増えてきているようです。あと20年もしたら、老人や子どもたちが安心して日常生活をおくることができるのでしょうか。
イエスはそうした終わりの時の世情を「不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える」(マタイによる福音書24章12節)と言っておられます。
しかし、戦争も諍も、決して神が起こされたのではありません。神を敬うこと、人を愛することを忘れた人々の心が引き起こしたものだと私は思います。
終りの時のしるしに関するイエスの今1つの言葉は、「御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る」(マタイによる福音書24章14節)というものでした。
この時、イエスの弟子は12名、決して教養があるとは言えない人たちでした。しかも内1人はイエスを裏切っていくユダです。ご自分の死を前にして、普通でしたら伝道は失敗だったと意気消沈してしまうでしょう。でもイエスは、この12名を前にしてキリスト教は全世界に宣べ伝えられると宣言しておられるのです。
2千年の時を経てこの言葉を考える時、深い感慨があります。十字架で死なれた33歳の青年の教えは、長い迫害や激しい困難を乗り越えて、今、全世界へと広まりつつあります。アフリカの奥地にも、共産主義の国々へも、そして異なった宗教の国々にも、イエスの福音は伝えられています。
そして「それから終わりが来る」とのイエスの約束された再臨の時は、もう間もなくでしょう。
それは、初代の弟子たち以来ずっと待ち望まれていたイエスの来られる日、平和と愛に満ちた、死も涙もない世界の始まる約束の成就する時なのです。
聖書の言葉
主はわたしをすべての悪い業から助け出し、天にある御自分の国へ救い入れてくださいます。テモテへの手紙2・4章18節
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